去年末にゲストのめるがっぱさんからご推薦いただいた「須田国太郎展」を、土曜日に東京国立近代美術館で観てきた。
http://www.momat.go.jp/Honkan/Suda/index.html
須田は美術史研究で渡った欧州、それもプラド美術館でヴェネツィア派やバロック絵画に影響を受け、模写までものにしている。「油彩画の歴史を辿りながら、その技法と表現についての研究を目指していた」(図録)らしい。最近ヴェネツィア派づいているうえにバロック好きの私は興味津々で出かけた。
展示はまず自画像(私的には晩年期ティツィアーノ風色調に見えた)、そして、エル・グレコ、ティツィアーノ、ティントレットの模写が並んでいた。実に興味深くも壮観であった!ところが、グレコの《キリストの復活》は細部まで忠実に模しているのだが、ティツィアーノの《ヴィーナスとオルガン奏者》は少々異様に思えた。(文末に【追記】があるので、乞参照)
まず、オリジナル《ヴィーナスとオルガン奏者》
http://www.wga.hu/html/t/tiziano/mytholo1/venus_p.html
ではオルガン奏者は若者であり、ヴィーナスは傍らのクピドに話しかけている。ところが、須田の模写ではオルガン奏者は髭の男であり、クビドはおらずヴィーナスは顔を伏せ気味に手元に置いた犬を見ながらなでている。更にヴィーナスの髪型や顔つきも違うし、真珠の首飾りも描いていない。犬がいることや髪型は《ウルビーノのヴィーナス》
http://www.wga.hu/html/t/tiziano/mytholo1/u_venus.html
から引用している可能性もある。もしかして犬は同じプラドの《ダナエ》
http://www.wga.hu/html/t/tiziano/mytholo2/danae_pr.html
からの引用かもしれない。
それにしても須田のヴィーナスの顔つきはなんだかレオナルド風にも見える。更に細かく見れば、背景に小さく居るはずの男女も消えているし、ベッドの上の布地の縁模様も違う。う~ん、何故だろう…と考え込んでしまった。
私的に考えられるのは、オルガン奏者(若者)の視線の先を気にしたのかなぁ、とも。なにしろ戦前(1919年)だし、この模写を日本で公開したら…ね。犬に視線を投げかけていれば言い訳できる…のかな?(^^ゞ。まぁ、ティツィアーノのこの手のヌードが魅力あり過ぎなのが問題なのかもしれないけど、須田がオルガン奏者を髭の男にしたところが反ってスキモノっぽく見えて、ティツィアーノのヌードの大らかさが失われてしまったように思われるのだ。
画家による模写はあくまで研究のためであり、そのまま忠実に細部まで模写する訳ではないことも知ってはいるが、普通、初めての模写の場合、反って忠実になるような気がするのだが、これは絵を描かないど素人考えというものなのであろうか?
実は髭男を見ながら、須田の自己投影かもしれない…とも思った。なにしろ、この展覧会には私小説のような作品が多いような気がしたからだ。
まぁ、とにかく、次回(2)はまじめに展覧会の感想文を書こうと思う(^^;;;
【追記】
恥ずかしながら、何とプラドに2枚の「ヴィーナスとオルガン奏者」があることに気がつかなかった(大汗)。美術ド素人なのでお許しあれ。
http://museoprado.mcu.es/ihistoria/historia5_cont_02.html
ということで、須田国太郎が模写したのは「ヴィーナスとオルガン奏者と犬」である。なので、上記感想文を修正したいところだが、今更なのでそのままにしておく。
ゲストのいづつやさんのブログでパノフスキー著「ティツィアーノの諸問題」に触れていらっしゃったので、あわてて私も再読して気がついた。いづつやさんに感謝である。
http://www.momat.go.jp/Honkan/Suda/index.html
須田は美術史研究で渡った欧州、それもプラド美術館でヴェネツィア派やバロック絵画に影響を受け、模写までものにしている。「油彩画の歴史を辿りながら、その技法と表現についての研究を目指していた」(図録)らしい。最近ヴェネツィア派づいているうえにバロック好きの私は興味津々で出かけた。
展示はまず自画像(私的には晩年期ティツィアーノ風色調に見えた)、そして、エル・グレコ、ティツィアーノ、ティントレットの模写が並んでいた。実に興味深くも壮観であった!ところが、グレコの《キリストの復活》は細部まで忠実に模しているのだが、ティツィアーノの《ヴィーナスとオルガン奏者》は少々異様に思えた。(文末に【追記】があるので、乞参照)
まず、オリジナル《ヴィーナスとオルガン奏者》
http://www.wga.hu/html/t/tiziano/mytholo1/venus_p.html
ではオルガン奏者は若者であり、ヴィーナスは傍らのクピドに話しかけている。ところが、須田の模写ではオルガン奏者は髭の男であり、クビドはおらずヴィーナスは顔を伏せ気味に手元に置いた犬を見ながらなでている。更にヴィーナスの髪型や顔つきも違うし、真珠の首飾りも描いていない。犬がいることや髪型は《ウルビーノのヴィーナス》
http://www.wga.hu/html/t/tiziano/mytholo1/u_venus.html
から引用している可能性もある。もしかして犬は同じプラドの《ダナエ》
http://www.wga.hu/html/t/tiziano/mytholo2/danae_pr.html
からの引用かもしれない。
それにしても須田のヴィーナスの顔つきはなんだかレオナルド風にも見える。更に細かく見れば、背景に小さく居るはずの男女も消えているし、ベッドの上の布地の縁模様も違う。う~ん、何故だろう…と考え込んでしまった。
私的に考えられるのは、オルガン奏者(若者)の視線の先を気にしたのかなぁ、とも。なにしろ戦前(1919年)だし、この模写を日本で公開したら…ね。犬に視線を投げかけていれば言い訳できる…のかな?(^^ゞ。まぁ、ティツィアーノのこの手のヌードが魅力あり過ぎなのが問題なのかもしれないけど、須田がオルガン奏者を髭の男にしたところが反ってスキモノっぽく見えて、ティツィアーノのヌードの大らかさが失われてしまったように思われるのだ。
画家による模写はあくまで研究のためであり、そのまま忠実に細部まで模写する訳ではないことも知ってはいるが、普通、初めての模写の場合、反って忠実になるような気がするのだが、これは絵を描かないど素人考えというものなのであろうか?
実は髭男を見ながら、須田の自己投影かもしれない…とも思った。なにしろ、この展覧会には私小説のような作品が多いような気がしたからだ。
まぁ、とにかく、次回(2)はまじめに展覧会の感想文を書こうと思う(^^;;;
【追記】
恥ずかしながら、何とプラドに2枚の「ヴィーナスとオルガン奏者」があることに気がつかなかった(大汗)。美術ド素人なのでお許しあれ。
http://museoprado.mcu.es/ihistoria/historia5_cont_02.html
ということで、須田国太郎が模写したのは「ヴィーナスとオルガン奏者と犬」である。なので、上記感想文を修正したいところだが、今更なのでそのままにしておく。
ゲストのいづつやさんのブログでパノフスキー著「ティツィアーノの諸問題」に触れていらっしゃったので、あわてて私も再読して気がついた。いづつやさんに感謝である。