花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

須田国太郎展(2)

2006-01-22 05:18:19 | 展覧会
須田国太郎は黒の画家と謂われるだけあって、作品には明暗の陰影の深い黒が際立つ。
http://www.bijutsukann.com/toku/suda/suda.html

それでも、私的に観ると3種類にサックリと分類されるような気がする。(1)スポットライトにより対象を陰影で浮かび上がらせるバロック的絵画、(2)陽光による陰影の深い風景画、静物画(3)その風景や反射する光を背景に浮かび上がる動植物のシルエット。
絵画ド素人独断と偏見で言わせてもらえば、非常にまわりくどい重層的な光と影の使い方をしていて、それが色彩と黒色の拮抗という緊張感あふれる効果を生んでいるのだと思った。それに、画面のこすったり、ひっかいたりしている絵肌から観ると、須田はきっと黒と挌闘し続けたのだろう。しかし、ある部分では黒に逃げ込んでいるような気もした(すみませぬ(^^;;;)。

さて、(1)の作品群はプラドでの影響を濃く感じる。大作《水浴》はバロック的明暗による人物群像の把握と暗い水面との構図的な面白さがある。画面から離れて観ると、暗い水面が意外にリアルな水の質感と量感を持っていることがわかる。美しい青を秘めた暗い水面である。背を向ける人物を前面に大きく置いた群像のうねるような遠近感のある配置の手法も古典絵画的懐かしさ(?)を感じる。
《修理師》はCARAVAGGIOやラ・トゥールを想起した作品だ。この展覧会では珍しく一番写実的な作品ではないだろうか?板壁の木目の質感描写には唸るものがある。修理師の頭部を照らす照明と奥行き感もバロック的で、私的におおっ!と思った。

(2)の風景画の中で一番気に入ったのは《工場地帯》で、ヴェネツィア派の輝く色彩と構図の面白さに満ちていた。須田の描く空や水面の多彩で深い青色を見て欲しい、工場壁の赤の美しさ。ヴェネツィア派の鮮やかな光を内包している。ティツィアーノやティントレットの深い赤の記憶を強く感じさせるのは初期の《法隆寺塔婆》もだ。一刷の深紅の鮮烈な印象深さ…。それは《窪八幡》の赤い壁に繋がる。

さて、(3)こそが須田の作風を代表する作品群なのではないかと思う。須田は全面に黒い動植物を置き、反射逆光を多様している。特に雪明りに浮かぶ黒いシルエットが印象的な《犬》や、白い家並みを望む3羽の黒い《鵜》には、色彩的重曹効果が相俟って、須田自身の心の叫びではないかと思うほどの緊迫感がある。
《犬》の背景は雪の積る夜、皆寝静まったかのように深とした家並み。闇に浮かぶ緑の屋根にはうっすらと白い雪。赤い壁は炎だろうか?凍て付く雪を踏み、戸外に佇む黒い犬。その孤独が恐ろしいほど伝わってくるのはその炎を映したかのような眼の赤さ…。削ぎ落とした造形と黒に彩られた補色のインパクト。そして悲鳴をあげるような引掻き線…。ちょっとこれには参った。

須田はプラドでヴェラスケスやゴヤも観ているはずだ。もちろん、CARAVAGGIOも、リベーラも。その陰影に満ちた深い黒に魅せられても当然だと思う。スペインの土地が赤く渇き、太陽の強い陽射しは黒いくっきりとした影を描くことも知っているはずだ。須田の黒は東洋の黒ではない。当時の印象派の描くところの影でもない。それはプラドの黒なのだ。須田はヴェネツィア派の色彩とスペインの黒を持ち帰り、日本で挌闘し続けたのだ、と作品を観ながら絵画ド素人は(勝手に)思ったのだった(^^;

付け加えると、全面に大きく対象を置く構図は浮世絵の影響も感じる。小品の花鳥画も日本画的だ。能を良くした須田に幽玄を見る者もいるだろう。しかし、私的にはあの黒はやはりプラドの黒との挌闘の痕跡だと思うのだ。しつこい?(^^;;;