遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『帰郷 刑事・鳴沢了』  堂場瞬一  中公文庫

2016-01-11 09:57:36 | レビュー
 元新潟県警の刑事だった鳴沢了が、この第5作目で新潟県に戻る。了の父親が死んだ。1週間の忌引休暇を取って故郷に戻ったのだ。事後処理をするために実家を点検している鳴沢の前に、二人の人物が訪ねてくる。一人は「鷹取正明」と名乗る。もう一人は新潟県警の元刑事の緑川聡だった。
 鷹取と名乗った不審な男は、15年前の殺人事件について話があるという。了の父親の葬式の日、つまり昨日、自分の父親が殺された事件が時効になったというのである。15年と1日前の冬の夕方、地元の私立大の助教授だった鷹取洋通(ひろみち)が、新潟市内の自宅で殺された。通報者は被害者の友人、羽鳥美智雄である。了は正明の話を聞きながら、新潟県警の刑事だったときに読んだ未解決事件の記憶が甦る。それは了の父親も捜査担当者として名を連ねていた事件だったのだ。父親にとり唯一の未解決事件だった。当時子供だった鷹取正明は、発見者の羽鳥が犯人だと確信していると言う。正明は了に何とかしてくれと依頼にきたのだ。
 了は警視庁の人間で、新潟の事件にはタッチする資格がないと答える。正明は時効が成立しているのだから、関係はない。了の父親が関わり、未解決で終わったのだから、息子の了が調べると父親の供養にもなるのではないかと反論し、調べて欲しいと言う。
 他の県警の未解決事件に首を突っ込むことは、警察官としては礼を欠く行為となる。だが、了は引き受ける。「私は、自分が父に挑戦しようとしているのだということを強く意識していた--そう、父が滑らせてしまった事件を私が解決できれば、長年の確執に終止符を打てるのではないかと思った」(p22)のだ。

 このストーリーは、父が捜査し未解決となった事件を、今は警視庁の刑事である鳴沢了が、新潟県で一私人として調べ直すというものだ。

 了の父は死に臨み、自宅のほとんどの物はきれいに処分していた。そして一方で、ガレージにはほとんど新車と言っていいレガシィのセダンが残されていた。車検証は了の名義になっていた。了は父が残していったこの車を使い、未解決事件を調べ始める。
 新潟県警に保管されるこの未解決事件のファイルには、了は一切アクセスできない。県警とはまったく無関係に、一私人として行動を始める。しかしやることは刑事の行為と同じである。私人であるという制約が15年前という古い時期の制約に相乗効果を及ぼし、障害が増大するだけである。
 羽島は鷹取と同じ大学の助教授だったが、事件の半年後に生活を一変させ、自宅で「NPO法人 アースセーブ新潟」を立ち上げ、環境保護団体の活動に入っていたのだ。鳴沢了は羽島の自宅を訪問し、本人から聞き取りをする行動から始めて行く。

 このストーリー展開の興味深いところは、次の諸点にあるように思う。
*了が私人として時効となった事件の解明に臨む。それが警察官としての礼を逸することを承知の上で試みるということ。
*この案件で、了に相棒はいない。元刑事の緑川はかつての父の部下として、唯一当時の状況を記憶から引き出してくれる情報源となり得るだけであること。新潟県警に保管される未解決事件のデータファイルへのアクセスは不可。了の記憶がたよりであること。
*15年の歳月が、当時の現場の状況を変容させているか、人々の記憶に事件がどこまで留まっているかなど、予測がつかない中で取りかかるということ。
*被害者の子である正明が犯人は羽島だと言う。その羽島本人に最初に面談し、事件に絡む内容を聞き取り捜査するという特異なケースだということ。
*羽島との会話の中から、何らかの手がかりをえられるかどうかが、その後の捜査の有り様を決めることになること。
*了が聞き込み捜査の糸口をどのように発見して、論理的に思考し、過去の事実を確認していくのかというプロセスを読者として一緒に追う事になること。
*父が捜査過程で見落としていたことがあるのかどうか? 了の捜査は結果的に、父への挑戦となっていることである。
 実家には父が書き残した日記のノートが残されていた。父はノートにこの事件のことも几帳面に書き綴っていたのだ。了にとって、このノートを読むことが、捜査中の父の思考と心理を追体験することにもなっていく。この設定が興味深い。

 羽島との直接の面談から始まった聞き込み捜査の第一日は、成果もなく羽島への不信感が残る形で終わろうとする。「これで終わりにはできないよな」と気づかぬつぶやきが出る。そんな折、偶然に小・中学校時代の友人の中尾に遭遇し、相手から声を掛けられたのだ。中尾は市役所に勤務している。中尾は当時の事件を記憶していた。そして、鷹取が教えていた大学を出ていて、大学の校友会の幹事をやっているという。近所の人間としては、犯人が捕まらないのは不気味だと言う。そして、大学の名簿に関連し、名前や住所などでの最小限の協力をしてくれることになる。ここで了にとって聞き込みをつづける糸口ができることになる。一方で、中学の同級生で、了と同様刑事になり、新潟県警に勤めている安藤が了の前に現れてくるのだ。中尾によれば、安藤は2年前まで交通整理をやっていて、それから刑事になったという。刑事になって人が変わったようだとも。
 中尾から入手できた名簿により、了にとっては思わぬ聞き込み捜査の範囲が広がることで、少しずつ糸口が手繰られて、了の事件に対する思考が論理的に深まっていく。安藤がどのような対応に出てくるかは不明ながら、了は己の捜査活動を広げて行く。
 了の捜査活動が進展し、元刑事の緑川との意見交換で、少しずつ15年前の背景情報の再構築ができていく、そして事件の全体の構図が浮かび上がっていくことになる。なかなかおもしろい筋立てである。

 不可解なままで未解決状態となり、人々の心の奥底に沈み込んでいた記憶を、了は甦らせ、関係者の間に渦を巻き起こしていく結果になる。安藤との考えの対立を際立たせながら、一方で新潟県警時代の同僚だった大西が了に助力してくれる局面も登場する。
 了は羽島の周辺の関係者に対する聞き取り捜査を積み重ねる一方で、正明の過去についても、その経緯を明らかにしていく。それにより、全体の構図を了は理解していくことになる。

 聞き込み捜査のプロセスで、「あなたがいろいろ掻き回さなければ、我々も静かにやっていけた。」「真実が明らかになっても、誰かが幸せになるわけじゃないでしょう」という台詞で語りかける相手に、了は心中で次の思いをいだく。
「真実は、生きている人のためだけにあるわけではないからだ。死んだ人間の霊魂がこの世を彷徨い、誰かが真相を明らかにするのを待っているなどと思っているわけではないが、鷹取の無念を晴らさないわけにはいかない。死者にも名誉はあるのだ」(p168)と。

 だが、了の捜査の結末は、思わぬ方向に急激に展開していく。この作品もまたなかなか巧妙な構成になっている。最後の段階まで、予測のつかない部分を残す。

 父親が捜査して解決できなかった事件の謎解きを了はやり終えた。それで了が得たものは何か。了は遂に父へのわだかまりが消滅したのだ。「初めて、父と冷たい関係を続けてしまったことを悔やんだ。もっと話して父の経験を吸収していれば、私は今よりも分厚い刑事になれたはずである」(p359)と。そして、父が日記を書き綴るために使っていた万年筆を東京に持ち帰り、修理してその輝きを取り戻そうと思うのだ。
「いつの日か、私がこの万年筆を使って自分の足跡を書き記す日が来るかも知れない。そして、それに目を通すのは勇樹であって欲しいと願った。」これが末尾の文である。鳴沢了の生き様において、一つの峠を越えたいい瞬間で終わり、ほっとする。

 ご一読ありがとうございます。

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