遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『雨の狩人』  大沢在昌  幻冬舎

2015-04-26 11:13:15 | レビュー
 新宿区役所通りのすぐ裏にあるオレンヂタウンが舞台となる。オレンヂタウンには五坪もない小さな店がまるで長屋のようにぎっちりと立ち並ぶ。歌舞伎町の東端、東西50m、南北20mほどの一画である。全盛期は200軒以上の飲食店が建ち並んでいたが、今は営業している店が150軒程度。昭和の終わり頃には地上げの動きがあったが、バブル崩壊で地上げは頓挫。「戦後闇市の流れを汲む、この街の権利関係は異常に複雑で、店舗のまた貸しはあたり前、狭い土地に何人もの地主がいて、その上、何重もの抵当に入っているという状況」(p9)の区域である。さらに住居表示は歌舞伎町だが、オレンヂタウンは新宿警察署の管轄ではなく、四谷警察署の管轄になる。
 そんな街の傍でほそぼそと「運命鑑定」の机を出すユリ江が、「わたし、サチコの子供です」と訪ねてきた若い娘に声をかけられる場面からストーリーが始まる。サチコは歌舞伎町のクラブで働いていたタイ人で、日本人の男とのあいだに娘がいて、その娘が12歳のときに、タイに帰国したのだ。サチコは2年間、辻占いをするユリ江の客だった。そのサチコが亡くなり、20歳になるサチコの娘が日本人の父を捜していると言って訪ねてきたのである。父の名はミサワソウイチだという。その娘は、ママがつけていたものだと言い、金色の仏様のペンダントをユリ江に形見として差し出す。ユリ江は店を閉じた後、「アラビア」という喫茶店で待ち合わせる約束をするのだが、娘がはぐれてしまったのか、会えずじまいとなる。
 父を捜しているというこの娘が、どのような経緯で日本に来たのかというところからこの娘はストーリーの本筋に関わって行くことなる。

 一方、オレンヂタウンで、亡くなった母のやっていた小さな酒場を引き継いだシャブ中の吉崎という男の死体がその酒場で発見される。彼は、一昨年組長が解散届けを出した尾引会を6年前に破門されていた元ヤクザである。
 四谷署の立木刑事に呼ばれた新宿署組織暴力対策課のベテラン刑事である佐江が現場に立ち合う。この佐江がこのストーリー展開での軸の一人となっていく。誰からも好かれない一匹狼的な刑事なのだ。その佐江が現場を離れるとき、フリーのライターだと称する岡に声を掛けられる。「新宿で、いっぱい、人が死ぬぜ。」「俺、俺が、つきとめたんだ。でかい金が動くんだ。それでもって、人がどんどん死ぬ。」と言う。岡が佐江に名前を尋ねたのは、佐江の名前を保険に使いたいからだという。

 日曜日の夜、歌舞伎町のあるビル内に入っている休日のキャバクラを会場にして、違法な地下格闘技戦が行われていた。それを観戦していて、かかってきた電話に応えるために7階のエレベーターホールに移動した高部斉(ひとし)という不動産会社社長が射殺される。現場で高部を確認した佐江は管理官の白戸に言う。高部は3年くらい前に新宿に現れ、居酒屋とキャバクラであてて、不動産に最近手を出していたのだと。高部はマルBではないのだ。佐江は、高部が新宿に現れたときの元手は詐欺か闇金で貯めたものではないかとにらんでいたという。
 新宿署にこの事件の特別捜査本部ができ、組対の佐江がマルBに詳しいことから捜査に組み込まれる。そして、警視庁捜査一課の第二強行班副班長の谷神警部補と組み、捜査活動をする事になる。その谷神が白戸管理官に頼み佐江を捜査本部に組み込ませたというのだ。
 佐江と谷神は捜査本部の中で、独自の捜査行動を始めて行く。高部の射殺はプロのしわざと推測される。3年余前にも、高利貸しをやっていた片瀬庸一がマンションの地下駐車場で射殺された事件があり、それは拳銃が使用され、事件が未解決、未押収の発砲事件の一つだった。片瀬は暴力団羽田組江口一家との関係があったのだ。片瀬の死後、羽田組の資金繰りが悪化。羽田組は2年以上前に広域暴力団高河連合に吸収されてしまったのだ。高部殺しと片瀬殺しの共通点に佐江は関心を寄せ始める。
 羽田組も尾引会も、共にオレンヂタウンに縄張りをもっていたのだ。それが今では、高河連合の縄張りに組み込まれてしまっているのだ。また、殺された高部の不動産会社はオレンヂタウンの土地を一部買い取り、月極めの駐車場を運営していたのである。
 佐江は暴力団と直接の関係を持たない高部が不動産会社の経営までのし上がってきた背景の元手の出所に関心を抱く。闇金の可能性を考慮しながら、高部の人間関係を捜査することから、佐江と高神は取り組み始める。今は高河連合の傘下に組み込まれた江口一家は江栄会という組として存続していた。江栄組の組長・江口とシャブ中だった吉崎が属していた尾引会の元組長・井筒が事件解決のための捜査の突破口となっていく。

 この作品がおもしろいのは、佐江が一見カタギで会社を運営する高部の出発点となる原資の出所に着目することで、高部に関係する人間関係が明らかにされていく展開にある。その人間関係の掘り起こしが、暴力団との関わりを浮かび上がらせ、オレンヂタウンが関連する複雑な様相が見え始めるところにある。だが、なぜオレンヂタウンという地上げの頓挫した一画が関わって行くのかが、最終段階まで見ないままに、捜査活動が紆余曲折しながらでも、真相に迫っていく。ストーリーの構想の巧みさが読ませどころである。
 
 この作品の興味深いのは、組織犯罪処罰法と暴力団排除条例ができ、その法の下に暴力団の取り締まりが始まったことで何がどうかわったのか、その社会変化の様相をテーマとしたことにある。その法が生み出したマイナス面を俎上にのせ、問題提起している。警察がそれらの法により、暴力団を取り締まり易くなったと外見的には見える。だが反面で、暴力団がシノギを得るためにカタギと組むようになり、陰に隠れた活動が増加した側面を描き込んでいく。暴力団ではないカタギに属する側としての犯罪の増加という側面を炙り出している。現行法の限界の指摘でもあり、それらの法の運用に対する警世の視点を持つ。そして、法治国家とは何かについても迫っていく局面を持つ。現行法で裁けないことの限界を乗り越え、法を超絶して裁くという行為をどう捉えるかである。この視点が絡みあう極限を含めて、このストーリーが展開していく。とんでもない意外性が爆弾の如くに組み込まれている作品だ。思わぬ結末となる。

 佐江というベテラン刑事の目を通した思い、思考として次のような記述が出てくる。佐江の思いのいくつかをご紹介しておこう。あなたはどう思うか?

*組織犯罪処罰法や暴力団排除条例などで傾向がかわった。組に属するkとがもはや利益をもたらさず、逮捕されても罪は重いし仮釈放も得られないなど、マイナスが多いことに、ガキのワルどもは気づいたのだ。 p27
*カタギであることは暴力団に対する優位となり、トラブルが起きたら警察に駆けこんで相手を牽制する。骨までしゃぶられるのが暴力団の側だったりする。それでもカタギと組まなければ、暴力団のシノギの多くが成立しない時代なのだ。 p27-28
*暴力団員がカタギに怪我をさせたり殺したりすると、その逆より罪ははるかに重い。p28
*プロの犯罪者とアマチュアの犯罪者の境界があいまいになり、やくざよりタチの悪い、ルールを知らず守ろうとも考えない、セミプロ集団が生まれている。やくざではないから、傷害や殺人にさほど理由を必要とせず、犯行後も組織に属していないがゆえに居場所や逃亡先の特定が困難となる。 p28
*司法の圧力にも耐えて生き残っている暴力団は強固な組織をもち、巨額の現金を動かしている。その金は、国内だけでなく海外にも投資、運用され、さらにふくれあがって戻る仕組みだ。そのための投資顧問すら、暴力団は抱えている。  p28
*暴排条例のせいで、暴力団員が住居にできる建物が減っている。・・・・組員となれば、警察に住所を把握され、部屋を借りるのも商売を始めるのも困難になる。ゆえに盃をもらっていないカタギを装いながら、シノギに携わる者がでてきた。 p125
*古典的なシノギを捨て、新たな事業を始める暴力団が増えた。組員が一切表にでることなく、すべてを「嘘でかためて」、シノギに乗りだすのだ。・・・結局のところ、暴力団は資金だけをだし、実行犯はすべてカタギ、という犯罪が増える。いわば犯罪のアウトソーシングだ。 p126
*ヤクザなら、刑事は有無をいわさず締めあげる。が、カタギとなるとそうはいかない。 p126

 最後に、佐江と組む高神がまさに最終局面でこんなことを佐江に語るのだ。
 「この国の権力機構が、いかに暴力団と根幹のところでつながっているのかを、公安にいた頃、つぶさに見てきました」「・・・仮想的として、いかに暴力団を警察がうまく利用しているかということでした。暴力団を悪者にしておけば、いくらでも法や条例を、都合のいいようにねじ曲げることができる。極道は決して、不当だとか、人権侵害だとはいいませんからね。たとえいっても、マスコミもそんな声は拾わない。警察は、暴力団をなめていたんです」「・・・暴力団もまた、表面では取り締まられながら、地下で生きのびる手段をあみだしていた。そしてそれが将来、どれだけの禍根を残すか、官僚はまるでわかっていない」と。 p533-534
 
 この作品の根底にあるテーマは法治国家における法にとって実に重いものである。


 ご一読ありがとうございます。

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本作品と直接間接に関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

組織的犯罪処罰法  :「新語時事用語辞典」
組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律  :「e-gov」
(平成十一年八月十八日法律第百三十六号)
暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律  :「e-gov」
   (平成三年五月十五日法律第七十七号)
暴力団排除条例  :ウィキペディア

企業舎弟  :ウィキペディア
企業舎弟とは? 知り合いに聞いても説明下手で・・・・・  :「YAHOO!知恵袋」
企業舎弟  :「裏の裏は、表_に出せない!」

ビートたけしも感謝する?!「暴排条例」で暴力団・企業舎弟・密接交際者の海外逃避が始まっている  :「現代ビジネス」


この作品と直接の関係はないが、「組対法」という法律自体についての関連視点として:
日弁連は共謀罪に反対します  :「日本弁護士連合会」
組織犯罪対策法  :「逮捕令状問題を考える会」


インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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