遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『京都土壁案内』 写真 塚本由晴  案内 森田一弥  学芸出版社

2016-03-10 17:37:57 | レビュー
 様々な意味で異色の本である。なにせ「土壁」のもつ魅力というものに絞り込んで、京都の著名な13の建築物の土壁そのものを案内するという本なのだから・・・・。
 京都に生まれ育ちそこで生活する私は、ここで取り上げられた13のうち10は訪れたことがある。そのうちいくつかは繰り返し訪れたり、その建物の傍を往来してきた。しかし、いくつかの土壁に興味を持って眺めてはいても、この本の「土壁案内」にあるほどの広がりと奥の深さを意識することはなかった。これほどに土壁の識別を考えたこともない。実に興味深く読んだ。

 まず、この本に取り上げられた建築物を列挙しておこう。
 法界寺阿弥陀堂、妙喜庵待庵、三十三間堂太閤壁、東本願寺なまこ壁、大徳寺玉林院簑庵、渉成園築地塀、島原角屋、大徳寺瓦塀、京都御苑拾翠亭、京都御所筋壁、下御霊神社土蔵、祇園一力亭、長楽館である。
 
 読後印象としてどこが異色と思ったかを以下列挙してご紹介する。
1.「土壁」の基礎知識を学べる「土壁案内」である。そして「土壁」の魅力にぞっこんの案内人が語っている。土壁にフォーカスをあてた写真集であるとともに、結果的に京都観光案内書の一面を備えた「京都案内」になっている。
 聚楽土、稲荷山黄土、九条土、桃山土、浅葱土、錆土、江州白土、大阪土などという土の固有名を意識したことのある人が京都観光好きにどれだけいるだろう・・・・。私同様に知らないということから、関心が及ばず、建築物の魅力をしゃぶりつくせず、漠然と見るだけの「観光」にとどまっているのではないだろうか。この本はそのブレークスルーの一助となる。
 また、土壁、漆喰壁、大津壁、ナマコ壁。版築塀、練り塀、日干煉瓦塀。瓦壁、蛍壁。瓦塀、台輪、水切瓦、雨落ち。筋塀。割り竹、えつり竹(別名:力竹)、ワラ縄、貫(ヌキ)、荒壁、大直し塗り、貫伏女(ワレ止)、中塗、水ごね仕上げ。引きずり壁、大津塗り、ぱらり壁。・・・・というような「土壁」についての基礎用語・知識を平易に学べる魅力がある。

2.著者二人は共に建築学を専攻した建築のプロである。奥書によれば著者の一人塚本は、海外での学術研究経験が豊かで、現在東京工業大学准教授、かつアトリエ・ワンの共同主宰者。本書では写真家として登場する。写真に付された小文は建築家・研究者の目線から叙情性と感性に満ちた表現で土壁の魅力を語っている。他方、森田は現在、建築設計事務所を主宰する。興味深いのは、大学の修士課程修了後に、京都「しっくい浅原」に入門し一から左官職人として修行しているという経歴の持ち主なのだ。
 塚本は現代建築の研究者かつ建築家であるが、巻末の文章の冒頭に「私はまだ本格的な土壁の建築を作ったことがないので、土壁に関してはずぶの素人である」と記している。その塚本を、左官職人のプロでもある建築家の森田が案内人となって、左官職人の目線で語り部になっている。
 建築家のプロである二人が、「土壁」に関しては素人と職人の立場からのコラボレーションとしてまとめたという異色さを持つ本なのだ。

 森田は冒頭「京都で土壁に出会う」の中で、「京都の土壁に焦点を絞り、普通の観光旅行ではあまり訪れないようなところも含めて紹介する機会を頂いた。土壁を見ない京都の建築巡りは、寿司を食べずに日本料理を語る以上に片手落ちである、というのが私の持論である」と記す。つまり「今まで多くの人が気に留めなかった京都の建築の知られざる魅力を紹介する」ことを通して、京都観光案内人でもあるのだ。

3.この本には、「In Praise of Mud A Guide to the Earth Walls of Kyoto」というタイトルが表紙に併記されている。つまり、英語版の本にもなっている。日本語文がすべて忠実に翻訳されている訳ではないが、その主要部分の説明内容は網羅する形で翻訳されている。たとえば、こんな風に・・・・。

  倉庫での試し塗り作業  → Testing an earth mixture    p9

  柱と梁が作る線を境に漆喰壁と土壁が塗り分けられている。この縁より外
  にあるのは風化を受け入れる庭園要素であり、待庵もその一部に位置づけ
  られている。
  The columns and beams define the border between the earth wall and
  the plaster wall. Every element outside of this line, including the
  teahouse, undergo weathering.       p22

 外国人向けのガイドブックにもなっている対訳本の一種でもある。この点も少し異色である。ひょっとすると、外国人の方が日本の寺社仏閣や日本の近代建築の「土壁」というものに、一般の日本人以上に興味・関心を持っているかもしれない。

 また、副産物として、土壁について外国人に英語で説明するとしたらどういう語彙を使いどのように表現するとわかりやすいのか、ということを学ぶ実践英語学習書になっている。微妙な表現の主旨を分かりやすく伝えるのにも参考になる本である。
こんな和文説明がその一例といえる。この文意を即座に英語で通訳できたらスゴイな・・・と思ってしまう。

  白く光っていると思っていた障子の中に徐々に色が見えてくる。竹小舞を通した
  光の干渉作用で、うっすらと緑とピンクが小舞の影の上下に現れる。
  Subtle green and pink hues gradually appear in the shadows of bamboo
  grills upon the white-lit Shoji.    p45

  縁は庭の中でひときわ蔭に占められた場所ということになる。
  The breezy En is the most shaded space in the garden.     p90

4.142ページというボリュームの本だが、中表紙・京都土塁マップ・もくじで6ページ、本文中の英語での翻訳文だけのページが15ページあるので、日本文の本としては実質121ページになる。
 13の建築物には見出しページを兼ねて、簡潔な観光案内風の説明文が載っている。
 写真中心なので、写真集といっていい位だが、写真には小文が付されている。そして、その建築物の土壁の特徴や施工法についての説明文が職人的視点からわかりやすく説明されていて、11の建築物にはイラスト図だけのページが各1ページは入っている。さらに、「土壁コラム」のページが5ページある。
 つまり、写真+小文がメインで文章だけのページは少ない。なかなか盛りだくさんな点も異色といえるかもしれない。

5.「土壁」観がきっちりと説明されている点が読ませどころである。一般観光案内書にはここまでの説明は勿論ない。土壁案内に徹するからこその魅力発信として、やはり異色だと思う。理解した主要点を箇条書きにしておきたい。具体的内容は末尾のページをご一読願いたい。

*左官技術は原始的で、時間と距離を超えた普遍性を持つ。素材の原理を掴み取ることが大事である。   p10
*白い壁は文化を広めるキャンバスの役割を果たしてきた。  p18
*身近な材料の利用による工程の徹底的簡素化の一方で、壁の強度強化の工夫がなされている。また、版築塀は最も原始的な工法である。  p25,p34
*土蔵建築だけ左官職人が主役となれる。あとは大工の棟梁が建築を仕切る。p40
*土壁には美的センスが重要な要素となる。 p52
*瓦と土を交互に積む工法の練り塀にはリサイクルの真髄が見られる。 p63,p86
*島原の角屋では、京都の左官技術の最高峰の様々な仕事を堪能できる。その一つ、大津磨きは日本の左官職人が手がけてみたいと夢見る、憧れの技術である。 p75-76,p80
*数寄屋建築の「水ごね仕上げ」の土壁は、京都御苑の拾翠亭を見よ。蛍壁。 p95
*筋塀の典型は京都御所の塀。版築造。漆喰仕上げの筋と聚楽土水ごね仕上げ。 p104
*塀の仕事の善し悪しは、朝夕の時間帯に眺めるとよくわかる。 p104
*土蔵の扉は専門職「戸前職人」の仕事。下御霊神社には見事な漆喰彫刻が残る。p111
*ぱらり壁は消石灰に加える石灰の粒の大きさ、密度でまったく表情がことなる壁に仕上げることができる技法である。  p114
*祇園一力亭の赤壁(ベンガラ壁)は、巧みに非日常空間を演出している。 p123
*明治期に導入された洋館に、日本の左官職人は漆喰彫刻による室内装飾を実施。引き型という創意工夫を導入。その典型が祇園円山公園の長楽館室内に残る。 p132
*土壁の魅力は、存在する環境における時間軸の広がり、また、外部からの侵入を防ぐ強さと屋根で保護する必要のある弱さの共存にある。  p139
*多様な土壁の存在は、「人間の生活を湿度の取り扱いを軸に組み立て直すことができるかもしれない」という発想を生む。  p140

 写真とイラスト図を眺めるだけでも楽しめる。京都のもつ魅力発信本、異色の一冊といえる。

 ご一読ありがとうございます。

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関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

補遺
「塚本さん、森田さんの京都土壁探訪記」のページ
  出版社の編集部が京都での取材の模様をホームページでレポートしている。
アトリエ・ワン ホームページ
アトリエ・ワン  :ウィキペディア
森田一弥建築設計事務所 ホームページ
森田 一弥  :「神楽岡工作公司」
京都府の現代の名工(京都府優秀技能者表彰受賞者) 浅原雄三
   :「京都 現代の職人技ネット」

土壁  :「コトバンク」
土壁  pdfファイル
土壁の魅力 そもそも話 :「職人がつくる木の家ネット」
土壁塗り :「VINICE CLUB ヴィニーチェ・クラブ」
[左官] 浅原さんの使う左官素材(2)  pdfファイル :「京都府建築士会」
プロフェッショナル左官の仕事DVD  :「日本左官業組合連合会青年部」
なぜ酒を入れるのか 漆喰の<レシピ> 「城踏」No.89 pdfファイル
高知 二十日会「第3回土佐漆喰講習会」開催 :「石灰と土のソムリエ雑記」


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