遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『撃つ薔薇 AD2023 涼子』 大沢在昌  光文社文庫

2016-03-13 13:47:49 | レビュー
 この文庫本のカバーは、2001年10月に初版1刷として出版されたものである。雑誌連載され、1999年に単行本化を経て文庫に入ったようだ。2016年1月には文庫本・新装版が出版されている。この作品は、もともと、ドリーム・キャスト用ゲームソフト「UNDER COVER」の小説版として構想されたが、オリジナルな物語として作品化され、ゲームソフトの発売前に出版されたという経緯があるようだ。
 西暦2023年という近未来に起きる潜入捜査を扱ったハードボイルド小説である。
 舞台は東京。涼子は3年間の捜査三課勤務経験の後、巡査部長に昇級し、刑事部捜査第四課特殊斑に配属されていた。超美人で数カ国語を使えるという凄腕刑事である。美しい薔薇のように棘を持つ女刑事でもある。班長の岩永警視から受信の通話請求に対し、庁内コミュニケーションシステムにアクセスし、これからの任務について説明を受けた。それは崔(さい)将軍の組織にロングの潜入捜査を行うというものである。

 崔将軍は3年前に、祖国崩壊を待たずに隠匿していた1トンの阿片を携えて半島を脱出し日本に密かに入国したのである。その阿片を資金源に自分自身の麻薬組織を確立した。そして、将軍はブラックボールの流通組織を作っていたのだ。
 20世紀の終わりに中国でモルヒネの代替薬「黒丸」が発明され、瞬く間に中国国内で広がった。その英訳名がブラックボールである。アメリカ合衆国の提唱で設立された「国際麻薬機関」(INC)はブラックボールの供給者を躍起になって捜査している。INCは崔将軍がブラックボールの密造あるいは密売に関与していると見ていた。日本に流通組織があり、ブラックボールを運ぶ輸送車が日本国内を運行していることは、INCの調査で判明しているのだ。その輸送車がトラックジャックに遭遇している事実がある。
 INCは1年かけて、崔将軍の組織にアンダーカバーを潜入させていた。その人物からINCを通じ警視庁に連絡が入った。組織では、トラックジャック防止の専門家を探しているというのである。
 捜査三課所属の経歴を持つ涼子はトラックジャック捜査の経験を持っていた。そこで、適任者と判断されて、このロングの潜入捜査に関与するか打診されたのだ。岩永警視にこの任務を受託するかどうか決断せよと迫られる。

 INCの調べでは、崔将軍の組織は高度に分業化されている。トラックジャックの防止対策のプロという切り札で、輸送部門組織に潜入し、組織の全容を解明することが目的とされている。どこでブラックボールが作られ、どのように流通しているかをつきとめることである。つまり輸送コンテナの摘発などという短期捜査ではなく、全組織の根絶をINCと警視庁が協力して行うという作戦である。それ故に、ロングの潜入捜査に位置づけられている。

 ここに問題点がある。涼子にはロングの潜入捜査の経験はないこと。INCから送り込まれたアンダーカバーについての情報がゼロであること。崔将軍の組織のどこに、どんな人物がアンダーカバーとして潜入捜査に携わっているのかまったく正体不明なのだ。つまり、その人物の協力は得られないという覚悟で臨まねばならない。
 涼子は任務を応諾する。それによって、涼子の履歴背景が作られていく。また警視庁は涼子の疑装のためにアパートを用意する。

 櫟(くぬぎ)涼子は金在恵という故買屋をガサ入れの時射殺したことで、依願退職により警視庁を辞めたという履歴になっていた。医療用の向精神薬の抜き荷を扱う故買屋まで辿り、その故買屋とは月々の口止め料を契約し受け取っていた。ガサ入れの時に金が生きて逮捕されないように射殺したというシナリオである。トラックジャック捜査経験があるプロで悪徳刑事だったという背景疑装をしたカモフラージュである。

 涼子は崔将軍の分業化された組織の一つである輸送会社のホー課長に接近していく。仕事を引き受け、ホー課長の管理するトラックを狙ったトラックジャックを防止することで実績を上げ、能力を認めさせるというプロセスの展開からストーリーが具体的に動き始める。
 このトラックジャック防衛というストーリー展開は第一段階である。それは涼子が崔将軍に直に会う機会を創出する手段なのだ。だが、まずこのトラックジャック防衛プロセス自体から結構過激なアクションの連続でり、このストーリー展開自体が一つの読ませどころとなっていて、おもしろい。
 トラックジャックには必ず内通者が居るはずという論理を涼子は主唱する。その内通者探索の仕事を引き受けることで、涼子は崔将軍に近づく手段としようとしていく。その試みに対しては、いくつも超えるべき障害が横たわる。その障害を少しずつ排除するための涼子の行動が、ステップアップのプロセスとして描かれていく。勿論それはアクションの連鎖となっていく。
 調査員という立場を獲得して内通者探索を始めた涼子は、龍と名乗る男に助けられる形でと知り合う。そして謎の男、龍と涼子の関係が紆余曲折を経ていくことになる。龍が崔将軍の近くに居る人物ということが見えて来るのだが、純然たる敵の一人なのか、INCのアンダーカバーなのか・・・・。このストーリー展開で、龍の動きが巧妙に描き込まれていく。この涼子の逡巡するプロセスにホー課長が絡んでくるという点で、三者の動きが織り込まれていく。ナイフで平然と人を殺すこともするホー課長の心の動きがおもしろい。この三者三様の思考と心理あたりはなかなか興味深い。涼子の人間味も織り交ぜられて、ほっとする部分もある。
 また、涼子を評価する立場で大佐と少佐が立ちはだかってくる。大佐は崔将軍直属の部下であり、崔将軍を警備する立場で、祖国脱出時点から崔将軍の片腕である。大佐の評価を得なければ、涼子は崔将軍に近づけない。もう一人の少佐も同様に崔将軍の片腕なのだ。大佐と少佐という二人の関門を突き破っていく策略を涼子がどう練っていくか。涼子がどのように突破していくかがもう一つの読ませどころとなっていく。

 この近未来小説で興味深いのは、東京都の変貌である。高島平は老朽化が進み、財政破綻した東京都は改修工事を放棄する。そしてゴーストタウン化しているという設定だ。その一画は不法滞在外国人やホームレスに占拠された状態になっている。そこがトラックジャッカーに利用される拠点となる。高島平ゴーストタウンは、パトロールカーさえ巡回をためらう場所と化している。ここが涼子にとってはトラックジャッカーとの戦闘の場と化していく。
 また、筑地の中央卸売市場は東京湾の臨海区に新しい卸売市場が建設され移転している。そして旧卸売市場は、ロシアやアジア系の食料品市場として再利用されることで、周辺部にはほとんど日本人が居住しなくなって、モスクが建ち、イスラム教徒のメッカと化す。イラン人の他にも、東京にはロシア人、チェチェン人、中国人などそれぞれのマフィアの前線がはびこってきているという状況なのだ。
 荒廃化が進む東京で、悪の集団が入り交じり対立し、抗争する。涼子は少しずつ情報を集めて、徐々に崔将軍に直接アプローチしようと果敢な行動、はなはだ痛快なアクションを繰り返していく。

 遂に、崔将軍に直に会う機会ができたときには、意外な事実が判明していく。
 龍が何者なのかも・・・・。そして、潜入捜査の終結場面は、ハッピーエンドの終わり方ではないという一捻りがある。

 そして、エピローグは2年後のワンシーンである。ここには会話のやりとりが描き込まれている。その一部は、こんなやりとりだ。
 「悪いけどそれは話せないの。それに実は、あまりよく覚えていないのよ」
 「覚えていない?」
 「頭に傷を負ったの」
 「なるほど」
 「ご不満? 何だったら勝負してみる?」
 「いや、やめとこう。俺は李、李建巡査部長だ」
 「李ね。あたしは鮫島ケイ巡査部長よ」
鮫島ケイが李とパートナーを組み、天下の一課に所属する場面で終わる。
 
 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

近未来小説である本書に出てくる事項で関心を抱いた事項を少しネット検索した。一覧にしておいたい。
論説 薬物犯罪に対する国際的取締体制の特質  皆川誠氏 pdfファイル
UNDOC United Nations Office on Drugs and Crime ホームページ
  CND COMMISSION ON NARCOTIC DRUGS VIENNA
国連薬物・犯罪事務所 UNODC :「外務省」
CND :「United Nations Drug Control」
INCB International Narcotics Control Board ホームページ
麻薬取締官    :「厚生労働省 地方厚生局 麻薬取締部」
不正流通する薬物 :「厚生労働省 地方厚生局 麻薬取締部」

筑地市場  :ウィキペディア
これからの筑地  筑地新市場  :「筑地場外市場」
豊洲新市場建設について  :「東京都中央卸売市場」
筑地市場移転問題  :「IWJ INDEPENDENT WEBJOURNAL」
高島平  :ウィキペディア
高島平団地が抱える高齢化問題【東京都・心霊スポット】 :「TrefoBiz」
住み続けたい高島平団地へ 
  高島平団地高齢者地域包括ケア施設ビジョン報告書[概要版]
故買  :「コトバンク」
盗品等関与罪  :ウィキペディア

UNDER COVER AD2025 kei   ゲームレヴユー :「Scrap cliff」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

人気ブログランキングへ

↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


徒然にこの作家の小説を読み、印象記を書き始めた以降のものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。

『海と月の迷路』  毎日新聞社
『獣眼』  徳間書店
『雨の狩人』  幻冬舎