遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『マスカレード・ナイト』  東野圭吾  集英社文庫

2022-01-28 22:00:08 | レビュー
 『マスカレード・ホテル』『マスカレード・イヴ』に続く第3作。三度、ホテル・コルテシア東京が舞台となる。前2作で印象深かったのはベテランのフロントクラーク山岸尚美。その山岸尚美が今回は、コンシェルジェに抜擢されている。彼女は最後にはメイン・ストーリーに関係していくのだが、コンシェルジェとして宿泊客の要望する課題に的確に対応し活躍する姿を描くサイド・ストーリーの部分が興味深い。そのサイド・ストーリーに伏線が張られていたことに、読者は気づくことになる。一方、フロントクラークの山岸の代わりに登場するのが「フロントオフィス・アシスタント・マネジャー」肩書の名刺を警視庁捜査一課の刑事・新田浩介に差し出す氏原祐作である。彼は出世意欲が旺盛な人物。フロントクラークとしてのプロ意識が強い。それが逆に、再びフロントクラークに化けて潜入捜査に携わる新田に対し、直接にはフロント業務に携わらせようとしない行動をとらせることになる。氏原のスタンスは新田にとり都合が良い面と悪い面の両面に作用していく。読者にとってそれがどのように捜査に影響するかという関心とおもしろさになる。
 この第3作は、2017年9月、書き下ろしの単行本として出版され、2020年9月に文庫化されている。

 冒頭は、コンシェルジェとして働く山岸尚美が宿泊客のクレームに対処する場面から始まる。このミニ・サイド・ストーリーがまずおもしろいが、読者にとってはストーリーの展開が分からない。
 事件の発端は、匿名通報ダイヤルからの通報で、練馬区にあるワンルームマンションから独り暮らしの若い女性の他殺死体が発見された。被害者はペットの美容師、所謂トリマーを職業としていた。また、解剖の結果、被害者は妊娠していたと判明。捜査一課の矢口チームがこの「練馬独居女性殺害事件」を捜査していた。そこに、密告状が届いたのである。殺人事件の犯人がホテル・コルテシア東京で12月31日午後11時から開催されるカウントダウン・パーティ会場に現れるので逮捕してください、という密告だった。
 ホテル・コルテシア東京では、過去2回事件が起こっていた。それを担当していたのは、稲垣警部のチームだった。稲垣チームに所属する新田は、再びホテル・コルテシア東京での捜査に巻き込まれていく羽目になる。
 
 このカウントダウン・パーティの正式名称は「ホテル・コルテシア東京年越しカウントダウン・マスカレード・パーティ・ナイト」、通称は「マスカレード・ナイト」であるという。本書のタイトルは、この通称に由来する。

 ホテル・コルテシア東京では年末の恒例行事となっており、好評でリピーターも多いという。パーティへの参加は予約制であり、参加者は全員、顔を隠すという約束事により、仮面を付けた仮装での参加となる。昨年は400名ほどが参加したという。密告通りであれば、殺人犯人は予約をした上で、顔を隠した仮装姿でこのパーティ会場に加わるということになる。潜入捜査をする警察側にとっては、大変な人数である。捜査への負担が大きい。
 新田を巻き込んだホテル・コルテシア東京での潜入捜査は12月28日から始まった。密告通りとすると、大晦日の31日、カウントダウンが始まるまでが犯人逮捕のタイム・リミットになる。密告状の内容が本当なのか? それを本当と仮定するなら、殺人犯人がホテルに現れる理由は何なのか? 予約によるパーティ会場をなぜ選択するのか? 連続殺人事件が企まれているのか? 
 解けない謎を抱えつつ、年末にこのホテルを利用している宿泊者で不審な者の監視、パーティに参加する予約ずみ宿泊者への隠密捜査等、稲垣チームのメンバーを中心に行われる潜入捜査がメイン・ストーリーとして描き出されて行く。

 メイン・ストーリーである潜入捜査のプロセスで、事実と虚構が織り交ぜられた仮装空間である都市ホテルの実情が副産物として描き込まれていく事にもなる。これは、いわばホテルを内側から眺めた視点とも言える。この点は前2作の延長線上でもある。氏原が登場したことにより、少し視点に変化も加わっていて、ホテル利用者とその対応という人間模様が興味深い。
 
 メイン・ストーリーには、もう一つ別の糸口が織り込まれている。所轄から捜査一課に栄転してきた能勢刑事と新田がこの事件を介して、独自に情報共有・意見交換して犯人追究の行動をとる。新田がホテル内潜入捜査で行動範囲を制約されるのに対し、能勢は「練馬独居女性殺害事件」の捜査員として、外回りの捜査に加わっている。能勢・新田二人の読みに基づいた実捜査を能勢が己の担当する捜査に加えて引き受けていく。いわば、搦め手からの犯人絞り込みということになる。新田と能勢は「練馬独居女性殺害事件」と類似の未解決事件が過去になかったかという点に着目し、その捜査を重視した。
 捜査のために新田がホテルに泊まり込み拠点とする場所に、能勢が深夜に現れて捜査情報の交換と討議をする場面が興味深い。そこに「練馬独居女性殺害事件」の捜査の進展状況が反映されていくことにもなる。
 新田と能勢の共同推論をもとにした能勢の実質的な捜査行動が犯人像に肉迫する重要な突破口となっていく。このプロセスが読ませどころの一つである。

 山岸尚美は今回、いわば事件に関しては間接的に新田と情報交換をする立場になる。ここが前2作と大きく異なるところ。だが、その山岸が、やはり結果的には危機的状況に巻き込まれていく。その巻き込まれ方が読者をハラハラさせる読ませどころになる。
 山岸が、サイド・ストーリーとして活躍すると上記した。それは、このストーリーの攪乱要因になるとともに、そこには重要な伏線が敷かれていることをお楽しみいただきたい。最終ステージでやっとその伏線が分かるというところが巧みなところだろう。読者を惑わせる要素が多く織り込まれて行く。サイド・ストーリーは次のような山岸尚美の信念から始まって行く。
 「コンシェルジェは、どんな困難な要求に対してもノーといってはいけないし、逃げてはならないからです。」(p59)

 サイド・ストーリーとして、メイン・ストーリーを攪乱するものが次々と書き込まれている。山岸のとる対応策がすばらしい。それぞれが、ショートストーリーともいえ、読ませどころにもなっていく。いくつも出てくるが、ここには4例ご紹介しよう。
1.東京タワーを眺められることに加え、「部屋の壁に肖像画や人物の写真を飾らないこと」を希望して予約した客が、部屋から見える建物に男性の顔をアップにした巨大なポスターが見えることにクレームを付けた。さてどうする?
  これがこのストーリーの冒頭で、山岸が対処を迫られた宿泊客のクレームだ。
2. ロイヤル・スィートに四泊する日下部篤哉という客が山岸に難題を持ちかけてくる。
  ホテル内のフレンチレストランを貸し切りにして欲しい。二人きりの食事の場を設定し、食事後にサプライズを用意したいという、デザートが終わり、ティータイムに入ったら、ピアノ演奏で「メモリー」という曲を演奏する。明かりはテーブル上のキャンドルの火だけ。キャンドルの火を吹き消した後に、彼女を振り返らせ、彼女の背後にスポットライトを当てる。すると店の出口までレッドカーペットが敷かれていて、紅い薔薇の道ができている。併せて108本の薔薇の花束を準備しておく。花束の中央には指輪を仕込んである。プロポーズした後、薔薇の道を通り二人で退場する。この環境設定をその日の夜に実行したいと日下部は当日の昼頃に山岸に要望した。
ところが、一方、日下部と食事をする予定になっているという女性が山岸を訪れる。そして、日下部が自分にプロポーズするつもりだと思うが、自分はその申し出にイエスと言えない。日下部との最後の食事を楽しみたい。しかし、彼に恥をかかせず、気まずくなることもなく、プロポーズにノーと答える方法を考えて欲しいと言う。虫のいい要望である。ある名称の特別支援学校に勤める教員で狩野妙子という名刺を山岸に渡した。
 さてどうする?
3. 30歳より少し前のカップルが確認したいことがあると山岸に言う。一昨日にチェックイン。昨日は午前に出かけ、ホテルには夜の10時に戻ってきた。部屋の中の彼女のバッグが漁られていた。紛失したものは無かった。バッグの中に入れていたものでお化粧ポーチがバッグの一番下になっていた。そんな入れ方は絶対にしていないという。
 山岸はその状況をハウスキーピングの部署に問い合わせる。ハウスキーピングの際に捜査員が立ち会っていて、その捜査員が荷物に触れたかもしれないと聞く。さてどうする?
4.仲根伸一郎という名前でコーナー・スイートに1月1日までの三泊、二名で予約が入っていた。仲根伸一郎がチェックインする前に、女性がフロントカウンターにやってきた。その女性は宿泊票に仲根緑と記入した。だが、宿泊に見合うデポジットの持ち合わせがないことから、自分のクレジットカードを提示した。氏原が手続きをしている間に、新田はクレジットカードのプリントを確認していた。そのカードは MIDORI MAKIMURA となっていた。その後も仲根伸一郎がチェックインした気配はない。だが、仲根緑はルームサービスをいつも2人分頼んでいた。
 その仲根緑をホテルのラウンジで見かけた日下部は、劇的な別れを経験した翌日に奇跡的な出会いだと言って、この女性を食事に誘いたいので協力してほしいと山岸に要望する。さて、どうする?
 また、仲根緑からは、夕食までに至急に作ってもらいたいものという要望を出される。一枚の誕生日ケーキの写真を見せて、食品サンプルのような本物そっくりの模型のケーキを作ってほしいと言う。今からでは間に合わないとということなら、諦めるけれどと・・・・。さてどうする?

 新田ら稲垣チームの潜入捜査において、タイムリミットが近づく中で、宿泊客の背景情報の確認とホテル内の監視により徐々に不審な人物が絞り込まれていく。勿論、犯人であるかかどうかは定かではないのだが・・・・・。
 このストーリー、様々な攪乱要素が読者の思考を右往左往させていく。それが犯人割り出しに至る関心とおもしろさを引き出す梃子になっている。

 潜入捜査中に新田が聞くことになるホテルマンの視点をいくつか取り上げておこう。
*[氏原]お客様の中には複雑な事情を抱えている方も大勢いらっしゃいます。 p234
    それらを忖度しながら応対するのがホテルマンという仕事です。
*[山岸]お客様にはお客様の事情というものがあるのです。・・・・ならば、その仮面を
    尊重するのがホテルマンの勤めです。  p262
    お客様の仮面が外れたとしても、それに気づかないふりをするのもホテルマン
    の仕事です。 p263
    その思いが強すぎて、お客様との距離を見誤る、なんてことのないようお気を
    つけてください。近すぎ過ぎたら、相手を傷つけてしまうこともあります。p263
 また、山岸が新田に興味深いエピソードをお話していいかと尋ねて語ったことを取り上げておこう。
「ここ数十年で、時計は飛躍的に性格に時を刻むようになりました。少々の安物でも一日に一秒も狂いません。でもその結果、約束の時間に遅れる人が増えた、という説があるのをご存じですか。
 下手に正確な時刻がわかるものですから、ぎりぎりまで時間を自分のために使おうとしてしまうんです。結果、遅刻する。そういう人には、あまり信頼の置けない時計を持たせるといいそうです。遅れているかもしれないと思うから、常に余裕を持って行動しなければなりません。
 時計に頼り過ぎてはいけないのと同様、御自分の感覚だけを頼りにするのは危険です。時間と同様、心の距離感にも余裕が必要だと言いたいのです。」  p263-264
このエピソードは形を変えて、極限の状況にリンクする伏線になっていると本書の読後に思った。それは何かをお楽しみに。

 ご一読いただきありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『仮面山荘殺人事件』  講談社文庫
『白馬山荘殺人事件』  光文社文庫
『放課後』   講談社文庫
『分身』   集英社文庫
『天空の蜂』   講談社文庫

東野圭吾 作品 読後印象記一覧 1版  2021.7.16 時点  26作品


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