遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『天空の蜂』  東野圭吾  講談社文庫

2021-07-16 21:19:55 | レビュー
 錦重工業航空機事業本部が管理する第三格納庫に超大型特殊ヘリコプターが格納されている。防衛庁関係者の前で、ヘリコプターに不備がないことをチェックしてもらう領収飛行(=初飛行)の儀式が行われる当日の早朝、事件が起こる。ヘリコプターが何者かにより、それも遠隔操作で盗み出される。そして、その大型ヘリコプターは、予め何者かにプログラミングされた指示通りに自動航行により、敦賀半島北部の灰木に所在する高速増殖原型炉『新陽』発電所上空に午後8時30分ごろに到る。そして、ドーム形原子炉建物の上空にホバリングした。
 午後8時40分、「天空の蜂」と称する者が、ワープロで作成された通告文を関係各所にファックス送信してきた。それは、関係者各位宛に、「我々は自衛隊ヘリ『ビッグB』を奪った。」という一文から始まる。そして、「新陽」の稼働は停止させず、全国の現在稼働中、停止中の原発すべてを使用不能にせよと要求する。要求が通らなければ、大型ヘリを墜落させると警告する。ヘリには大量の爆発物が積まれていること。ヘリは領収飛行を控え、補助タンクもすべて満タンにしてあった。「我々の計算では、午後二時頃まで飛行が可能なはずである」と記していた。「新陽」発電所を中心に、まさに驚愕クライシスが発生した。このテロ状況にどのように対処できるのか。時間は刻々と過ぎていく。タイムリミットに向けたサスペンスが始まっていく。
 
 この小説、1995年11月に単行本として出版され、1997年11月にノベルスとして刊行された後、1998年11月に文庫化された。2015年に新装版が出ている。
 また、ウィキペディアによれば1996年に第17回吉川英治文学新人賞候補になったという。

 この小説は、原子力発電所及び関連施設の上空は飛行禁止区域であるという法規制に着目した。この規制により、航空機が飛ばないことになっているから、墜落すること自体が発生しない。航空機が落ちてくるという想定が原子力行政の基本的考え方にはない。それを逆手にとった着想が出発点である。この発想、荒唐無稽と笑えようか。現在の科学技術を前提にすると、リアル感に満ちてくるではないか。それがまず第一印象だ。
 日本国外から、原子力発電所をターゲットに航空機あるいはミサイル飛来するとしよう。領空侵犯をする行為であるから、境界を超える前に事態が察知されるはずだ。それに対する対応措置力が現在どこまであるかの問題はあるが、まずそこが一つの防御障壁になる。だが、国内における大型ヘリコプターの飛行という想定には事前対処が難しいだろう。アメリカで発生したあの9.11を連想する。誰も想定していなかった飛行コースではないか。そういう意味で、この小説は、我々の意識、認識における盲点に対する一つのシュミレーションにもなっている気がする。

 このストーリーの構成で興味深い点がいくつかある。
1.用意周到なテロリストの計画遂行に思わぬハプニングの要素が加わる点。
 領収飛行の儀式に、この「Bシステムプロジェクト」推進の中心となった技術者たちが会社の慣例にのっとり、家族を領収飛行の見学者として同行した。技術者の湯原一彰と山下はそれぞれ妻と息子を同行させた。儀式までの待ち時間に、退屈しかつ好奇心の旺盛な小学生の湯原高彦と山下恵太は第三格納庫まで近づき、内部に入れそうなので潜り込んでみる。領収飛行まで駐機されている超大型特殊ヘリコプターの機内に入ることもできた。
 高彦が先に機内から出る。恵太が少し遅れた。そこでちょっといたずら心を起こす。そのとき、この大型ヘリコプターの3つのタービンエンジンが始動し始めたのだ。
 つまり、山下恵太は大型ヘリコプターにひとり残された状態で、「新陽」発電所の上空に運ばれる。「山下恵太」救出対策が、サブストーリーとして織り込まれていく。これがどのような展開となるか・・・・。

2.操縦者が乗っていない大型ヘリコプターが格納庫から自ら出て、飛び去ったことに対し、湯原は推測する。「AFCS(自動航行制御システム)」に何者かが事前に細工をしたのではないかと。高度な知識を持つ人間が犯行に関与していることになる。
 「男」が第三格納庫から500m近く離れた小高い丘の中腹に居て、そこから遠隔操作により格納庫から大型ヘリコプターを引き出し、離陸させた。そして「相棒」に離陸成功を連絡する。この「男」の仕事はここまでだった。読者にはストーリーの流れとして、テロリストはこの男と「相棒」の少なくとも2人といるとわかる。このテロリストの正体が、どのように解明されていくか。
 大型ヘリコプターの性能と特徴を熟知する湯川と山下は、「新陽」発電所に、事態解決への協力に赴く。彼等に何ができるのか。

3.テロリストの人物割り出し捜査がどのように進むか。
 勿論メイン・ストーリーはこの驚愕のクライシスを打開するためにテロリストを如何に早く逮捕するか。そのプロセスと捜査力にかかっている。
 一つは、その状況分析から「Bシステムプロジェクト」の内部関係者にテロリストが含まれている可能性の捜査となる。錦重工業の所在地は愛知県。愛知県警捜査一課特捜班の高坂警部が中心となり、会社関係者への捜査を進める。このプロジェクトに関わる防衛庁側の関係者は防衛庁内の捜査に任される。
 一方、「新陽」発電所のある福井県の県警は、反原発運動活動家や関係者を中心に聞き込み捜査が分担されて広がっていく。室伏と関根という刑事のコンビが登場してくる。
 それぞれの捜査がどのように進み、相互にどのような繋がりが見えてくるのか。それとも混迷が深まるだけなのか。
 地道な捜査の積み重ねのプロセスが読ませどころの一つになっていく。

4.テロリストから通告を突きつけられた政府の対応はどうか。「新陽」発電所を操業している中塚所長以下は大型ヘリコプター墜落を想定した対応策を模索する。「新陽」発電所を組織下に置く炉燃本社の対応は如何なるものか。複数の原子力発電所を受け入れてきた福井県の知事以下行政側はどう対応するのか。驚愕的なクライシスの状況の一端を報道で知らされた一般市民はどのような個別対応を繰り広げるのか。
 いわば三者三様ともいえるそれぞれの思惑が絡んだ対応の違いが描き込まれていく。ここにもまたリアルなシミュレーションが描き出されていると言える。

5.当然ながら、「新陽」発電所の原子炉建屋の構造強度並びに高速増殖炉のメカニズムが大型ヘリコプターの墜落にどれだけ耐えられるのか。どこかに脆弱箇所があるのかどうか。科学的事実の問題が俎上に上ってくる。つまり、この側面は中塚所長たちの対応策に大きく関わってくる。つまり技術的な説明描写が数多く出てくる。これを抜きにしてこのストーリーは成り立たない。
 このストーリー自身の基盤でもある高速増殖炉とは何か。その安全性は?という科学技術的側面が、読者にとっては副産物の情報となる。かつ、原子力発電産業並びに電力問題を考える材料になる。
 少なくとも、高速増殖炉のメカニズムについて無知ではなくなることに。

6.このストーリーのおもしろさは、上記の第2項に記した「相棒」の素性がストーリーの途中で読者には明らかになることである。本名を三島という。三島は携帯電話にかかってきた上司の指示を受け入れる。己の計画を一部修正する。そして「新陽」発電所に赴き、発電所内で防御対策をする一員に加わる。読者を唖然とさせる状況に進展する。発電所の所長、湯川、山下、その他関係者は誰も三島がテロリストとは思いもしない状況が最後の瞬間まで続く。
 一方、三島は発電所内に居て、己の計画を遂行していく。どのように? そこもまた、読ませどころになる。
 三島がなぜテロリストになったのか。それもサブストーリーとして織り込まれていく。
 雲をつかむようなところから始まった捜査活動が重要な事実を突き止める。それが燃料切れによる大型ヘリコプターの墜落というタイムリミットに対して、重要な寄与を果たしていくことになる。山下恵太救出作戦に関わった自衛隊の救助隊員もまた、湯川、山下に重要な情報をもたらすことに。そして、最後のチャンスへの賭が始まる。
 600ページ余に及ぶ長編ストーリー。最後まで読者を惹きつけていく。

 余談だが、原子力発電所に対するテロ行為を扱った小説は少なくとももう一冊ある。
 2014年1月に読んだのだが、高嶋哲夫著『原発クライシス』(集英社文庫)という小説だ。こちらは北陸の日本海に面する竜神崎に続く海岸のほぼ中央に位置する新日本原子力発電所、竜神崎第五原子力発電所を舞台としたストーリー。
 テロの一群-『アルファ』コマンド63名、チェチェン解放戦線42名-が正門を突破して侵入し、意図も簡単に発電所を占拠する。そこからこちらのストーリーが具体的に展開する。
 状況設定が全く違う。だが、この2つの小説は、原子力発電所がテロのターゲットになるという可能性を重要事項として見つめている。
 
 「天空の蜂」と名乗った三島からの最後のファックスに次の一文がある。
「繰り返す。沈黙する群衆に、原子炉のことを忘れさせてはならない。常に意識させ、そして自らの道を選択させるのだ。」
 あなたは、どう思うか。それを考えるシミュレーションになる小説である。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
敦賀廃止措置実証部門 高速増殖原型炉もんじゅ ウエブサイト 
もんじゅ :ウィキペディア
ふげん  :ウィキペディア
新型転換炉原型炉ふげん  :「敦賀市」
「もんじゅ」廃炉計画と「核燃料サイクル」のこれから :「資源エネルギー庁」
軽水炉のしくみ  :「電気事業連合会」
原子炉の種類   :「日本原子力文化財団」
世界の原子力技術の動向を追う 2018-04-25  :「資源エネルギー庁」
福島第一原子力発電所各号機の状況 :「TEPCO 東京電力ホールディングス」
福島第一原子力発電所事故  :ウィキペディア
オート・フライト・コントロール・システム AFCS :「航空実用事典」
DJI GS PRO ドローン自動操縦システム :「SEKIDO」
ドローン 自動航行レッスン :「JDRONE」
完全自動航行を実現したヘリコプタータイプUAV「Sky-Heli」発売開始
             :「TPホールディングス株式会社」
緊急出動に自動操縦ヘリ 米シリコンバレー  :「The Asahi Shimbun GLOBE+」

 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
東野圭吾 作品 読後印象記一覧 1版  2021.7.16 時点  26作品

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『原発クライシス』  高嶋哲夫  集英社文庫



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