2015/01/20(火)晴れ
午前中ネットで情報収集やブログを更新していた。昼近くになって今日もう一泊する事にして、部屋代を払いに行った。序でにレンタル自転車を借りた。欧米系の人用にサドルが高くて、乗り難いので低く調整してもらった。
市場へ昼飯を食べに行くのに、自転車で行った。昨日の学校地区を通って、市場の裏側へ出た。バイクや自転車は外に停めてあるようだったので、北側に回って別の入り口から自転車を持って入った。自転車には鍵が無く、ラオスの人は盗まれる事など無いと思っているようだ。しかし借りもんなので、自分の目に届く所に置きたかった。快餐店では中国人のドライバーと思しき連中が、ビールを飲んでいた。私も早速ビールを注文した。
食後に自転車で郊外に出かけた。市場の北側に真新しいゲストハウスが出来ていたが、営業してるかどうか不明だった。街の東側の道路を北上すると、中国国境に出る。10Kmとの表示があるのでそちらに行ってみた。道路は舗装されており、穴ボコも無く整備された道路だった。中国ナンバーの車が行き来していて、この道路も中国が作ったのか?と思わせる。
街を出ると広々した水田地帯が広がる。そこで大勢の人たちが作業をして居た。何かと思って行って見ると、多分箒の原料となる、葦の穂を水田に広げ乾燥させて居た。それを集めトラックに詰め込む作業をしていたのだった。時々子供達がこの葦の穂を山から取って来るのを見かけたが、それが集められてこうして乾燥させる様だ。この原料は中国方面に運ばれて居たので、そこで製品にされるのだろう。
新しいゲストハウス
郊外は一面の水田
乾燥される葦の穂
新しい穂が運び込まれ
乾燥させて出荷
水田地区を過ぎると、スイカ畑が広がっていた。この季節まだ実は生って居ない。そこを過ぎると道端にバイクが沢山置いてあった。そこを通るとサトウキビの刈り採り作業をして居た。この辺から少し登り坂になって居る様で、ベダルが重く成って来た。時々後ろからトラックがサトウキビを超満載して追い抜いていった。これも中国に運んでいる。製糖工場が中国にあるのだろう。
スイカ畑
サトウキビの刈り採り
トラックに満載して中国方面へ
さらに進むと幾つかの村通り過ぎた。やがで山間に近くなり、一面のバナナのプランテーションが現れた。登りもややきつく成って来たので、国境まで5Kmの地点で国境まで行くのは断念し引き返した。帰りは程んどペダルを踏まず、結構坂道だったと実感した。
幾つかの村を過ぎる
バナナのプランテーション
後5km地点で引き返す
来る時伝統的な集落が有ると看板が有ったので、そちらに行って見た。ダートな道を最後は登りになり、自転車を押して行った。その向こうがアカ族の村だった。村の中を進んで行くと、大勢で大工仕事をしていた。柱を削るのに墨付きで線を引き、山刀で削っていた。鉋は使わないのかと身振りで聞くと、別の作業場でして居ると言う。行って見ると、荒削りした柱を電動鉋で削って居た。日本の大工と同じで、手作業の鉋じゃ無いんだ・・・・と実感。何処に家を建てるのか訊くと、側の家を指す。この家の柱を交換する様だった。
アカ族の村への標識
アカ族の村
大勢で大工仕事
仕上げは電動鉋だった
この家の改築?
往復2時間程のサイクリングを終えて宿に戻り、喉が渇いたのでビールを飲んで一息着いた。
今日は晴れて暑くなった。これなら緩いお湯でもシャワーが浴びられそうだった。久しぶり(4日振り)にシャワーを浴び頭を洗って、着替えもしてさっぱりした。
夕方まで笛を吹きながら、ノンビリ過ごした。泊まっているフランス人と思しき女性が笛の音を聞いて話しかけてきた。日本にも行った事があるそうで、埼玉に住んでいるといったら、鎌倉や千葉の名前が出てきた。
夕食は昨夜と同様ナイトマーケトで、惣菜とカオニャーオ(おこわ)を買って来た。ツマミに良さそうな小魚の串焼きを見つけた。それと菜の花の合い物を買った。
夕食のオカズ
ナイトマーケット近くの宝くじ屋
8時頃までベランダで食べながら、ビールとラオラーオ(焼酎)を飲んで過ごした。それ以後は寒く生って来たのでベッドに入り、ブログや日記付けをして11時半に寝た。
午前中ネットで情報収集やブログを更新していた。昼近くになって今日もう一泊する事にして、部屋代を払いに行った。序でにレンタル自転車を借りた。欧米系の人用にサドルが高くて、乗り難いので低く調整してもらった。
市場へ昼飯を食べに行くのに、自転車で行った。昨日の学校地区を通って、市場の裏側へ出た。バイクや自転車は外に停めてあるようだったので、北側に回って別の入り口から自転車を持って入った。自転車には鍵が無く、ラオスの人は盗まれる事など無いと思っているようだ。しかし借りもんなので、自分の目に届く所に置きたかった。快餐店では中国人のドライバーと思しき連中が、ビールを飲んでいた。私も早速ビールを注文した。
食後に自転車で郊外に出かけた。市場の北側に真新しいゲストハウスが出来ていたが、営業してるかどうか不明だった。街の東側の道路を北上すると、中国国境に出る。10Kmとの表示があるのでそちらに行ってみた。道路は舗装されており、穴ボコも無く整備された道路だった。中国ナンバーの車が行き来していて、この道路も中国が作ったのか?と思わせる。
街を出ると広々した水田地帯が広がる。そこで大勢の人たちが作業をして居た。何かと思って行って見ると、多分箒の原料となる、葦の穂を水田に広げ乾燥させて居た。それを集めトラックに詰め込む作業をしていたのだった。時々子供達がこの葦の穂を山から取って来るのを見かけたが、それが集められてこうして乾燥させる様だ。この原料は中国方面に運ばれて居たので、そこで製品にされるのだろう。
新しいゲストハウス
郊外は一面の水田
乾燥される葦の穂
新しい穂が運び込まれ
乾燥させて出荷
水田地区を過ぎると、スイカ畑が広がっていた。この季節まだ実は生って居ない。そこを過ぎると道端にバイクが沢山置いてあった。そこを通るとサトウキビの刈り採り作業をして居た。この辺から少し登り坂になって居る様で、ベダルが重く成って来た。時々後ろからトラックがサトウキビを超満載して追い抜いていった。これも中国に運んでいる。製糖工場が中国にあるのだろう。
スイカ畑
サトウキビの刈り採り
トラックに満載して中国方面へ
さらに進むと幾つかの村通り過ぎた。やがで山間に近くなり、一面のバナナのプランテーションが現れた。登りもややきつく成って来たので、国境まで5Kmの地点で国境まで行くのは断念し引き返した。帰りは程んどペダルを踏まず、結構坂道だったと実感した。
幾つかの村を過ぎる
バナナのプランテーション
後5km地点で引き返す
来る時伝統的な集落が有ると看板が有ったので、そちらに行って見た。ダートな道を最後は登りになり、自転車を押して行った。その向こうがアカ族の村だった。村の中を進んで行くと、大勢で大工仕事をしていた。柱を削るのに墨付きで線を引き、山刀で削っていた。鉋は使わないのかと身振りで聞くと、別の作業場でして居ると言う。行って見ると、荒削りした柱を電動鉋で削って居た。日本の大工と同じで、手作業の鉋じゃ無いんだ・・・・と実感。何処に家を建てるのか訊くと、側の家を指す。この家の柱を交換する様だった。
アカ族の村への標識
アカ族の村
大勢で大工仕事
仕上げは電動鉋だった
この家の改築?
往復2時間程のサイクリングを終えて宿に戻り、喉が渇いたのでビールを飲んで一息着いた。
今日は晴れて暑くなった。これなら緩いお湯でもシャワーが浴びられそうだった。久しぶり(4日振り)にシャワーを浴び頭を洗って、着替えもしてさっぱりした。
夕方まで笛を吹きながら、ノンビリ過ごした。泊まっているフランス人と思しき女性が笛の音を聞いて話しかけてきた。日本にも行った事があるそうで、埼玉に住んでいるといったら、鎌倉や千葉の名前が出てきた。
夕食は昨夜と同様ナイトマーケトで、惣菜とカオニャーオ(おこわ)を買って来た。ツマミに良さそうな小魚の串焼きを見つけた。それと菜の花の合い物を買った。
夕食のオカズ
ナイトマーケット近くの宝くじ屋
8時頃までベランダで食べながら、ビールとラオラーオ(焼酎)を飲んで過ごした。それ以後は寒く生って来たのでベッドに入り、ブログや日記付けをして11時半に寝た。
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