テクノロジーの進歩によって眠りながらに見る夢は、好きなジャンルを選べるようになったという話がある。
話は変わる。
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現実を夢のように仕立てるという方法がある。
例えば、それはやたらとテキパキと動くという方法だ。
例えば、1日の内にオリンピックを3回開催してみる。それはもう大変な忙しさだ。バタバタとした過密は、言葉を置き換えると充実にもなる。そして、1日の終わりに振り返った時、朝の記憶はまるで10年も昔の出来事のようにも思えるではないか。それは少し無理をして(イベント)を詰め込んだ効果と言える。
これはやや極端な例だが、重要なのは「色々あった感」である。映画の筋立て、コース料理、無理気味な旅行スケジュールなどは、この手法を利用して充実(満足感)を演出しているとも言える。
これにはよいことが2つある。1つは「色々あった感」を得られること。もう1つはその中にミスが含まれていたとしても、1つ1つの傷は小さくなるということだ。(多くの記憶、情報処理の限界のため)
普通ならば多くの時間を要することを小さな時間の中に凝縮すると、人は夢を見ているような感覚になりやすい。(中には悪い夢もある)
外食や旅行はともかく、環境を変えることは勇気がいる。
もしも一歩踏み出すことが恐ろしくてたまらないなら、思い切って十歩出てみる。百歩出てみる。夢の中の冒険者になったように。
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夢への誘導「電車の中なら眠れるのに」
夢への旅立ちの前に布団の上で寝返りを打つ。すぐそこにあるはずなのに、なかなか届かないことは苦しい。目を閉じながらあの心地よい電車を思い出そう。
窓の向こうで手を振る人がいる。トンネルに入る。明かりの色が少し変わったように思える。窓が開いている。海岸沿いを行く。潮風が入ってくる。カーテンが揺れる。子供が泣いている。お菓子を食べて早くおやすみよ。シートが揺れている。
夢現の境界線。微動は自分で作り出せる。
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