白い紐に躓かないように、僕は慎重に階段を上がったけれど、3階のドアが開いているのが目に入った瞬間躓いてしまう。あっ。録音中のテープが止まってしまったね。おじさんも目を覚ましてしまって、事態は深刻な局面を迎えたようだ。僕の足が、とても精密な機械を壊してしまった。これはいくらするの? おじさんは、怖い顔で500万だと言った。途方もなく高い巨木が、その瞬間僕の目の前に伸びていた。一生かけても登ることはできないだろう。それが僕の背負った罪に違いなかった。風がどこからともなく吹きつけて、枝が無数の悲鳴を上げているのが聞こえた。畳に肘をついて、おじさんは寝そべっていた。「さてと……」視線は、畳の上の一点にただ留まっていた。けれども、ただそうしているだけで、畳の一点は熱を帯びやがて変色して煙を上げ始めたのだった。そして、灰色の煙はだんだんと僕を追いかけるように、迫ってきたけれど、僕は泣くことも逃げ出すこともできないのだった。
指定された教室は、行ったことのない民家だった。もう先に何人かの子が来ていたけれど、僕はどこに座っていいかもわからずテーブルの角にぶら下がっていた。見たことのない先生がやってきて、みんなに牛乳と原稿用紙を配った。「今日のテーマは失敗ですよ」長い黒髪を後ろにかき上げながら、先生は言った。牛乳を飲む内に、他の者もバラバラに集まってきた。よく見る顔のようでもあったが、ただ似ているだけで違う顔のようでもあった。誰もみな大人しく、聞こえてくるのは鉛筆が取り出される音と、喉を牛乳が通る音だけだった。失敗……。漠然としたテーマが、遠くにある青空や紅葉のように寂しく思えた。僕は牛乳を一気に飲んで立ち上がった。瓶が透明になったから捨てに行くのだ。
駅は、陽だまりの中だった。「まだ太陽は途中です」と見知らぬ少女は言った。僕は地図を持つように原稿用紙を持って壁に寄りかかっていた。杖をついたお婆さんが、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。「お婆ちゃんが戻ってくると、ケンちゃんも戻ってくるのです」と少女は言った。そして、お婆さんの後ろから小さな男の子が駆けて来た。「ほら、ほら、危ない」けれども、男の子は緩まなかった。手には石ころを握り締めている。僕のすぐ傍までやってきて、僕を数秒見つめると、間違いに気がついたように、あるいは何かを発見したように、手にした石で壁を打ち始めた。かんかんと異常を知らせるような音がするがケンちゃんは、少しもうるさくないようだった。お婆さんは、まだゆっくりと近づいている。激しく打ちつける内に石は少しずつ欠けて、小さくなり、その音も少しずつ変わっていった。音に吸い寄せられるように、お婆さんは近づいてくる。「テレビの真似をしてね……」説明を求められたように言った。石は研ぎ澄まされて、楽器から筆記用具へと今は変化した。「ケンちゃんは、芸術家です」と少女は言った。お婆さんの呼びかけに振り返ることもなく、真っ直ぐに前を向いて、男の子は壁画を描いていた。象のような、木のような、波のような、人のような、歌のような、何かが延々と描かれた。「何?」問いかけると、「何?」と笑って答えた。
民家に戻ると先生は、みんなの原稿用紙を集めていた。僕はまだ名前だけしか書いてなかったけれど、構わずその中へ滑り込ませてしまった。どうせ、なかったことになるのだから、消えてしまうのだから。「のぞむくん、後はお願いしますね」みんなの作品をまとめて文集にするようにと先生は言った。笑っているのに眼の奥では尖った石が踊っているのが見えた。抱え切れない課題が、僕の手の中に押し付けられ溢れ出し、今にもバラバラになりそうだった。まとめ切れない失敗の束を抱えて、どこへ進めばいいのか、また戻ればいいのかわからなかった。「最後は、黒い紐を通さないと!」みんなが一斉に、何かを正そうとする声が僕を取り囲んでいた。
指定された教室は、行ったことのない民家だった。もう先に何人かの子が来ていたけれど、僕はどこに座っていいかもわからずテーブルの角にぶら下がっていた。見たことのない先生がやってきて、みんなに牛乳と原稿用紙を配った。「今日のテーマは失敗ですよ」長い黒髪を後ろにかき上げながら、先生は言った。牛乳を飲む内に、他の者もバラバラに集まってきた。よく見る顔のようでもあったが、ただ似ているだけで違う顔のようでもあった。誰もみな大人しく、聞こえてくるのは鉛筆が取り出される音と、喉を牛乳が通る音だけだった。失敗……。漠然としたテーマが、遠くにある青空や紅葉のように寂しく思えた。僕は牛乳を一気に飲んで立ち上がった。瓶が透明になったから捨てに行くのだ。
駅は、陽だまりの中だった。「まだ太陽は途中です」と見知らぬ少女は言った。僕は地図を持つように原稿用紙を持って壁に寄りかかっていた。杖をついたお婆さんが、ゆっくりと歩いてくるのが見えた。「お婆ちゃんが戻ってくると、ケンちゃんも戻ってくるのです」と少女は言った。そして、お婆さんの後ろから小さな男の子が駆けて来た。「ほら、ほら、危ない」けれども、男の子は緩まなかった。手には石ころを握り締めている。僕のすぐ傍までやってきて、僕を数秒見つめると、間違いに気がついたように、あるいは何かを発見したように、手にした石で壁を打ち始めた。かんかんと異常を知らせるような音がするがケンちゃんは、少しもうるさくないようだった。お婆さんは、まだゆっくりと近づいている。激しく打ちつける内に石は少しずつ欠けて、小さくなり、その音も少しずつ変わっていった。音に吸い寄せられるように、お婆さんは近づいてくる。「テレビの真似をしてね……」説明を求められたように言った。石は研ぎ澄まされて、楽器から筆記用具へと今は変化した。「ケンちゃんは、芸術家です」と少女は言った。お婆さんの呼びかけに振り返ることもなく、真っ直ぐに前を向いて、男の子は壁画を描いていた。象のような、木のような、波のような、人のような、歌のような、何かが延々と描かれた。「何?」問いかけると、「何?」と笑って答えた。
民家に戻ると先生は、みんなの原稿用紙を集めていた。僕はまだ名前だけしか書いてなかったけれど、構わずその中へ滑り込ませてしまった。どうせ、なかったことになるのだから、消えてしまうのだから。「のぞむくん、後はお願いしますね」みんなの作品をまとめて文集にするようにと先生は言った。笑っているのに眼の奥では尖った石が踊っているのが見えた。抱え切れない課題が、僕の手の中に押し付けられ溢れ出し、今にもバラバラになりそうだった。まとめ切れない失敗の束を抱えて、どこへ進めばいいのか、また戻ればいいのかわからなかった。「最後は、黒い紐を通さないと!」みんなが一斉に、何かを正そうとする声が僕を取り囲んでいた。
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