眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

キミのいる世界

2009-03-26 08:39:34 | 猫の瞳で雨は踊る
ひとりまたひとりと休みはじめてから何日かが経った。
とうとう少年も、休むことになった。少年は、深く深く休んだ。

「誰と来たの?」
「冬と」
女は言った。
雪の中から犬がやってきて、少年に飛びかかろうとしたが、白い女を見つけると炎の停止線に触れたように止まった。勢いよく後ろ足で大地を蹴った。交じり合う白と黒は明後日の方向に舞う。
「犬はあついから苦手」女は少年の背に隠れ込んだ。

「熱が下がらないわね」
誰かが、少年の額に触れた。少年の母だった。
少年の頭を持ち上げると、氷の枕をそっと差し入れた。

また逢えた。少年は雪の中でつぶやいた。
「あなたが憶えていてくれたからよ」
木馬の行進が、二人の間を遮った。就業時間に急ぐ朝の人々のように無の表情を保ったまま、ひとときも迷うことなくそれは進んだ。
途絶えることのない行進の中で、みるみる白く染まってゆく木馬たちを、少年は黙って見ていた。木馬も、その向こうにいるはずの女も、誰も何も言わなかった。
「大丈夫?」問いかけても、何もきこえない。
少年は、木馬を飛び越えようと手をかけた。けれども、次の瞬間に木馬は木馬でも馬でもなくあたたかい獣だった。そして、獣の背は、鋼鉄の棘で覆われていた。流血と悲鳴の中で、少年は振り落とされた。

「わるい夢を見たのね」
不自然に傾いた少年の体を、母は抱きかかえて直した。
ベッドから落ちた布団を拾って、再びかけた。

「助けてくれたの?」
「死んだら夢の中には戻れないのよ」
ベッドに横たわる少年を覗き込むように、女は言った。
どっさりと盛られたいちごを、少年の頭の横に置いた。地の奥の意思のように赤い。
「私の名前はユキ」
少年が最初に見た時よりも、ユキは、随分と小さくなっていた。
いちごの上にミルクを注ぐ。それを見ているうちに、少年は夢見心地になった。

「いつになったら目を覚ますのかしら?」
母は、心配そうに少年の顔を覗き込んだ。
ほんの一瞬、少年の口が誰かと会話するように動いた。

ユキは、少年に本を読んで聞かせた。
「昔々、あるところに役人の村がありました。およそ千人の村でした。
その隣には仙人の村があり、およそ百人の仙人が住んでいました。
けれども、その隣にも村があったのでした。
隣の村は、100年に一度の不幸に100回続けて襲われて、村人たちは元気がありませんでした。
だから村の若者たちは、次々とボート化して海へ出て行きました。
その頃、村長さんは家でゆっくりと年賀状を書いていました。」
「ごめん。寝てた。
せっかく、読んでくれていたのに」
「いいのよ。また戻ればいいんだから」
ユキは、明るい声で言った。
そうして何度か、物語の中を行き来して、その度ユキは繰り返した。
「いいのよ。何度でも戻ればいいんだから。
憶えているところまで」
ユキは、本を決して閉じることはなかった。
「新しい年が明けると、隣の村を次々と不幸が襲いました。
人々は必死になって豆をかき集めました。
なんとしても生きなければならなかったからです。」
夢の向こうの少年に向かって、読み続けた。

「食べなきゃダメよ」
いちごを抱えた女が繰り返していた。少年の母だった。
「食べなきゃ治らないんだから」

少年もボートになり、気まぐれな若さと情熱の赴くままに旅立った。
ユキはオールとなってボートを操った。終わりのない夜の中を、空っぽのボートは月を追いかけて進んだ。狂った波に呑み込まれて唯一の月を見失うたびに、ユキは完全なる占い師のように少年に月の居場所を思い出させた。
「なんでキミは優しいの?」
「あなたが望んだ世界だからよ」
「僕と、ずっと一緒にいてほしい」
「私は何も残せないわ。なぜなら……」
月が巨大な梨のように艶やかに、今にもそれは落ちそうに近づいていた。海はその迫力に押されて静まり返り、波打つことさえ忘れて、ゆっくりと服従の時を待っているようだった。時の流れを教えるように、灰色の雲が忙しなく動く。
いつの間にか、ボートの上には一匹の黒猫が住みついており、梨の白さにじっと目を見開いていた。
「キミのいない世界なんて」
「私のいる世界は幻よ」
猫の瞳に吸い込まれて、月は消えてしまった。

「すっかり熱も下がったようね」
「明日は、もう大丈夫ね」念を押すように母が言った。
少年は、力なく頷きベッドに潜り込んだ。

「キミのいる世界が幻なら
僕は幻の中で生きたいと願う」
「本当の願いは、消えた瞬間に叶うものよ」
「また逢えるよね」
「本当の世界が、あなたを待っているわ」
「だめだ。行かないで。僕はまだ病気だ」
「いいえ、あなたはもう大丈夫」



  *

長い休みを終えて、少年は家を出た。
今まで何度も通ってきた道だったが、どうしても思い出すことができなかった。
学校に行く途中、少年は迷い道に入り込んでしまった。

「こっちだよ」

猫は、ずっと少年を見つめていた。
少年の夢も知っていたし、少年をユキの元へ案内することもできたのだ。

「こっちだよ」

けれども、少年は猫の言うことに耳を貸そうとはしなかった。
それどころか太陽に向かって、今後の行き先を相談していたのだ。
猫は、歌い出したい気持ちになった。


雲は雲と集まって
ささやきあった
けれど言葉は生まれない

あんたとこおいで
もっといっぱい
つれておいで

けれど言葉は
まだ生まれない

ゆらゆら風の
メッセージ

友と友と落ち合って
ひさびさあった
けれど言葉は生まれない

あんたとおもって
もっといっぱい
つけておいて

されど言葉は
まだ生まれない

ひらひら雪の
メッセージ

雲と友は似ていると
春風が吹いたら
もっともそれは
本当らしいね

どうやらね

がやがやね


少年は、少年の道を歩いて行った。
猫は、もう少年に干渉することをやめた。
新しい歌を、また歌い始めた。


あの道この道
どこまでも

続いていくのは
道だから

キミは僕より
道を選ぶ

一度だって
振り向かないのは
ずっと前を見ているから

だけど雲は知っている
見送る瞳があったこと

どの道キミは
行くのだろう

去っていくのは
人だから

キミは愛より
道を選ぶ

ひとときさえ
キミ止まらなかった
止まらなかったもう

だけど雲は知っている
見送る瞳で踊ったもの

雲は雲と集まって
ささやきあった
けれど言葉は生まれない

雲と友は似ていると
春風が吹いたら
もっともそれは
もっともらしいね

どうやらね

がやがやね


猫は、歌いながら、自分の歌声に聴き入っていた。
そして、気がつくと意識のない世界の中に入っていた。
猫の歌を、雨がしっとりと引き継いだ。




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