そのカフェはどこにもなかった。
どこにもないカフェを目指してどこまでも歩いていると、突然雪が降り始めた。
立ち止まって雪を見上げていると、雪の白さに吸い込まれていって天地がすっかりひっくり返ってしまった。
私は空へ落ちて、落ちて、落ちて、ようやく入り口にたどり着いたのだった。
「いらっしゃいませ」と雪の中から声がした。
私は天空のカフェの中の不安定なテーブルの上で、いつものように本を開いた。
オレンジの光が、薄っすらと差し込んできた。
★ ★ ★
「うさぎさん、みかんをおくれ」
「私はうさぎじゃない。雪ダルマだ」
雪ダルマは、両手で頭の上にみかんを押さえながら言った。
「耳のような手なんだね」
雪ダルマは鼻で笑った。
「雪ダルマさん、みかんをおくれよ」
男は言いなおしてみたが、雪ダルマは無言のまま動かなかった。
床の上に敷かれた赤い絨毯の上に座布団を三枚重ね更にその上に黄色いハンカチを敷いた上に悠々と座っている。
「あなたはずいぶんと偉いお方なんでしょう?
一つ私の願いを聞いてもらえないだろうか」
男は、床に膝を着きながら雪ダルマの顔色を窺った。
雪ダルマは顔色一つ変えずに、けれどもようやく口を開いた。
「何だね人間。聞くだけなら聞いてもいいぞ」
「あなたの頭の上にあるみかんを私にください」
「嫌だね」
雪ダルマは、いっそう強く頭の上のみかんを押さえるようにして言った。
「どうか他を当たってくれ」
「いま食べたいんだ」
「どうしていまなんだ? 今度にしろ」
「どうしてもいま食べたいんだ」
男は、少しも引き下がろうとしなかった。
「みかんならどこにでもあるだろう。さっさと行きな」
「そのみかんがいいんだ。そのみかんは世界に一つしかない」
「どこにでもあるみかんである。人間よ」
「でもそのみかんは、ここにしかありません」
雪ダルマは、執拗なお願いに少し顔を曇らせた。
「やっぱりだめだな」
「私からみかんを取ったら、私はただの雪ダルマ」
「そうなると……」
雪ダルマは、その結論にたどる道を思い描いて身震いしているようだった。
「みかんなんてどこにでもあるだろう」
先ほどと同じ台詞を述べたのは、今度は人間だった。
「どうしてそんなに、私のみかんにこだわる?」
「こだわっているのはあなたの方では?」
「拒否するのは当然の権利ではないか」
権利と言う時、雪ダルマは少し噛みそうになったが男は微動だにしなかった。
けれども、その時、時計の中から鳩が現れて三度歌った。
「人間。いいかげんにあきらめよ」
「少し休憩にしよう」
男はポケットに手を入れながら歩いて行った。
ホットコーヒーとコーラを持って男は戻ってきた。
どちらでも好きな方をと言いながら、雪頭の前に差し出した。
雪ダルマはコーヒーを選んだ。
片手で注意深くみかんを押さえながら、ジュッと音を立てながらコーヒーを口に運ぶ。
「そうは行くかよ」
湯気を上げながら、雪ダルマは得意気に言った。
「コーラの方を選ばせて、私が溶けてなくなって……」
「それから残ったみかんを」
雪ダルマは早口でまくし立てながら、笑った。
「いかにも人間の考えそうなことだ」
男は押し黙ったままコーラを飲んでいた。
★ ★ ★
不安定なテーブルの上で、逆さまになったカップを持っているが、ココアは少しも零れることはない。
すべてが不安定でありすべてが逆さまな状態というのは、逆に調和がとれているのであり、周りの客もみなふわふわと揺れ落ち着いているのだった。どこにもないカフェの中は、どこよりも赤く白く黒く青く透明に澄んでいた。
雪の化身たちが、星について囁きあっている。
どこにもないカフェを目指してどこまでも歩いていると、突然雪が降り始めた。
立ち止まって雪を見上げていると、雪の白さに吸い込まれていって天地がすっかりひっくり返ってしまった。
私は空へ落ちて、落ちて、落ちて、ようやく入り口にたどり着いたのだった。
「いらっしゃいませ」と雪の中から声がした。
私は天空のカフェの中の不安定なテーブルの上で、いつものように本を開いた。
オレンジの光が、薄っすらと差し込んできた。
★ ★ ★
「うさぎさん、みかんをおくれ」
「私はうさぎじゃない。雪ダルマだ」
雪ダルマは、両手で頭の上にみかんを押さえながら言った。
「耳のような手なんだね」
雪ダルマは鼻で笑った。
「雪ダルマさん、みかんをおくれよ」
男は言いなおしてみたが、雪ダルマは無言のまま動かなかった。
床の上に敷かれた赤い絨毯の上に座布団を三枚重ね更にその上に黄色いハンカチを敷いた上に悠々と座っている。
「あなたはずいぶんと偉いお方なんでしょう?
一つ私の願いを聞いてもらえないだろうか」
男は、床に膝を着きながら雪ダルマの顔色を窺った。
雪ダルマは顔色一つ変えずに、けれどもようやく口を開いた。
「何だね人間。聞くだけなら聞いてもいいぞ」
「あなたの頭の上にあるみかんを私にください」
「嫌だね」
雪ダルマは、いっそう強く頭の上のみかんを押さえるようにして言った。
「どうか他を当たってくれ」
「いま食べたいんだ」
「どうしていまなんだ? 今度にしろ」
「どうしてもいま食べたいんだ」
男は、少しも引き下がろうとしなかった。
「みかんならどこにでもあるだろう。さっさと行きな」
「そのみかんがいいんだ。そのみかんは世界に一つしかない」
「どこにでもあるみかんである。人間よ」
「でもそのみかんは、ここにしかありません」
雪ダルマは、執拗なお願いに少し顔を曇らせた。
「やっぱりだめだな」
「私からみかんを取ったら、私はただの雪ダルマ」
「そうなると……」
雪ダルマは、その結論にたどる道を思い描いて身震いしているようだった。
「みかんなんてどこにでもあるだろう」
先ほどと同じ台詞を述べたのは、今度は人間だった。
「どうしてそんなに、私のみかんにこだわる?」
「こだわっているのはあなたの方では?」
「拒否するのは当然の権利ではないか」
権利と言う時、雪ダルマは少し噛みそうになったが男は微動だにしなかった。
けれども、その時、時計の中から鳩が現れて三度歌った。
「人間。いいかげんにあきらめよ」
「少し休憩にしよう」
男はポケットに手を入れながら歩いて行った。
ホットコーヒーとコーラを持って男は戻ってきた。
どちらでも好きな方をと言いながら、雪頭の前に差し出した。
雪ダルマはコーヒーを選んだ。
片手で注意深くみかんを押さえながら、ジュッと音を立てながらコーヒーを口に運ぶ。
「そうは行くかよ」
湯気を上げながら、雪ダルマは得意気に言った。
「コーラの方を選ばせて、私が溶けてなくなって……」
「それから残ったみかんを」
雪ダルマは早口でまくし立てながら、笑った。
「いかにも人間の考えそうなことだ」
男は押し黙ったままコーラを飲んでいた。
★ ★ ★
不安定なテーブルの上で、逆さまになったカップを持っているが、ココアは少しも零れることはない。
すべてが不安定でありすべてが逆さまな状態というのは、逆に調和がとれているのであり、周りの客もみなふわふわと揺れ落ち着いているのだった。どこにもないカフェの中は、どこよりも赤く白く黒く青く透明に澄んでいた。
雪の化身たちが、星について囁きあっている。
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