眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

天使の跳躍(神の使い)

2023-06-27 01:59:00 | ナノノベル
ぽちゃん♪

 古池に飛び込むような音がした。
 どこから?
 誰かの着信か。近所の家の窓が開いていて、テレビの音が漏れたのか。あるいは、どこかに本当に池があって、蛙が実際に飛び込んだのか。それとも、脳内で突然ふっと湧いた音だったのだろうか。
 もう一度、こないだろうか。再現されることを期待して耳を澄ましていたが、音はそれっきりだった。
 歩き煙草の男に追いつかないように、僕は風を踏みながら歩いた。ゆっくり、ゆっくり。決して近づいたりしないように。
 どこへ?
 あまりにゆっくりなので、駅はもうみえなくなった。


 気がつくと僕は王座の広場に来ていた。
 そこには哀れな蛙と困った王がいた。

「蛙を笑わせた者には好きな褒美を与えようぞ!」
 王の宣言を皮切りに様々な芸が飛び交った。
 ルールも順序も無用。とにかく笑わせた者が勝ちなのだ。

「9.87蕎麦をもらおうか」
「よそ行ってちょうだい」
「馬鹿野郎! なんで追い返すんだ。客を大事にせい!」
「でもあの客ったら注文がうるさくて」
「馬鹿野郎! 通のお客さんじゃねえか。ああいうのが大事だろうが。おもてなしってのは可能性を拾うことだ。わかってねえな」
 コント劇団のお芝居に蛙はくすりともしなかった。

「これでよいケロ。
 不機嫌証書を持って天国へ跳ぶんだケロ」

「俺らと一緒にきなよ! 楽しもうぜ」
 ロケに誘うチューバーに、蛙は置物のように不動だった。

「羽毛布団被ったらテレビが見えなくなったぞ。
 本末転倒すってんころりん♪」
 ハットの男のライトなギャグには、まるで無反応だ。
 蛙は独りで歌い始めた。
 歌を聞いていると不思議と踊りたい気分になっていた。独りで踊ることはできても人前で踊るなんて馬鹿げている。そう思っていた僕の体は自然と舞っていたのだ。僕の優雅な踊りにつられたように人々が後に続き、気づくと輪になっていた。このようにして始まるのが盆踊りというものだ。けれども、これらは競技とは直接結びつかない余興の一種だった。

「回転寿司があんた一人の注文で大渋滞だぞ。
 本末転倒すってんころりん♪」
 滑ってもハットの男は堂々と立っていたが、蛙を笑わせることができない限り失格となった。

「これでよいケロ。
 現世は不愉快な吹き溜まり。
 不機嫌証書を持ってヘブンだケロ」

 芸人が去った後に、盤を持って棋士団がやってきた。とても笑いを届けに訪れたようには見えなかった。会場を間違えたのだろうか。目にも留まらぬ速さで駒が並べられると、振り駒もなく対局が始まった。戦型は居飛車対振り飛車の対抗形だ。

「中飛車というのはアグレッシブな戦法でっしゃろ。
 囲いはどうするだケロ?」
 蛙が盤上に食いついていた。観る将をしているようだ。
 中飛車の棋士は美濃囲いに構え、中央から歩をぶつけて動いていった。蛙の言う通り積極的な動きだ。居飛車が繰り出す銀に対抗して、中飛車の棋士も銀を中段に押し上げた。以下、細かい駆け引きが続く内に居飛車側が飛車先を突破し、振り飛車陣にと金ができた。周囲の者が真剣な眼差しで戦況を見守った。微笑んでいるのは、中飛車男だけだ。

「中飛車の左金は取らせて働きまっしゃろ。
 中飛車なりの働き方なんだケロ」
 間近で声がしてもそこは蛙の戯れ言。助言には当たらないことは周囲の者も理解していた。順調に攻め込んでいた居飛車の棋士の手が、不意に止まった。決め手を探しているのだろうか。

「棋理を大事にしてるんでっしゃろ。
 飛車がかわいいんでっしゃろ。
 決断を鈍らせるのは愛なんだケロ」

 居飛車の棋士は駒得を果たすとゆっくりとと金を活用し始めた。振り飛車男は、いつの間にか馬を作り、逃げ場を失った飛車を居飛車の銀と差し違えた。

「中央突破はピュアなんだケロ」

 居飛車の棋士の駒台に飛車が載った次の瞬間、振り飛車男の指先から放たれた桂はきらきらと輝いていた。
(ああ、なんて綺麗なんだ)
 それは天使の跳躍と呼ばれるさばきだった。

「ふふふ……」

 笑顔を取り戻した時、それはもう蛙の姿をしていなかった。

「王女さま!」

 破れた劇団員も、罵られた芸人も、周囲の皆が王女の帰還を祝福して歓声をあげた。もう将棋の内容なんてどうでもいいのだ。待ち望まれた者の復活の陰に隠れて、棋士たちの盤は駒音と共に地の底に沈んでいった。居飛車も中飛車も、人々の関心の届かない遙か遠くへと。
 再び拾い上げたのは、他ならぬ王だった。

「中飛車の男、いや中飛車の勇者よ。お前の働きによって王女は笑顔を取り戻した。さあ、何でも望むものを言うがよいぞ」

「いいえ、王様。私はただ好きな手を指しただけですから」

 望みは既に勇者の手の中にあるようだ。

「うーむ。参った!」

 王をも黙らせた男は、指先で過去を描き始めた。

「少し無理だったかな……」

 神の使いに違いなかった。


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