
人前に出るのは苦手でした。人前で話したり、歌ったり、そういう状況は避けて通りたい。そう思ってずっと生きてきました。けれども、年の瀬ともなると人々の輪が僕を取り込もうとする。当時は、そんな時代でした。もうずっと昔の話になるでしょうか。
「どうせ誰も聞いてないよ」
鬼のように上手い歌を聞かせてくれた後で、友は言いました。
難しく考えすぎだろう。
自意識過剰であろうと言うのです。
勿論、カラオケに上手い下手なんか関係ない。好きなように歌って楽しめばいいだけです。実際、見回してみれば、彼の言うことももっともでした。談笑に盛り上がる者、酔いつぶれて眠る者、2人きりで熱心に話し込む者。誰もカラオケどころではない。ただ少し大きなBGMがかかっているようなものです。
それもそうかもな……。僕は少し彼の言葉に揺れていました。誰も聞いていないのだから、もはやそこは純粋な人前とは違う。人はいなくなり、そこにいるのは鴉と同じなのです。少しマイクの方に近づきかけた時、羞恥心とは違う感情が湧いてきます。
(どうして鴉の前で歌う必要が?)
全力で聞かれるのは恥ずかしい。しかし、まるで聞いてもいないというも、寂しいような、必然性がなくなったような。何か馬鹿馬鹿しいような気がしてきたのです。
僕が前に出られないことは変わらなかったのです。
・
「どうせ誰もみてないよ」
(気楽にやればいいんだ)
僕はそう自分に言い聞かせて、ブログを書こうとすることがあります。けれども、それが更新を躊躇わせる理由にもなることは、既に経験済みのことではありました。未だに彼の歌にコンプレックスを持っていて、僕は何も成長していないということかもしれません。
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