眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

喫茶店の終わり/もっと普通にみてほしい/美濃が崩れても

2023-07-18 15:49:00 | コーヒー・タイム
 ランチタイムの終わった王将はあっさりと詰んでいたので向かいの喫茶店に向かう。外からでも硝子の向こうに空席が確認できる。入った途端に閉店時間を告げられた。誰もいないのはそのせいでもあるのだ。

「ピラフかカレーになります」

 もはや食べられる物は限られた。あまり迷わずにカレーにした。(今日はナポリタンを食べたかったのに)案外すぐには出てこない。何度かレンチンの音が響く。レトルトよりも手間がかかっているなら少しうれしい。女性客が入ってきてまだ大丈夫かと聞いたあとで、カフェオレと玉子サンドを注文した。お待たせしました。カレーは熱々で所々に見えるビーフの塊はそれなりに旨いと思えるものだった。ごちそうさまでした。腹ごしらえを終えて席を立つ。今度はカフェで陣取りゲームが待っている。


 狭いテーブルの上ではポメラを開くのも気が重い。メモや、ボールペンや、ポケットティッシュや、色んな物がごちゃごちゃとして、コーヒーをこぼしてしまうことも考えられる。その時、僕はフリック入力とエバーノートで断片を練っていた。「ポメラだけあればいい」なくてはならないと思われたことも、なければないで何とかする。環境に合わせて生きていくのが生き物だ。そう考えれば、世の中に絶対になくてはならないものなどないのかもしれない。愛も、心も、手放してみればどうということはないのかもしれない。先のことはわからない。

 ポメラを置いて活動していると、手を骨折した時のことを思い出す。その時には、ポメラを開いても仕方がなかったのだ。ポメラと離れて過ごす寂しさの中で、ノートを開き、片手でペンを持たなければならない。(それはどこか、故郷を遠く離れて新しい街で暮らすことに似ていた)ノートでできる範囲は限られてしまう。最初は無力感ばかりがつきまとったが、色々と工夫を重ねて取り組む内に、ノートにはノートなりの良さがあって、ペンにはペンの可能性が広がっていることに気づかされた。(新しい風景が見えた)それは折れていなければ得られなかった経験だ。
 骨折は骨が折れる。当たり前のようにつながっていたところに空白ができ、そこに恐怖や不安が入り込んでくる。だからと言って悪いことばかりだとは限らないし、一度折れてつながったことでより強くなるものもある。何が「幸い」か。そういうことは簡単に決められるようなものではない。だから、安易に人を憐れむことは浅はかだ。

「かわいそうに」

 幼年の頃、上手く歩くことができなかった僕に、大人の人が言った。他のどんな言葉よりも、それが一番僕を傷つけた。色んな葛藤を乗り越えながら現実を受け入れ、そこをスタートラインにしようとしてるのに……。(何も知らないで)勝手に決めつけるなよ。くやしくて、怒りがこみ上げて、泣きたい気持ちだった。僕はもっと普通にみてほしかったのだと思う。
 言葉を発した大人は、その言葉が誰かにダメージを与えるなんて、夢にも思っていなかっただろう。悪気はあってもなさすぎても恐ろしい。きっと、その人は何も考えていなかったのだ。


 何も考えない方がずっと楽だ。確かにそれは1つの真理かもしれない。楽を望むならそれも本筋だ。
 何のためにやっているのだ? 目的意識を持つこと、再考してみることも、上達を望むとするなら有意義なことだ。勝ってうれしい。負けてくやしい。勝ち負けに一喜一憂するのもいいが、あなたが将棋ウォーズを指す時、目先の勝利の他にも求めているものはたくさんあるのではないだろうか。
 勝負強くなりたい。上手く切り返せるようになりたい。もっと手がみえるようになりたい。臨機応変に指せるようになりたい。読み筋を外れても動じないようになりたい。常に動じていないようにみせたい。迷い、躊躇いから放たれたい。成長したい。今の自分より、昨日の自分よりも強くなりたい。勝ち方が上手くなりたい。見切りが上手くなりたい。もっとわかりたい。もっと理解したい。もっと真理に近づきたい。もっと名人に近づきたい。もっと神さまに近づきたい。すべては望み通りにはいかないが、望みを持つことは素敵なことではないだろうか。

「この戦いが何の役に立っているのか?」
(何の訓練になるのか? どこを鍛えているのか?)

 勝った負けただけでも十分に楽しめるかもしれないが、日々テーマを意識して戦いに向かうことも楽しみの広げ方として有力ではないだろうか。壮大なテーマを持って目的に向かっている人間は、心を強く持つことができる。(その状態では目先の勝負を超越できる)目前の一局の勝ち負けなんてどうでもいいのだ。だって、あなたはもっと長く険しいけれどももっと夢のある道を進んでいるのだから。

 空中分解将棋のすすめ  ~堅さ=正義との決別

「あなたは居玉で戦ってみたことがあるか?」

 勝率を上げる近道は玉を堅くしておくこと。確かにそれは一理ある。(弾丸等極端に短時間の将棋ではより説得力もある)だが、勝率を上げること、勝つことと、強くなることはまた別だ。底力を上げるために、あえて手痛い経験を積むことも1つの考え方だ。

 堅陣に組んだ玉は必ず無傷で終われるのか?

 攻めている時にはやたら強いが、攻められ出したらそうでもないという棋士は多い。穴熊が無傷で王手がかからない時には調子がよいが、穴から追い出されたらもう無茶苦茶になる。そういうのは棋力のバランスが偏っていると言える。将棋は複雑なゲームである。(攻めたり受けたりすることが必要)攻めたら強い、受けたら強いというより、攻守のバランスに優れている方がいい。とは言え、受けというのは難しく、薄い玉形で攻められながら勝つというのは、それなりの経験/訓練が必要だ。
 相振り飛車の囲いは常に迷う。あまり囲いに手をかけていると先に攻められやすい。慎重にバランスを取っていると手詰まりに陥りやすい。思い切って「囲わない」という戦術もある。(「流れ弾に当たりつつ勝つ」という訓練の意味を兼ねる)相手が居玉に近いとみると、狂ったように攻め込んでくる棋士は珍しくない。実際に狂っている場合は間違いなく形勢はよくなる。

「流石に無理すぎだろう」みたいな強襲に対して一旦優勢にはなるものの、何だかんだとやっていう内に、火のないようなところからも煙が上がり、流れ弾に当たって最終的には負けてしまう。
 あれ? 変だな。やっぱり固めておかないと駄目か……。目先の対局に勝つための結論は、強くなる上では逆である。負けてもよいからだ。負けるのは実力だ。それを玉形のせいにするのは簡単だが、本当は薄い玉形での戦い方/勝ち方を知らないからだ。そこを反省し、改善しながら鍛えていけばよいのだ。居玉や薄い玉形での戦いにも慣れておくと、いざ穴熊から追い出された時、美濃囲いを削られた時にも、そう動じなくなる。「あの玉形を耐えたのだから……」そうした苦労や経験が自力になるのだ。

(空中分解将棋)
 それは「美濃が崩れても勝つ」ための訓練だ。
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