眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

ピコの冒険(体験学習)

2023-07-17 03:41:00 | ナノノベル
 表に出たらめまいを覚えた。やけに視界がぼやけている。あの大空に飛び立つことが想像もできなくなっていた。できそこないの朝のように、すぐ先にある看板の形さえもぼやけて見えるのだ。ずっと閉じこめられていたせいか、栄養が足りていないためか。もしも自分が機械なら、スイッチが入らないまま、壊れてしまうのかもしれない。歩道をはみ出しても霧は晴れない。もう戻れないのか……。(いったいどこへ)

「そんなところにいたらひかれちゃうよ」
「いい。僕は飛べないから」
「危ない!」
 乱暴な猫に突き飛ばされる。
「何するんだ」
「そっちこそ!」
 わからない。自分が何をして生きてきたのか。
 現在地だってわからないのだ。
「一緒にくる?」 
 猫の足は速すぎる。


「ここは安全よ。理解のある人しか来ないから」
「ここで働いてるの?」
「まあ見ればわかるわ」
 猫の業務は微妙な形態だった。
 じゃれ合いの中、気まぐれの中、眠りの中、つまみ食いの中、愛嬌の中、それぞれの孤独の中にあった。時々、人間たちがやってきて、気まぐれの中に入り交じった。喉を潤したり鳴らしたりしながら、背中を撫でた。夢から醒めた三毛猫が古宿を捨て、新しい本棚に飛び移った。
「あなたもやってごらん」
「僕は飛べないから」
(それは僕の領域じゃないんだ)

「この子は無理なの。ゆっくり歩いて来たのよ」
「ねえ。僕もいていいの?」
「もういるじゃない」
 そんなことじゃない。立ち位置についてだ。
「何が働いているかわからないものよ」
「僕は何もしていない」
「何より愛想が大事なの。指名を得るにはね」
「指名?」
「人に興味を持ってもらうこと。誰かのお気に入りになることね。だんだん好きになってもらって、やがて最愛になるの。生活が変わるわ」
「どんな風に?」
「さあ、もう次に行かないと。ママまたね」


 次の職場に向かう猫の後をついて行った。
 猫は歩くのが速い。
「かけもたないとね。これで食ってるの」
「いつから?」
「ずっと昔からよ」
 日が落ちかけていた。
 昔……。何か懐かしい響きだった。

「僕、もう行くよ」
「思い出したの?」
「うん。たぶんね」
「そう……。やってごらん」
「ありがとう」
 陸の生き物に別れを告げた。
「飛べるのね。やっぱりあなたは鳥の一羽ね」
 
 さようなら。
 私はこの道を、あなたはあの空へ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする