眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

金がないから望みが叶う ~「うっかり王」からの脱却

2022-12-17 02:44:00 | 詰めチャレ反省記
 詰将棋は空想と同じだ。自分の脳だけあればどこでも考えることができる。何も道具がいらないので、お金もかからない。いつでもどこでも考えようと思った時にできる。野球ならばバットやグローブが必要だ。サッカーだったらボールやゴールやスペースが必要だ。卓球だったらネットやラケットやピンポン球が必要だ。将棋だったら盤や駒が必要だ。ゲームとなれば対戦相手も必要だろう。空想/詰将棋は、自分と時間さえあれば自由に楽しむことができる。例えば、信号を待つちょっとした隙間にも。(ただ待つことを意識して待つという姿勢は退屈で苦になることは多い)

 例えば、病院の待合室でボールもグローブも何もないという時に、頭の中の空想/詰将棋は、誰にも邪魔されることなく可能である。頭の中で金や銀が輝いていても、竜や馬が暴れていても、誰がそれを咎めたりするだろうか。例えば、歯科医の待合室でボールやラケットがない時にもそれは可能だ。例えば、独裁者に支配された教室の中で何も持つことが許されないというような状況下でも、それは可能なのだ。空想/詰将棋は、金も何もないという人生のピンチにおいて、無から希望を生み出すような可能性を秘めている。

 詰将棋を解くには読みと閃きが大事だ。実戦型詰将棋である詰めチャレにおいて、もう1つ忘れてはならないのが「状況の把握」である。(実際の実戦では、初手から指し進めることで自然と盤面全体は把握されるが、詰めチャレではこれを瞬時に行う必要がある)特に重要なのは遠くから利いている大駒の利き、準大駒とも呼べる香の利きだ。何だ簡単だと詰ましにいったら自陣から馬が戻ってきて根こそぎ取られてしまうことはないか。絶対詰まないと絶望していたら実は自陣の香の利きが通っていて簡単だったということはないか。そういう問題の多くは2000点未満の比較的簡単な問題だったりする。
 レーティングの安定している人というのは、そういう「うっかり」や取りこぼしが少ないのだと思われる。詰まそうと必死になるほど、視線は玉周りに集中しがちだ。1点を見ながら遠くを見る。玉の逃走経路/終着点を瞬時に見渡せることで、指し手の精度は上がっていくことだろう。

 把握すべき状況のもう1つは相手の駒台だ。自分の駒台を瞬時に把握することも大変だが、同時に相手側も見なければならない。これは詰みに合駒が関係する場合である。詰将棋の重要なルールの1つに、受け方の駒台には残り駒全部が載っているという設定がある。これは受け方に圧倒的に有利である半面、現実的ではない。実戦の難しさの1つはめまぐるしく変化する戦力/駒台を把握し続けること。詰めチャレは実戦同様リアル駒台があり、そこが合駒問題となった時に大きな意味を持つ。

「すべての合駒が使える」=「金合いで詰まない」=「不詰み」こうした構図が、詰将棋慣れした人ほど瞬間的に浮かび、詰まない方にジャッジしてしまう。これは言ってみれば詰将棋の弊害だ。金が将棋において最も強力な守備駒であることは言うまでもない。金によって助かる/詰まない場面があれば、その反対には金がないことによって助からない/詰む場面が無数に存在する。駒台を見ること。(金はあるのかないのか)駒台にあるものを知ることは、そこにないものを知ることに等しい。

 詰将棋には合駒問題という1ジャンルがある。(大駒と香による離し王手に関連して)詰めチャレにおいても、大駒が関係する場合にそれはかなりの割合を占めると言えるだろう。詰将棋では主に合駒請求問題だが、詰めチャレでは、そこに多くの実戦的な問題が加わる。(駒台が0で合駒が利かず1手詰というのがその代表例)合駒なし問題、合駒金なし問題、歩切れ問題、歩が利かない問題、合駒角なし問題、合駒桂なし問題、合駒香なし問題……。合駒問題は複雑で詰将棋を奥深いものにしている。
 ただ1つ「金があるかないか」だけに着目しておくだけでも、間違いなく棋力は進歩するはずだ。合駒の意識、それは詰めチャレを極めるための大切な鍵だ。


「一瞬で詰ませたら胸がすくのに……」

 第一感から超人だったら難なく詰ませるのに……。そんな夢を抱きながら、問題に向き合っている。状況がつかめるようでつかみ切れない。つかもうとするほどに焦る。玉が広くどうやってもするすると抜けていかれそうな気がする。初手は? 終点は? 焦るほどに30秒はあっという間になくなっていく。残り1秒。確信のないまま持ち駒をつかむ。王手! 駄目だ。指が間に合っていない。判定は時間切れ。
 頭金に代表されるように、基本の形・類型に持ち込めるほど詰めは容易だ。そこから離れるほどに、難易度は上がりより高いスキルが必要となってくる。

~後方一間竜+合駒金なし問題

   25香 14玉 12飛成!

 25香が限定打なのは、26に銀を打つスペースを空けておくため。同じ一間竜でも34飛成だと香が邪魔をして25銀と打てず不詰となる。見えなかった変化は、後方からの一間竜を作る12飛車成だ。これが前方の25香と連動して持駒(合駒)に金・飛車がないため次の23竜を防ぐことができずに詰み筋となる。もしも合駒に金があったら……。(あるいは詰将棋だったら)13金と合駒されてまるで詰まない。(寄りなし)
 この時、読みの水面下に現れる「まるで詰まない」という意識/先入観がブレーキとなって、正解にたどり着けなかった。これが詰めチャレ合駒問題の壁だ。玉を吊り上げての一間竜のイメージと駒台に金がないという残像がスムースに結びつくまで、繰り返しチャレンジすることが必要だろう。


将棋ウォーズ必勝法 「シンプルな問題はシンプルに詰ます」
  ~ラジオ体操によって体幹を鍛える

(5分で初段 5手詰)

 詰めチャレにはそうしたヒントが何もない。「詰む」という基本ヒントのない実戦は、より難しい。難易度が最初にわからないことが、詰めチャレの難しい(面白い)ところだと言える。もしも、最初に5手詰とわかっていれば、難解な変化、遠くへ追っていく長手数の変化を切り捨てることができる。(玉はその場で詰むのだ)それがわからないというだけで、問題はかなり厄介になる。
 難しく考えすぎるあまりに、ごく簡単な筋をうっかり見逃してしまうことがある。先を読むことに夢中になり、遠くにあるであろう詰み筋を読切ることに集中することで、目の前にある単純な筋が見えにくくなってしまう。こうした現象は、マジックなどでも多く見られるものだ。「複雑なトリックがあるのだろう」という強い思い込みによって、目の前にある単純な仕掛けから目が逸れてしまう。

「複雑で難解なのか、単純で簡単なのか」

 詰めチャレでは、問題のレベル/本質を瞬時に見極める力が必要とされる。(出題に揺らぎがあるところが素晴らしいのだ)いくら深く読んだところで、完全に的を外していてはまるで意味がない。実戦的な複雑さの中に現れる単純な仕掛けを、瞬時に見つけ出す。その力は「読み」というよりも「感性」「感覚」と呼んだ方が近いだろう。深く読む力を養う、潜在能力を高めることは容易ではない。例えば、人間は並の努力を重ねたくらいでは、自力で空を飛ぶことはできない。(スーパーマンやスーパーサイヤ人とは違うのだ)しかし、転びにくい歩きを極めることならできる。そのためには、ラジオ体操のような日常的な取り組みによって、意識的に体幹を鍛えることが重要だと思われる。日々の積み重ねによって感性を磨くのだ。

(簡単な問題は簡単に詰ます)
 苦労して詰ましたが、数字を見ると意外に低い。そういう問題を振り返ってみると、実はもっとシンプルに詰み筋が存在する場合がほとんどだ。詰めチャレには(正解筋)というのがなく、詰めば正解とされる。最短距離/本線から外れていたが、何とか間違いながら詰ます。勿論、詰ますことはよいことには違いない。しかし、単純に紛れなく(明快に)詰み筋があるものを、どうにか王手を続けてたまたま詰んだというのは、胸を張れるものではない。簡単な問題は簡単に詰ますべきなのだ。
 余計な王手をせず、余計な駒を使わずに詰まし切る。早ければ早いに越したことはない。より確実性を高めることで、実戦的にも勝ちやすくなるはずだ。

(将棋は時間との戦いだ)
 時間は手数と言い換えることもできる。将棋ウォーズのような超短時間の将棋では、(特に切れ負けというルールでは)長手数になればなるほど時間切れになる可能性が増す。本来は3手で詰んでいた玉を9手かかって詰ましにいったために、途中で時間切れに泣いてしまう。そんな経験はウォーズの棋士なら誰にでもあるのではないだろうか。(長手数の詰みを詰まし切ることはかっこよく思われるが、短時間の将棋の中ではあまり現実的ではない。「読む」ことそのものが時間を食う上に、読みが無駄になる、読み抜けが生じる、結局自分で転んでしまう、そうしたリスクも高くなるためだ)感覚が的確に本筋を指し、短い読みを正確に読む。1手詰、3手詰、5手詰。切羽詰まった状況で、短い詰みをちゃんと詰ます。それができる人が強いのだ。

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金がないから勝てる/金しかないから勝てる

2022-12-17 01:32:00 | 詰めチャレ反省記
「そうか、金がないのか」

 もしも相手に金があったら、手も足も出ないところだ。あきらめて負けを認めるしかない。当然のように、金はあるのだと思い込んでいたとしたらどうだろう? 相手に金があるという想定、金があるというイメージが、自分の中に強く存在したとしたら、既に頭から負けに傾いているのかもしれない。金はそれほどに重要だ。最も重要と言ってもいい。生死を分かつもの。それが金なのだ! 

 どうして相手に金があると思ってしまうのか。それは「残り駒全部」(盤上にない駒)を受け方が持っているという、詰将棋ならではのルールからきている面が大きい。詰将棋にたくさん取り組んだ人ほど、陥りやすい傾向とも言える。実戦では、当然駒台にない駒は使うことができない。
詰将棋の合駒問題とは、すべての合駒について考えることが通常だが、詰めチャレは実戦と同様に使えるのは駒台にある駒のみである。

(駒台を見よ!)

 金があるから助かる、金がないから詰む。そうしたケースをよく理解して、常に駒台に着目する習慣をつけることが重要だ。例えば、パターンとして多いのが、送りの手筋と関連した詰み筋など。

23銀成! と34にいた銀で玉頭の歩を食いちぎる。対して同玉ならば、21竜と一間竜で追撃する。その時、もしも合駒に金があれば22金打と合駒し鉄壁だ。ところが、金以外(飛車もないとする)の駒では32の金に紐をつけられないために、34銀! から32竜で一間竜の形となって詰み筋に入る。戻って最初の23銀成を同金はどうか。今度は72竜! と横から王手する。この場合も32金と合駒できれば鉄壁。ところが、金以外の(飛車でもない)駒では31銀! から42金で詰み筋に入る。異なる応手でも、金がないために詰み筋から逃れられないのだ。


「そうか、金しかないのか」

 また、これとは逆のケースもある。自分の持ち駒に金がないためにどうしても詰みがないとあきらめてしまいそうな形。そこを合駒請求によって打開できることがある。

31銀 12玉 72飛車成! もしも合駒に金・飛車以外の駒があったとしたら、42香などとして全く詰まない。ところが、金しか駒台になかった場合は、42金打 同竜! 同金 22金 として合駒の金を回収することで、12玉にとどめを刺すことができてしまう。

 先の例では「金がない」弱点を突いて詰ますことができたが、今度は「金しかない」という状況が逆に弱点となり詰み形を得るのが面白いところだ。
 詰めチャレ上達のためには、合駒問題は避けて通ることのできないテーマとなる。盤面を広く見て自分の持ち駒を把握しながら、局面によっては玉方の駒台の特性を瞬時に見極めることが重要となる。とりわけ「金のあるなし」は鍵になると知っておきたい。そうした訓練を続ける内に、自然と実戦の終盤力も上がっているに違いない。

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