「店内で」
「テイクアウトで?」
「いいえ、店内で」
「店内で」
「ブレンド・コーヒー」
ジャズが大きいせいもあって、上手く伝わらなかった。40分かけて歩いてきたのはここでコーヒーを飲むためだ。けれども、世界は思うほど自分のことを知らない。今日はファースト・コンタクトに失敗したと思った。
コミュニケーションは常に難しい。
自分から行きすぎず、聞かれたら答えるくらいがいいのかもしれない。
(はい、いいえ、コマンド式だ)
一気に皆まで言うのが明快?
礼儀正しい?
逆に混乱することはない?
「こちらはFBIのジョーカーと申しますけど、昨年のクリスマスに桜川3丁目に訪れたサンタクロースが連れていたトナカイが所持する鞄の中からあなた宛の手紙が見つかり、切手から暗黒物質が検出されましたので、今から直接お会いしたいと思いまして、船場でコーヒーでもいかがですか?」
次から次へあることないことを言って考える余地を埋めようとするのは、人騙しのやり口でもあるので気をつけておいた方がよい。
「いらっしゃいませ」
「文房具はありますか?」
「例えば何でしょう?」
「油性マーカー」
「はい。それでしたらあちらの方に」
このように問題を少しずつゴールへ近づけていくという方が、明快であることも多いのではないか。
最初の「文房具は」というのも、無駄と言えば無駄に当たる。但し、突然「油性マーカー」と切り出すことに多少のリスクがないわけではない。「油性マーカー」という言葉は、どれだけメジャーだろうか。日常的に馴染みがあるだろうか。「うぜいばーか」等のように間違って伝わってしまうリスクも決してゼロではない。
「文房具の油性マーカーはありますか」と言うのも普通と言えば普通かもしれないが、やや情報過多で重くも感じられる。油断している店員等に当たった場合は、受け止め切れない可能性も高い。
「文房具」から切り出して、キャッチ・ボールを始める。まずは肩慣らしというわけだ。相手がどういう球を投げてくるか。ちゃんと投げ返してきたら、改めて自分のリクエストを遠くへ飛ばす。一旦、「文房具」を通しておけば、「油性マーカー」はより確実に届くはずだ。一球一球確実に。最初は近く、軽く。そして、徐々に強く遠くへ。それがキャッチ・ボールの呼吸と言えるだろう。
話を考えていた。
神社で迷子になる話。犬がワンと鳴いてガンマンが腕を競う話。ラーメンが部屋中を埋めて困った人の話。色々と考えるが何もまとまらない。何が面白いのかわからなくなる。
訪れたばかりの余裕。たっぷりのコーヒー。まだ温かい。適度な喧噪。いつまでも続かないことはわかっている。
昨日のこと、いつかのこと、寝かせてある話、とってある話、とっておきの話、課題のテーマ。解決不可能な問題。今起きたこと、今思いついたこと。思いつくのはよいことのはずだけど……。
今思うことを優先すると、過去がどんどん置き去りになっていく。過去にあるものを大事にしようとすると、今だけにある鮮度を捕らえるチャンスを手放さねばならない。
掘り下げないと楽しめない。掘り下げすぎると時間が足りなくなる。いったいどこから始めればいいのか。
(とても手に負えない)
あせる。
あきらめる?
あがいてみる?
(放り投げてしまおうか?)
突然、弱気になる。
投げやりな気分になる。
忘れた方が楽なのかもしれないと思う。
今日だけでは足りない。今日をいくら寄せ集めたところで、やっぱり今日だけでは足りない。今日を追い越して行かなければ、明日には手が届かない。果たしてそれは可能か?
表の看板が取り込まれ、加速をつけて片づけが進められていく。すっかり冷めてしまったコーヒー。口をつければ少し苦い。やっぱり、これもコーヒーだ。見渡せばまだ多くの人がくつろいでいるように見えるのに、本当に終わってしまうのだろうか。店員に接触してキャッチ・ボールを始める意欲は湧かなかった。
「21時までですか?」
「はい」
平然と短く返ってくるか。
「21時までですか?」
「……」
あるいは、申し訳なさげな顔の頷きが返ってくるくらいだろう。
思いついたところから、いいと思ったところから、手をつけていくしかないのか。
(虚無よりはよほどいい)
今日を生きた証明に僕はせめて日記を間に合わせたかった。
時間が足りないのはかなしいことだけど、時間が足りないと思えることはうれしいことかもしれない。ひねり出した答えが、自身を少しだけ勇気づける。
「ごめんなさい」
何も知らず今頃になって訪れた客に、店員が閉店時間を告げている。ああ、やっぱり終わりなんだな。間接的なキャッチ・ボールから結論を受け取ると僕は最後の一口を飲み切って pomera を閉じた。
「そうなんですね」
「はい。ごめんなさい」
「それは残念……」