「ああ、腹いっぱいだ」
「ちょっとあんた、今何と?」
おいおい、みんな、ちょっと聞いてくれ。ちょっと来てくれ。
「腹一杯食う奴なんて信用できるかよ」
そうだ、そうだ。危険人物だ。追い出しちゃえ。とっとと追い出しちまおうぜ。追い出さないと、こちらが危うくなっちまうよ。
「全人格を否定しなくては!」
全人格を否定されては、どうして平気でいることができるだろう。新しい町の始まりは、いつも孤立と共にある。友達なんて、簡単に見つかるはずもない。
頼りになるのは、自分の歩いてきた道程だけだった。幾度の苦い失敗から学び取ったことを寄せ集めるのだ。
「足跡帳を持ってきている人はいますか?」
誰も答えない。何を馬鹿なことを聞くかという空気が漂っている。
「そんなものは必要ありませんよ」
念を押すように先生は言い、両手を机の上で結んだ。頑固な拳が、老いた鬼の面のように見えた。
足跡帳を教科書で覆い隠すようにして、僕は密かに引き出しに隠した。全人格を否定されるのはまっぴらだ。ベルが鳴る。みんなは引き出しからジェットニンジンを取り出す。どちらの扉にも向かわない。次々と窓から飛び立っていく。明日からは春休みだった。
夕暮れになると噂の通り人々はカードを持って集まってくる。門が開き、次々と人が呑み込まれていく様を、石の上に座って眺めていた。少し離れた所には、まだ動こうとしない男が石の上に座っていたが、胸にはゴールドカードがぶら下がっているのが見えた。やはり、噂は本当だったのだ。秘密の会員制唐揚げ屋さんの存在を、この日僕はついに突き止めることに成功した。
「どうぞ」
店の中から着物姿の女が出てくるとゴールドの男に向かって声をかけた。
「今日はまだ……」
男はもう少し後にするというようなことを言った。隠語めいた細かいやりとりがあって、素人の僕にはよく理解できなかった。親密な様子からしてかなりの常連に違いない。
「他にはいませんか? 選べますよ」
僕の方に向かって言っているように聞こえた。引き込まれるように、門を潜ると見たこともないような唐揚げが並んでいた。
「これは……」
やはり聞いたことのない名前。
「これを。いくらですか?」
「1万8千円」
(高い!)思わず声に出そうになった。
「…8千円以下だから、80円です」
今度は急に値が下がったので驚いた。
「食べたことのない味です」
他に感想が思い浮かばなかった。まずいということはなく美味いといえば美味い。けれども、毎日のように通うかというと微妙なところだった。もう一度来るだろうかと考えれば、いつか来ることもあるだろう。結論を出すには、一口食べただけでは、まだ早過ぎる。
広々とした店の中には食べ物を扱っているという気配はまるでなく、大きな窓から入り込んだ夕日が照らしているのは種々様々な色形をした陶器の類だった。少し見た限りでは、値札のついたものは見当たらない。
(ここは何なんですか?)
興味を直接的にぶつけていいものかどうか、迷っていた。
(何がメインなんですか?)
夕日の色合いを身につけた陶器はみな優しげで、どこかおじいさんの家に遊びに来たみたいだった。
(どこで作っているんですか?)
肉の消えた串を手に持ったまま、まだ陶器には触れなかった。