手抜きのLPレコードの紹介が続いたが、ここで源太郎は反省して本気モードで紹介したいレコードがこの「Sound Track LAST CONCERT」だ。
今ではレンタルVIDEO屋さんがあるので、映画館の鑑賞の興奮はほとんどなくなったのかもしれない。しかも、コンピューターグラフィック多用の映画に飽き飽きしている源太郎。でも、1970年代の映画館で見た映画が今でも心に残っている。
その好きな映画の中でも、ぜひお勧めしたい映画がこの「ラストコンサート」。サウンドトラックは数枚しか持ってはいないが、この映画のサウンドトラックは今でもよく聞くレコード。残念ながら復刻のDVDは持っていない。レンタル屋さんにこの映画があるかどうかわからないが、もう一度観てみたい映画。そしてお勧めしたい映画だ。(ぜひ、ハンカチを持って鑑賞してほしい)
このレコードにはこんな解説が付いている。
つかの間の〈生〉を、愛する男の再起に賭けて燃焼させる孤独な少女ステラ。彼女の命の炎に焼かれて、焦燥と絶望の日日から鮮やかに甦える往年の名ピアニスト、リチャード。これは、不治の病に冒された少女が、みずからの命と引き換えに、肉体は健全でも心がうつろな男に魂を与えて世を去るまでを、人の世の哀しみをこめて描いた愛のロマンである。 幸せ薄い少女ステラを演じているパメラ・ビロレージは、イタリアの古都フローレンス出身の新人。ハンガリー映画界の巨匠ミクローシュ・ヤンチョーの大作『快楽の罪』(日本未公開)でデビューを飾っている大女優の卵で、はなやかな未来を予感されるイタリア映画ひさびさの大型新人だ。 リチャード役を演じるリチャード・ジョンソンは、65年『モール・フランダースの愛の冒険』で共演したグラマー女優キム・ノヴァクと電撃的に結ばれ、のちに離婚したイギリスのシェークスピア役者、といえばごぞんじの方も多いだろう。最近はイタリアに腰を落着け、74年『デアボリカ』などで、円熟の味わいを見せている。 この映画は、製作資金面では日本・イタリア合作、スタッフ・キャストはすべて外国人という異色の形式で製作されたもので、『デアボリカ』のプロデューサー、オヴィディオ・アッソニテスの企画を、日本側が修正し、資金面で協力して完成した。監督のルイジ・ゴッツィは、これが第1作の新人。アッソニテスと共にシナリオも担当している彼は、次期イタリア映画界を背負って立つ新鋭と呼ぶのがふさわしい。(1時間34分)
物語のあらすじはこんな内容なのだ。
やわらかな風が、暗い表情で診察の順番を待つ男の周囲を翔けめぐったようだった。突然あらわれて話しかけてきた桜色のほほの少女。男はおもわずたじろいだが、彼女が風のように去ったあと、それ以上の驚きが診察室に入った男を襲った。
「お嬢さんの命はあと3ヶ月。いや、2ヶ月かもしれない。白血病です」
お嬢さん? 医師の言葉に、それまで手の怪我に気をとられてうつろだった男の目がかすかに光った。男は、このときになってはじめて気がついたのだ。さっき彼をたじろがせた娘が、勝手に自分を父親にしてしまったことを。では、あの娘は、残された命があとわずかしかないのを知らずに去ったのだろうか?男は、バス停で再び娘と出あったとき、ただ黙っていた。この私には何の関係もないことだ。自分ひとり生きていくことさえ辛いのに、他人のことまで手がまわらない。
彼はそう思っていた。
娘は、深く刻まれたシワに孤独と重苦しい日常をしのばせる男に、楽しげな表情で話かけた。
とても幸せそうだった。
ふたりを乗せたバスは、モン・サンミッシェルの美しい海岸を進んでいく。
少女の名はステラ。幼ない日、母に死に別れ、愛人と共に出奔した父を探しているのだという。
人が恋しいのか、瞼の父が恋しいのか、子供のように甘えるステラに、男のかたくなな心もほんのわずかばかりやわらいだようだ。
リチャードと名乗った男は探していた。だが、かつて成功の香りをかいだことのある彼にとって、いまの境遇はなんとみじめなのだろう。場末のクラブのピアノ弾き、それが、いまの彼に与えられる最高の仕事だ。
リチャードと一緒に食事を終えて小さなホテルに落着いたステラは、久しぶりの楽しいひとときに心の底から酔っていた。
翌日もふたりは一緒だった。前の日と反対に、今度はリチャードがステラを呼びとめた。そして彼は、この世でたったひとり、作曲家としての彼の才能を信じて援助を惜しまないシモーヌの経営するホテルヘステラを連れていったのである。
よく肥ってやさしそうなシモーヌは、リチャードがすっかり子供扱いしているステラを、そうとは知らずに彼の恋人と間違えたのかもしれない。まるで母のように暖かかった。
「父が見つかるまで一緒にいてね」
腕をとってまつわりつくステラが、いまのリチャードにはまぶしい。シモーヌの車を惜りて父がいるという屋敷を訪れたステラは、人けのない邸内に置かれたピアノを弾くリチャードに、はじめて彼の苦悩に触れたおもいがしていた。
家の管理人から、父親がパリにいることを知らされたステラは、リチャードとパリに向かった。
父に会えたらリチャードは行ってしまう。不意に悲しみがこみあげて、別れも言わずに彼と別れたステラは父の家に向かったが、目指す家の窓から見える光景は、彼女の夢を無惨にもうちくだいた。
幼ない息子をいとしげに抱きしめる父。あれほど求め続けた父は、もはやステラの手の届かないところにいる。こぼれそうな涙をこらえて引き返えすステラは、そのとき、街灯のほのかな光の中にくっきりと浮びあがった人影を見て、おもわず駆け出していた。
リチャード!
ステラに去られて、はじめて失なったものの大きさに気づいたリチャードが、あとを追って来たのだ。ふたりは、モンマルトルに小さな部屋を借りた。そして始まった幸せな日々。作曲に励げむリチャードと、はじめて知った幸せをむさぽるステラ。しばらくは平凡に日が過ぎていったが、はかどらない仕事にときとして焦ら立つリチャードは、そのたびにステラに慰められ、励げまされた。
だが、それでもなおリチャードが作曲をあきらめて故郷のイギリスヘ帰ると言い出したとき、ステラは、愛する彼のために本気で怒っていた。そんな苦しみを乗り越えて結ばれたふたり。
「結婚してくれるかい? こんないくじなしでも」
リチャードの苦労は、いま実を結ぼうとしていた。〈ステラに捧げるコンチェルト〉がパリ交響楽団によって演奏されるのである。ピアノ奏者はリチャード自身。夢が遂に現実のものとなる。
ところが、病魔は確実にステラの若い肉体をむしばんでいた。
「もしも、もしもよ、私かコンサートに行けなかったら、これを特っていてね」
小さな箱の中には輝やく星がひとつ。ステラとは、ラテン語の星。彼女は、はじめからリチャードとの別れがそう遠くないことを知っていたのである。
もうだめ。リチャードが買ってくれた白い花のドレスを着て、一番前の席で彼のコンサートを聴きたかったのに。
「いつまでもあなたと一緒よ。忘れないで」
病院のベッドでもなおリチャードの身を気づかいつづけるステラだった。コンサートの日、純白のドレスに弱りきったからだを包んだステラは、はるばる駆けつけたシモーヌに見守られながら、舞台の袖でリチャードの晴れ姿を見つめていた。
さようならリチャード、私は、あなたの中に永遠に生きているのよ。
ステラは逝った。みずからの命と引き換えに、生きることに絶望していたリチャードに愛と生のよろこびを与えて。
「いいだろ。ラウラ」
「ホント、おとしゃんはこんな映画好きだよね」