Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

韓国珍道中

2013年05月10日 | 旅行の話

 

韓国への旅が始まった。今回は午後出発便のため成田に前泊しなかった。したがって、彼のエンジンはまだ始動していなかった。

 

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空港第1ターミナルの団体カウンターに一番乗りと思いきや、添乗員のUが笑顔で「二番目ですよ。来ていますよ()」と含み笑いして答えてくれた。正直先手を取られてしまったと思った。相変わらず早いあいつ()である。手続きを済ませ、荷物を預ける為に後ろのカウンターに移動する。大韓航空の窓口スタッフは、航空券は見ないし、パスポートも見ない。そして、「其処に並べておいて」と言う。「本当に大丈夫か?」と首をひねると、「大丈夫。ここは大韓航空に預ける荷物場所。大丈夫、大丈夫」不思議な航空会社である。命知らずの大韓航空の実態は改めて帰国の時にわかる。

 

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 前回は、コーヒーしか準備されていなかった。今回は同じ失敗は繰り返さないとUが段取りし、欧州以来久しぶりに出発の乾杯できることとなった。まずはclear

 

ところが、講釈男が行方不明。だいぶ前に軽食堂で会っているから大丈夫だと思っていたのだが、逢っていたのは私だけだった。「案内するよ」と彼に言ったが、「いま昼食を頼んだから」と余裕の表情だったので気にせず別れた。添乗員のUは青くなって奥様に電話までした。彼を待つ間、彼は乾杯のリハーサルをしていた。正式な乾杯となり、残り少ないビールを彼は注ぎ足し、音頭で「乾杯」。そしてUの手続き説明をさらっと終わって記念撮影。さて出発となる。

 

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 「お飲み物はいかがですか」「welcomeキムチじゃないのか」「ビール」「コーラ」、と順調に進んだが、「赤ワイン」と画伯がリクエストした。すると、CAが「赤ワインなんて飲む顔じゃない」という顔をして、「無い」と一言。懲りずに「水割り」と切り替えたら「ちょっと待ってください」と嫌そうな顔。そこは画伯も大人。にっこり笑って「よろしくお願いします」。どっちが客室乗務員だよ。<o:p></o:p>

 

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シートポケットの雑誌はキムチ(そう考えるのが自然)でべた付いていた。一枚づつ破けないように広げていたら、「袋綴じだな」と彼が一言。「何時もの経験ですよ」と軽く受け流す。食事の最中やっと画伯の水割りが到着。しっかりしろよ「大韓航空」。安いからしょうがないかとあきらめる。何処からか「だから今回は俺保険を掛けたんだ。喜ぶのは家族だけだけどな」との声。愛するMihoちゃんはそんなことでは喜ばないと思いつつ、いつも旅行保険の手続きしてくれるのは彼女。どう解釈していいのか理解できない・・・。<o:p></o:p>

 

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 入国はスムーズ。今回はKが不参加ないので、入国後の集合も完璧だと思ったが、それが誤りだった。新会員の男が、Uの「ここに戻ってきますから。待っていてください」という言葉を間に受けて、ひたすら神妙に待ちつづける忠犬ハチ公と化していた。バスの運転手の携帯が鳴り、バスを移動させることになった。「13名いますか?出発します」「OK」。バスは第1ターミナルに移動し始めた。改めて人数確認すると1名足りない。新人の男に、「まて」と言っていたことを私やUは忘れていたのだ。「大丈夫かな」と思いつつ、バスを降りロビーを探すと、神妙にベンチに腰掛けて待つ男を発見。「何してる。出発するぞ!」「でも、ここで待っていろと」「いいから早く乗れ!」。彼が悪いのではない。「だから田舎者は困るんだ」と昔聞いたセリフがまた彼の口からこぼれた。

 

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巨大な仁川空港を後にして、台湾と同様に舗装路面が波打つ高速道路である。舗装技術は、日本が世界一と思うが、若い時のコンクリート舗装仕上げを失敗した経験者の私が自慢できることではない。しばしば走行音が変わり、変な振動が続く高速道路を走行中にガイドの喋りが続く。優秀なガイドだろうが、通り一遍の話の内容。きっと毎回この話をしているに違いない。かの地の「大和魂」を連呼するガイドを思い出す。ホテルにはさほどの渋滞も無く着き、夕食に出かける。<o:p></o:p>

 

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焼肉専門店である(今思うと当時、狂牛病は問題なかったのか)追加のお肉を注文させる女給仕のタイミングのよさには感服。彼がここで一声、「日本酒はないのか」。持ってきた酒と思われるビンをみると、きわどい色の酒である。手が出ない。私たちはビールに専念することにした。明日の朝は早いが、恒例のナイトキャップの会。年々人数は減っていくが、今回は4名で午前様にもならずに終了。彼の持参の高級ブランデーをいただき、韓国海苔を肴に夜は更けた。

 

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 いよいよ、出発。誰も行く先を知らない。ガイドとドライバーが勝手に車を走らせる。車窓から治水ダムが見えた。遠望するとジーゼル客車も走っている。あれは「昭陽ダム」じゃないか、東海岸でなく北東に上がっているらしい。地名は読めない。従って地図をみてもどこにいるのかも解らない。

 

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現地案内人をガイドが段取りしていた。案内人は、江原道廳農政山林局のお役人二人。案内人と合流する前に昼食。これが抜群にうまい。いつもローカルな食べ物を選択してくれるUに感謝。二種類の蕎麦に、韓国風お好み焼き、キムチ。甘辛く喉越しのひりひり感がたまらない。そして春川の奥地へ。ここからはバスが入れない。今回は登山靴持ってこなかったのとU。「あぶないよ」といって、河原を渡る彼女の手をとってエスコート。どうだ。これが幹事の特権である。ただし、自称「僕の彼女」であると言い張っている大先輩には「内緒だね」と、お互い目で話す。<o:p></o:p>

 

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立ち寄ったドライブインでは、巨大な虹が見えた。しかしである。旅は順調ばかりでない。高速道路が途切れた付近で、豪雨(80mm/hrとガイドが言うが本当だろうか)の為大渋滞。疲れた体に、おなかがすいてきている。皆沈黙。豪雨の地の手前で巨大な虹を喜んでいた我々に神がお怒りか。波の音と薄っすら見える海岸線を見ながら夕食。巨大な魚の活き造り。

 

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酒宴の前に、Uから「奥様がお誕生日です」とのアナウンス。「ところでUさんは、誕生日はいつ」という言葉が聞こえる。「誕生日だけでも教えてくれないかな」「聞いてどうする」と彼。ところが旦那は、奥様の誕生日をすっかり忘れているではないか。神妙になると思いきや、これがどうして余裕綽々。これが先輩の姿である。この演出もUの配慮。ケーキを調達して、シャンペンをあけ、お祝いの後恒例の近況報告。

 

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部屋に戻るころは真っ暗で、雨脚が強い。彼から「ラウンジ(何階かは聞かなかった)で飲もう」との誘い。案内を見て11階のラウンジにいくと横長のガラス張り。昼間ならきっときれいに景色が見えるような場所だろう。雨音と流れ落ちる水脈を肴に彼を待つ間、一人で酒を飲む。7つほど離れたボックスにきれいな女性が一人で酒を飲んでいるのが見えるが、何せ暗い。時々こちらに顔を向けているのが解るが、彼を待っているので、寄っていくわけにもいかず。結局彼女も帰り、そして彼はこなかった。朝5時半出発の早朝のロビーは正装した面々が出発できる状態にいた。彼に昨夜のすっぽかしについて聞くと、いわく、「地下のクラブにいったが、クローズだったので部屋で飲んだよ」とつれない一言であった。ならば・・・・・。

 

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 日の出前に東海岸に別れを告げ、ソウルに向かう。途中のドライブインでバイキングの朝食というプラン。着いて見たらまだ準備中。結局「うどん」を朝食の代わりに食す。これが日本風で結構美味い。ガイドが「唐辛子いらない?」と聞いて回る。「いる」といった人には匙一杯の唐辛子をガイドはどんぶりに投入して歩く。「勘弁してよ」と思いながら空腹は満たされた。遠望に見る道路橋は欧州のそれに似て結構絵になる。高速道路の路面は相変わらず不陸が多く振動が不規則に変化する。やっと休憩のためのソウル近傍のドライブインに到着、ここでまた彼はハンバーガーを食した。

 

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 予定はころころ変わる。大統領が出席する式典とはいえ、3時間も前から集合させ、退屈な時間がどんどん流れていく、弁当を食した後に旅券のチェック、派手なリボンをつけさせられ、これだけのために220kmをひた走ってきたと思うと、情けない。しかし、これも友好のための努力とあきらめ、リハーサルどおりに進まない式典は終わった。ただひとつ、音楽と太鼓の競演だけはすばらしかった。

 

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 さて、帰りのバスのなかで「自由行動宣言」それぞれが、残り少ない時間を満喫するために、それぞれの企画にそって行動。シックな(といっても韓国にシックというフレーズが合うとも思えないのだが)お店で夕食をとり、ハングル文字の読み方を推論し、象形文字を解析するように覚えた。たった一つの文字を読めただけでも楽しい。<o:p></o:p>

 

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帰国の朝はまた早い。特別に朝食を早く食べられるように手配してもらい、中二階でくつろいだ。日本は台風の直撃を受けている。だめだろうか。いや飛ぶだろう。といった会話を耳にしながら空港に着き、2時間遅れたが、「飛ぶ」といった時は、本当に大丈夫だろうかと余計に心配になった。

 

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 高度がさがり、いよいよ成田に着陸と思いきや、旋回して向かい風の方角から最終着陸態勢。窓の外は何も見えない。窓にはバケツの水をかけたように水が流れている。揺れる。揺れるというよりはきしむ。プールと化した空港に着陸。結局、大韓航空機2機だけが降りた。入国審査場はこれまでのそれとは違い、人がいない。大韓航空は二度と利用したくないと思いつつ、成田を後にした。その夜。アメリカでのテロ事件。衝撃だった。雨より、風より、この会は火に縁(欧州の旅で見学した木造のカペル橋は我々が帰国後焼失した)があった。あの航空機でなかったことを神に感謝。()<o:p></o:p>

 


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