昨日は名古屋の地下鉄駅が水没した。昔通勤に使っていたので、懐かしく思ったが、利用者は大変だったろう。
かつて、博多の地下鉄も浸水騒ぎの時偶然空港からその現場に移動中だった。
水は、高いところから低いところに流れると決まっている。だから地下はそんなリスクがあることをいつも考えないといけない。便利だが、安全な場所をいつも考えて行動しよう。
高いところから低いところという話には40年ほど前の笑い話がある。北海道大学を出たばかりの友人が、まじめ顔して、北海道の水を信州まで簡単に輸送できるといった。彼は優秀だったから、酒の席だったが一同そんなことが可能なんだと納得していた。そこで「緯度が高いところから緯度の低いところには水は流れるんだよね」とトボケやがった。それ以来彼の水に関する話は信用しなくなった。ただ、彼の名誉のため「賢い男とはそうゆうものだ」と思う。
言葉と言えば、今朝地下鉄で「きみ想う 秋の夜長は ほろにがし」というごろ合わせのお酒の宣伝公告をみた。日本人は五七調がすきである。大した句ではないが、横長に月の写真があって、この字が長手にデザインされていた。
「君を想う」というとイタリアの楽曲に「E Penso a Te(そして、君を想う)」という曲がある。まさしく同じだが「E」という意味が深い。「そして」という響きが、何をしていても君を想うという気持ちがある。単に「君を想う」だけでは心がない。
「秋の夜長は」、これをイタリア語で書くと、lunga notte autunnaleとなる。lungaという言葉は、綱とか皮ひもと記載されている辞書もあるが、古典的言葉で、長い時間とか隔たりという意味がある。
「ほろにがし」であるが、普通ほろ苦いというamarognoloという単語をつかって、ビールの苦さを表す。il sapore amarognolo della birraとなる。しかし句であるなら、amara delusione d'amoreと書きたい。ほろ苦い失恋の経験と。
とすると、イタリア男性がそう思うか別だが、「秋の夜長、何をしていても、別れた君のことを想うんだ」、だからお酒の広告には似合わない。