経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

エアポケットな一日

2004年06月08日 | Weblog
 6日で、これまでの報告者や懸案事項をすべて片づけてしまったので、「さ、何をやるか」と一応は意気込んだ。だが忙しいときには、あれほどやらねば、と思ってみたことも、いざ時間たっぷりになりやろうとしても。どうも気が進まない。否、よく考えてみたら、どうしてもやらねばならないことなどないのである。
 一例を示すと、住所の変更。これもけっこう溜まっているのだが、最初の1件を処理しながら思った。「これ今、やる必要ないな。用があるときやればいい。用がなければ変更しておく必要もないのだから」。
 こう考えると、ほとんどやることはない。で、ほぼ1年間に買ったままで積んでおいた本の一冊に手を出す。書店で購入するときは関心と興味がわいたからこそ、買ったのであろうが、1年近くの間に、「なんでこんなもん買ったんだろ」とその購入動機すら疑うぐらい気があせてしまって、これもやめた。
 部屋の掃除は多忙な昨日までになんどもやったし、スクラップも忙しいときの楽しみですましている。
 結局、私の課題は、「エアポケットみたいな暇なときの過ごし方だ」と考えながら真夜中の1時過ぎまで起きていた。

人の哀しさ

2004年06月06日 | Weblog
 続きである。高校生たちが席を譲ると、立っていた乗客たちが彼女たち押しのけるように席を取る。中には2つ取り、荷物を置き仲間を呼ぶ者もいる。誰一人、彼女たちに謝意を示す大人はいない。取り立てて珍しい光景ではないだろうが、直前の子供達の態度が目に焼き付いていただけにそのことが気になった。席を譲ったのが、大人だったらどうだったろう。席を譲ったのが知り合いだったらどうだろう。そう考えるとひっとしたら、彼女たちが子供だったから、「ありがとう」が出なかったのでなかろうか。「大人としてのメンツがあるからね」。
 そのことをずっと考えていた。無意識に私たちは自分が取るべき態度を分別している。何を基準に?。
 さらに、そうした場合、常に自分を蚊帳の外において言うのだ。「(自分の時代と違って)最近の若者は」。「(自分はさておいて)あいつはね」。「(自分たちはが悪いわけでなく)首相が悪いんだ」。「(自分はそうじゃないが)みんな評論家的だね」
 そこへ飛び込んできたのが、嶋崎喜一・美穂子夫妻のカキコミである。(TOP双申の部屋http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=YHY07476&n=jatudo
 商人の二面性、二枚舌の話である。が、人間のもつ哀しさの話でもある。否、自分の哀しさである。

すてたもんじゃない

2004年06月05日 | Weblog
 昨夜、鹿児島市からの帰り21時過ぎの列車に乗った。この時間帯のことだし、しかも発車7分前である。3両の列車は満席で立ち席にも人が溢れていた。その車両のほとんどは女子高校生たちが席を占めていた。一カ所だけ鞄を置いてある席があったので、ひどく疲れた私は、ダメモトと思い、「ここ空いてますか」と尋ねてみた。鞄の隣席の女子高校生は、少し当惑したようだったが、だまってその鞄を自分の膝に。その膝には当人の鞄がある。そうか。友達のために席を取っていたんだ、と思いながら、「おられるんじゃないですか」と言いつつも、へたり込んでしまった。との直後、トイレに行ってたらしいその鞄の持ち虫の女子高生が帰ってきたので、私は謝って席を立った。「いいです、どうぞ」、とその子は小声でいった。驚いたのはそれからである。3人の女子高校生たはお互い目で合図をすると、一斉に席を立ち始めた。そしたらなんと隣の席の4人もも。その隣の席の4人も。こうして座っていた女子高校生たちはみな、無言のまま、まるで示し合わせたみたいに席を立ち始めたのである。
 その光景は、あのネオンの街角に座り込んでいる同年配の少年や少女を先ほど見てきただけに、感激であった。席を譲られて助かった、嬉しかった、という類とは違う感動を覚えた。こういう子たちもいる。こういう高校生たちもいる。一緒くたに、「最近の高校生は云々」といった見方を、どこかでしていた自分が恥ずかしくなった。偶然、この車両に乗って、すばらしい体験ができた、と嬉しかった。「すてたものじゃないぞ。この日本」。大袈裟なと笑われるだろうが、事実そんないい気分になった。

哀しい街

2004年06月03日 | Weblog
診断協会鹿児島支部の総会があるので、鹿児島市へでかけた。18時30分からだが、15時にでて16時過ぎつき、街を歩いた。びっくりした。天文館のあの老舗の中村館が店を閉じているのである。17年ほど前、店主の中村夫婦が私の講演に来てくださって、以来ちょこちょこよらして頂いたし、時には2階のサロンを借りて、千脳会の勉強会をやったりした。よそより高くて、当時でいっぱい700-1000円もしたが、いつ行っても満席であった。よその喫茶みたいに食事を出すことなく、完全なこだわりコーヒー専門店だった。
 なんでも3日ほど前倒産したという。また名物店が一つ消えた。
 総会参加は実は4年ぶり。青森へ行くようになってから、この時期はほとんど鹿児島にいることがなかったからだ。4年は、まるで浦島太郎である。メンバーの半数は面識が無く、場違いなところへ一人といった感じがした。体調の事があるので、懇親会は参加せず失礼した。あつまった24名中、参加しなかったのは私だけで、支部長からも誘われ、後ろ髪引かれる思いをしたが、闇の街に出た。
 こうしたときの夜の街は侘びしいものだ。1時間ぐらい掛けて駅まで歩く。途中華やかなネオンの中に照らされて、赤い煉瓦の、明かりのない中村館がポツネンと建っている。これをみてもうたまらない寂しさにおそわれた。
 人は静寂の中より、街の雑踏の方が、孤独感に陥る、といったことを宮城谷さんが、「晴雲はるかに」であったか、「楽毅」だったか、書いておられたが、まさにそのとおりだと思った。
 にぎやかな天文館の街が悲しく思えたのも、何年ぶりだろう。

陽気な一日、つれづれと

2004年06月02日 | Weblog
 昨日は、この地域の集会場で胃ガン検査が行われたので、陽気な天気に誘われ出かけることにした。デジカメ、ケイタイ、オーデォ、タオル、着替え、それに文庫、新聞のキリヌキなどをいれたリュックを背負い、3キロほどてくてく歩く。天気がいい上に風も佳い。着いたたのは8時。半からのスタ-トなのに、例によって爺婆さんの常連、40名ほどが既に並んでいる。こうした集団検診では、たいていこうした常連達に先頭を占められる。時たま何人か入れ替わっているが、これは検診不要になった人たちだ。つまり入院したか死んだか。その分新入りが入門というわけだ。だからこうしてみる連中は元気な爺婆さんに限られる。
 市の方針で誤診団を防ごうと7枚写真を撮るととるといったこともあって、胃のレントゲンは恐ろしく時間かかる。
 今回は、なんと体中にヒップエレキバン、張りつめた婆さんがいたり、バリュウを飲むとき入れ歯も一緒にといった爺さんが出たりで、45番目の私が終わったのは11時前。昔はこれが嫌で保健婦さんにかみついたり不機嫌になっていたものだが、最近はリュックの中身のおかげで、ルンルンである。音楽聞きながら文庫本を1冊読み切ることができた。
 ところでレントゲン機は、部位を変えるためとバリュームを全体的に散らすために、ぐるぐる回転させる。事前に「方向感覚を失わないために目は閉じるな」とうるさく注意されているのだけど、これは不思議。自然と目を閉じてしまう。
 帰り道は、何故だろう、何故だろうと考えながら、また3キロ歩いた。午後をメルマガ配信とメール書き、夜は「裸足の1500マイル」というオーストラリア映画をビデオで見た。佳作。