経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

器を大きくする方法

2011年09月17日 | Weblog
いかに全体を想定し、最適化を描けるか、
いかに長期の目標を掲げ、長期的な観点から、
最適化を描けるかが、大きな視野、大きな全体を描けるかが、
経営者の器の大きさ、と、申し上げた。

視野が広がること。大きな全体を描くこと。
これは、実際にやらねばわからず、やればわかること。
では実際にどう体感したらいいだろう。

以下、私のお勧め、あれこれ。
できるだけ大きな世界地図、日本地図を壁に貼る。
それも国境や行政区分がないものがいい。
(理由は、後述する)

できるだけ小高い丘に上がって、そこから360度の視野を見下ろす
あるいは見通しのいい平地に立ち、天を見上げる。

海辺に立ち、その向こうのアメリカなり、中国なりの方向をみる。
高層ビルの上から、豆粒みたいな人や車の往来を眺める。
といった、「なんだそんなことを」といったことだ。

なんということはない。
人は、自分がちっぽけに感じるとき、
大きな世界をイメージできるし、また大きな世界を描くとき、
自分の小ささを感じることができるのである。
元来、宇宙は広い。世界は大きい。

それを
「自分の課」という仕切りで仕切る。
「鹿児島県」という仕切りで仕切る。
「我が社」という仕切りで仕切る。
「日本」という仕切りで仕切る・・・・

といったように細切れに仕切るから、
狭くなる、そして縛られるのだ。
自分の思考を、行動に仕切りを入れるのだ。

もともと、自分とそれ以外という存在しかない。
その自分も、自分と自分以外のつながりであり、
そこに仕切りがあるわけではない。

その仕切りはすべて人間が、自分が勝手に仕切ったものである。
その証拠に、県境なり、市の堺に実際いってみたらよかろう。
そこには行政のたてた区分版以外、どこにも区分はないのである。
ましてや、思考のなかに仕切りがあるはずはないではないか。

だからせめて、考えるときぐらい、
大きな思考、縛られない考えで考えてみようではないか、
というのが、いいたいことである。