中傷メールには反応しないようにしているのだが、メールだけでなく、巷で語られていることに憤りを感じている。「長尾たかしは、北朝鮮に自衛隊を投入し、軍事的攻撃をしてでも、拉致被害者を奪還しようとする、危険な戦争賛辞論者である」・・・アホか?!
そもそも、戦争と拉致被害者奪還のための手段を比べること自体がナンセンス。たしかに、上記のような手段をとるべきだと主張する人が、私の周辺にいることも事実。しかし、わたしは、「その手段」も全くナンセンスだと思っている。
長尾たかしも怖気づいたか?・・・・違う。
目標や、その周辺情報が全く存在しない状態で、自衛隊を投入し、どうやって拉致被害者を奪還するのか?ナンセンスである。私は現実論を申し上げている。
北朝鮮のミサイル発射で議論された、「敵基地攻撃論」。残念ながら、現実の問題として、自衛隊には、「戦力投射能力」が全く存在していない。戦略兵器や陸軍などを上陸させ、敵国を制圧する能力を保有していないのである。この前提を無視して、敵基地攻撃論を論じることはナンセンスである。
中途半端な国防論はそれこそ国民の命を危険に晒す。同時に、自衛官の命を何と心得る!っと、申し上げたい。
国防の覚悟とは・・・小川和久氏の言葉を借りるならば、「自国の防衛のためだろうと他国への侵攻であろうと、日本として戦争を始める覚悟。敵地に攻撃を仕掛け、敵の意図をくじくには、その目的を達成した時点で戦争を終結させるシナリオと、それを実現させる軍事力が必要なのです」。その覚悟が今の日本にはあるだろうか。
そして、その覚悟を持とうとしても、おそらくアメリカがこれを許さないであろう。
そもそも、戦争と拉致被害者奪還のための手段を比べること自体がナンセンス。たしかに、上記のような手段をとるべきだと主張する人が、私の周辺にいることも事実。しかし、わたしは、「その手段」も全くナンセンスだと思っている。
長尾たかしも怖気づいたか?・・・・違う。
目標や、その周辺情報が全く存在しない状態で、自衛隊を投入し、どうやって拉致被害者を奪還するのか?ナンセンスである。私は現実論を申し上げている。
北朝鮮のミサイル発射で議論された、「敵基地攻撃論」。残念ながら、現実の問題として、自衛隊には、「戦力投射能力」が全く存在していない。戦略兵器や陸軍などを上陸させ、敵国を制圧する能力を保有していないのである。この前提を無視して、敵基地攻撃論を論じることはナンセンスである。
中途半端な国防論はそれこそ国民の命を危険に晒す。同時に、自衛官の命を何と心得る!っと、申し上げたい。
国防の覚悟とは・・・小川和久氏の言葉を借りるならば、「自国の防衛のためだろうと他国への侵攻であろうと、日本として戦争を始める覚悟。敵地に攻撃を仕掛け、敵の意図をくじくには、その目的を達成した時点で戦争を終結させるシナリオと、それを実現させる軍事力が必要なのです」。その覚悟が今の日本にはあるだろうか。
そして、その覚悟を持とうとしても、おそらくアメリカがこれを許さないであろう。
政治というものは、国民の安全を守るために必要な準備をしなければなりません。もし、現在の自衛隊にそのような装備や法制度がなければ、用意いただかなければなりませんし、訓練もしてもらわなければなりません。
実際にそれを使うか否かは、その時の判断です。選択出来るからと言って必ずしも使う必要はありません。ただ、脅威対象国に日本はいつでも刀を抜けるぞ、という意思表示は必要でしょうね。
敵基地攻撃論は、自衛の為の先制攻撃論であり、そのための戦略、戦術兵器を保有することも可能であると言う議論の
たたき台でしょう。しかしながら現憲法下ではさすがに無理がありすぎます。
国民の生命財産を守るのが国家としての大きな役目であり
戦争行為とは別にしても奪還は当然であり、力による救出という考え方も成り立つ。その為の法整備をしようとしている感じはする
国防の精神は「百年兵を養うのは戦うためにあらず」
山本五十六の言葉通りだと思う。
国民の生命・財産・固有の領土を守ること。
これは原則として全政治家の心にあって欲しいことです。
北朝鮮の基地攻撃論に関しては、
長尾さんの言うように装備もさることながら曖昧な解釈で見過ごされてきた法整備も早急に行われるべきであると思うし、今その期に来ていると感じます。
さらに今の現行の解釈で行けば
争点はいわゆる「予防戦争」というものになってこようかと思います。防衛の布石としての面が大きいのか、やはり攻撃という手段に捉えられてしまうのか、このあたりが難しいところです。
が答えは簡単だと私は進言します。
「国民に対して今出来るだけの至誠を尽くす。
さすれば答えは見えてくる。」
功罪は後が判断することでありましょう。