19年前、愛知県日進市に住んでおりました。その瞬間、自宅前の道でトラックが横転したという、根拠の無い確信で外に飛び出しましたが、長い揺れにはたと気づき、大きな地震だったなぁと、再び寝床へ。
出勤の為、7時に起きてテレビをつけ、事態の深刻さを認識しました。
学生時代お世話になった方が長田区にお住まいでしたが、奇跡的に無事。
会社、神戸支社の同僚達の安否も気遣われましたが、皆無事。しかし、彼等は被災者でありながら、道無き道を、一件一件お客様訪問し、安否確認、契約確認等、壮絶な業務に追われるのです。
私も4回被災地へ入りました。仮設住宅も立ち始めた頃でした。上手く言えませんが、生命保険業界に関わったことを誇りに思えたことを覚えています。
そして、ボランティアに入る我々を被災者の皆さんが気遣ってくださる優しさにも触れ、コミュニティの強靭さこそ国力であると痛感しました。
16年後衆議院議員として東北で、再び同じ光景を目の当たりにするとは思いませんでした。
私は終戦から17年後に生まれました。日本は見事に高度成長期を迎えていました。
今、心を無にして、1/17を感じています。阪神淡路大震災から19年。
やっぱ、日本人って、すごいです!
出勤の為、7時に起きてテレビをつけ、事態の深刻さを認識しました。
学生時代お世話になった方が長田区にお住まいでしたが、奇跡的に無事。
会社、神戸支社の同僚達の安否も気遣われましたが、皆無事。しかし、彼等は被災者でありながら、道無き道を、一件一件お客様訪問し、安否確認、契約確認等、壮絶な業務に追われるのです。
私も4回被災地へ入りました。仮設住宅も立ち始めた頃でした。上手く言えませんが、生命保険業界に関わったことを誇りに思えたことを覚えています。
そして、ボランティアに入る我々を被災者の皆さんが気遣ってくださる優しさにも触れ、コミュニティの強靭さこそ国力であると痛感しました。
16年後衆議院議員として東北で、再び同じ光景を目の当たりにするとは思いませんでした。
私は終戦から17年後に生まれました。日本は見事に高度成長期を迎えていました。
今、心を無にして、1/17を感じています。阪神淡路大震災から19年。
やっぱ、日本人って、すごいです!