B型肝炎訴訟和解勧告期限を3日後に控え、自分自身の力のなさに顔から火が出る思いで集会に参加した。議員連盟の会議でもここにいる全ての議員の顔と名前を覚えてください。議連のための集いではなく、結果を出す議員の集まりであるなどと小生意気なことを言いながら、議員会館の自室で原告の方々と幾度も意見交換をしたものの、壁は厚かった。長妻大臣とも意見交換をしてきたが国の壁は厚い。厚いと感じることが信じられないが現実である。政治家が原告団を牽引しなければならないのに、原告団の皆さんに今日まで引っ張ってきて頂いたようなもの。
昭和18年当時、注射器針は消毒→昭和24年ツベルクリンが使用しつくされるまでは固く絞ったアルコール綿で消毒する行為の繰り返しは許されていた→昭和25年注射器は一本ごと取り替えなければならない→昭和30年被接種者ごと消毒をしなければならない。理由は血清肝炎、流行性肝炎になる可能性があるから→昭和43年固く絞ったアルコール綿での消毒で可能とする。ころころ変わる国の方針。
子どもの頃ツベルクリン予防接種で注射器針を換えず接種されたことを私は覚えている。私も当事者であったのだ。政治行政の不作為。国の非を認めていながら救済範囲のこととなると突如動きが鈍くなる。線引きは許されない。
昭和18年当時、注射器針は消毒→昭和24年ツベルクリンが使用しつくされるまでは固く絞ったアルコール綿で消毒する行為の繰り返しは許されていた→昭和25年注射器は一本ごと取り替えなければならない→昭和30年被接種者ごと消毒をしなければならない。理由は血清肝炎、流行性肝炎になる可能性があるから→昭和43年固く絞ったアルコール綿での消毒で可能とする。ころころ変わる国の方針。
子どもの頃ツベルクリン予防接種で注射器針を換えず接種されたことを私は覚えている。私も当事者であったのだ。政治行政の不作為。国の非を認めていながら救済範囲のこととなると突如動きが鈍くなる。線引きは許されない。