大和の地には、「日本書紀」に記された寺社が数多く残っています。
今回紹介するのは、天武天皇の時代に何度となく出てくる「広瀬神社・龍田神社」です。
「日本書紀」によると、天武天皇の時代に「広瀬・竜田の神を祭った」と記されています。「681年の4月2日に7月10日に広瀬・竜田の神を祭った。7月30日、全国に命じてことごとくに大祓をさせた」と記されています。
今回は、日本書紀に出てくる「広瀬神社・龍田神社」を紹介したいと思います。
〇奈良県北葛城郡河合町 ある「広瀬神社」は、すぐ近くを大和川が流れることから「水の神様」として信仰を集め、「龍田神社」の風と併せ、この地域の風水を治めてきたとされます。 「龍田の風神・広瀬の水神」として並び称され、「日本書紀」にも記載がある神社です。その歴史は古く、遅くとも7世紀以前には信仰の母体があったと言われています。水、水田、五穀豊穣の神として信仰されています。
水の神様と言われるだけあって、曽我川(高田川)・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する交通の要衝に鎮座します。
毎年、2月11日に行われる「砂かけ祭り」(庭上の儀、砂かけ行事)は、「御田植祭」で砂を雨に見立ててかけ合い五穀豊穣を祈ります。
木立に囲まれた長い参道を歩くと、由緒のある神社であることが実感できる神社です!
〇奈良県生駒郡三郷町にある「龍田大社」は、「風の神(風神)」として古くから信仰を集めます。「龍田大社」は、歴代の朝廷からも深く信仰された由緒ある神社です。
祭神は別名を「龍田神・龍田風神」ともいい、社伝によると「崇神天皇」の御代に凶作が続いたとき、夢でこの風神のお告げをうけて創建されたということです。古くから五穀豊穣・航海安全に霊験ありとして崇敬を集めています。
今も毎年行われる「風鎮祭」は、天武天皇(675年)に始まると伝えられる由緒を持っています。
日本書紀に記載がある「広瀬神社・龍田神社」の参拝、歴史を体感できる神社でした!
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