泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

奈良県斑鳩の里「法隆寺・中宮寺跡」歴史散策

2020年04月16日 09時00分07秒 | 歴史

古地図を参考にしながら歩くという「ブラタモリ」という番組、ご存知ですか?好きな番組で、よく視聴しています。

以前「ブラタモリ」を参考にしながら、ふと「飛鳥京」へ入る道は一体どこなのだろうか?内容は、飛鳥時代の人々は「飛鳥宮」に入る時にどの道を通り、どのような景色を見ながら入って行ったのだろうと想像してみてつくったブログでした。ブライズミ「飛鳥京への道」探訪(2015年8月20日)で、紹介しました。これは、私にとって飛鳥に住んで初めての試みでした。とても、ワクワクしながらの歴史散策でした。

2020年4月11日の「ブラタモリ」では、「奈良・飛鳥の歴史を街歩きで解き明かす」ということで、奈良県の斑鳩町にある「法隆寺」でした。見られた方も多いのではないでしょうか。

以前、奈良県斑鳩の里「法隆寺・中宮寺跡・法起寺・法輪寺・古墳)」を歴史散策しましたので、2回にわたって紹介したいと思います。

今回は、奈良県斑鳩の里「法隆寺・中宮寺跡」歴史散策の様子を紹介したいと思います。

『斑鳩(いかるが)町』は、奈良県の北西部に位置し「聖徳太子」ゆかりの地として、広く知られています。
町のほぼ中央部にある「法隆寺」は最古の木造建築として名高く、「法起寺」と共に『法隆寺地域の仏教建造物』として、日本で初めて世界文化遺産に登録されました。隣接する「法輪寺」や「中宮寺」など由緒あるお寺や古墳等があります。

〇法隆寺

法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として今なお飛鳥の時代を伝えています。1400年もの伝統を誇り、仏教文化の研究の宝庫として人々の注目を集めています。また、1993年に日本で最初に世界文化遺産に登録され、世界的に見てもその地位は高まっています。法隆寺東院伽藍の中心をなす八角円堂の建物は、739年ころに創建され、1230年に大修理が加えられました。
「聖徳太子」の住まいであった「斑鳩の宮」の跡に、行信僧都(ぎょうしんそうず)が、太子の遺徳を偲び建てたのが上宮王院、その中心が「夢殿」です。内部には、本尊の国宝救世観音像(聖徳太子等身の像と伝えられている)とともに、行信僧都と、平安時代初めに東院を修理した道詮律師(どうせんりっし)の座像があり、いずれも国宝に指定されています。境内は国の指定史跡、南大門・五重塔・金堂をはじめとする19棟の建造物が国宝に指定されています。見どころいっぱいの「法隆寺」は、飛鳥時代の空気が漂う神秘的なスポットで大好きな場所の一つです!

                    

〇中宮寺跡

現在の「中宮寺」は法隆寺東院の東側にありますが、元は400m東方に所在していました。現在の「中宮寺」と区別するため創建中宮寺を「中宮寺跡」と呼んでいます。現在でも塔、金堂の基壇が土壇状の高まりとなり残っています。これまで数度に渡り発掘調査が実施されていて、調査の結果から、塔、金堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置をしていたことが明らかとなっています。ただし、講堂や回廊は見つかっていないことから未完の寺であったようです。「聖徳太子」が母の穴穂部間人皇后のために建立したと伝えられています。太子の斑鳩宮・岡本宮・葦垣宮の中間にあたるところから「中宮寺」と呼ばれたといわれています。室町時代に、現在の夢殿の東側に移りました。「中宮寺跡」は我が国における貴重な遺跡であることから国史跡の指定を受けました。整備されて初めて見学しました。とても整備されており、伽藍配置がよくわかりました。時々、弁当持参で「斑鳩の里」を歴史散策します。遠くに、五重塔や三重塔が見える景色は、古都ならではの風景ですね~!

次回は、奈良県斑鳩の里「法起寺・法輪寺・古墳)」歴史散策の様子を紹介したいと思います。

お知らせです。次回の「ブラタモリ」(4月18日)は、「奈良・飛鳥~なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?~」と題し、明日香村での様子が放送されます。実は、なんとこのロケの場面に出くわしました。とても、楽しみにしています!

       

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