奈良県明日香村の東にそびえる標高650mに位置する、天空の村「冬野・畑」地区を今回、紹介したいと思います。
飛鳥の観光案内図にも、ほとんど載っていない「冬野・畑」地区ですが、「冬野」地区には、鎌倉時代の第90代亀山天皇の第4皇子とも第8皇子とも言われる「良助法親王(りょうすけほっしんのう)」の「冬野墓」があります。「良助法親王」は、幼少から仏門に入り、後に多武峰の清浄院に住み1318年に50歳で亡くなられたようです。親王の意志により、この地に埋葬されたと伝えられています。
江戸時代(1772年)には、「本居宣長」が吉野・飛鳥を旅して、その見聞を「菅笠日記」にまとめています。それによれば、「本居宣長」は多武峰の桜を愛でたのち、「冬野」から竜在峠を越えて吉野へと下っていたようです。
民家の庭先には、多武峰方面の小さな標識がありました。「本居宣長」もこの道を歩いたと思うと、感慨深かかったです。
「冬野」に行く途中、廃校となった分校らしき跡や、牛を飼っている所も見ることができました。途中には、「畑」という静かな集落がありました。
飛鳥には、探せば魅力的な場所が沢山ありますね!
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