泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

明日香村のどこからも見える?「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」(1)

2023年01月16日 19時58分07秒 | 歴史
奈良県明日香村越において、飛鳥時代の女帝「斉明天皇」の真陵とされる「牽牛子塚(けんごしづか)」古墳(国史跡)の整備が終わり現在、当時の天皇陵に特有の八角形の古墳(八角墳)の築造当時の姿を見ることができます。
この古墳の東方面からは、明日香村のいたる所から見えます。
一番は、古墳の東側方面約4~5㎞位の所の「朝風峠(平田峠)」です。はっきりと見えます。

ところで明日香村には、「斉明天皇」との関わりのある古墳があります。
ふとこれらの古墳は、血縁関係のある「斉明天皇」が眠っている「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を意識して築かれたのではないかと思いました。
とすると、ひょうとして「斉明天皇」と血縁関係のある古墳から見えるのではないかと思い、確かめてきました。

今回は、明日香村のどこからも見える?「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」を、数回にわたって紹介したいと思います。

〇「斉明天皇」と血縁関係のあると思われる古墳
1「斉明天皇」の子と孫(天武・持統天皇陵)
2「斉明天皇」の初葬?(斉明天皇と天智天皇の子である皇子)かもしれないとされる「鬼の雪隠・俎板古墳」? 
※諸説あり
3「斉明天皇」と孫(天武天皇の皇子である忍部皇子)が葬られているかもしれないとされる「高松塚古墳」? 
※諸説あり
4「斉明天皇」の孫(天武天皇の皇子である高市皇子)が葬られているかもしれないとされる「キトラ古墳」? 
※諸説あり
5「斉明天皇」のひ孫(草壁の皇子である文武天皇)が葬られているかもしれないとされる「中尾山古墳」
があります。
全て、「牽牛子塚(けんごしづか)」古墳の東側方面に造られています。

1回目は、「天武・持統天皇陵」・「鬼の雪隠・俎板古墳」です。
1「斉明天皇」の子と孫である「天武・持統天皇陵」
天武天皇と皇后の持統天皇の合葬陵で,桧隅大内陵ともいいます。8角形の5段築造で,東西45m,南北50m,高さ9mです。1235年に盗掘にあいました。
「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」と同様に、天皇陵に特有の八角形の古墳(八角墳)です。表面も同様に、凝灰岩の切り石を張り巡らせていました。
多分、母である「斉明天皇」の御陵を参考にしたのではないかと思います。
残念ながら、ここからは「牽牛子塚(けんごしづか)古墳」は途中の木々があって見えませんでした。
ひょとして、築造当時は見えていたのではないかと思いました。距離的には、約3㎞位でしょうか・・・

             

2「斉明天皇」の初葬?(斉明天皇と天智天皇の子である建皇子)かもしれないとされる「鬼の雪隠・俎板古墳」
「鬼の雪隠・俎板古墳」は、古墳の石室石材の一部です。鬼の俎は刳貫式の横口式石槨の底石、雪隠は蓋石にあたります。墳丘は失われてしまいましたが、7世紀後半に築造された古墳だったと考えられています。東西約41mの長方墳で墳丘にはには二つの石槨があったと考えられているようです。一つは、「斉明天皇」。もう一つは孫の建皇子」ではないかという説もあるようです。
こちらも同様に、途中の木々があって見えませんでした。
こちらも、築造当時は見えていたのではないかと思いました。
距離的には、約3㎞位でしょうか・・・

    
 



コメント
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