泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥の「不思議発見!(その9・10)」(最終回)

2021年08月09日 15時06分46秒 | 散歩

奈良県の飛鳥地域を散策していると、「これは一体何?」・「どうして、この様な物がここに?」というようなものを見受けられます。飛鳥の「不思議発見!」も、いよいよ最終回となりました。

今回は、飛鳥の「不思議発見!(その9・10)」(最終回)を紹介したいと思います。

〇「この石は、一体何?」      

        その9                     その10

                          

(その9)

これは、奈良県明日香村越にある「牽牛子(けんごし)塚古墳」を飾る凝灰岩切石です。切石の重さは、約20㎏で約30cmの大きさです。実物の切石やこの古墳から出土したものは、明日香村埋蔵文化財展示室で見ることができます。

この古墳は、対辺約22mの八角墳で「斉明女帝」とその娘の「間人皇女」の陵墓であると言われています。。墳丘裾部には、凝灰岩切石が敷き詰められています。この石敷の直上からは大量の凝灰岩切石が出土しており、墳丘全体が凝灰岩切石で装飾されていたようです。墳丘斜面に凝灰岩切石を施した事例としては、明日香村にある「天武・持統陵」があります。古墳に使用されている石材は、約20キロの所にある大阪の二上山の石が使われているようです。

現在「牽牛子(けんごし)塚古墳」は、5か年計画で復元整備工事が行われていて、2022年3月の完成予定です。今回の整備工事では、墳丘全体を凝灰岩切石で装飾するように行われています。切石は、二上山の凝灰岩に酷似している石(石川県小松市の滝ケ原石)が採用されています。(明日香村の広報より)

整備途中の「牽牛子(けんごし)塚古墳」の墳丘を、遠くから撮ってきましたので紹介したいと思います。完成が待ち遠しく、大変楽しみにしています!

               

(その10)

これは、奈良県明日香村野口にある「天武・持統陵」の凝灰岩切石と思われるものです。この切石は、「牽牛子(けんごし)塚古墳」の凝灰岩切石より、やや大きいように見えます。古墳の北側から見ることができます。中に入ることができませんので、望遠レンズで撮ってみました。

墳丘全体が凝灰岩切石での装飾は、母である「斉明天皇」が眠っておられる「牽牛子(けんごし)塚古墳」を参考に築造されたのでしょうか・・・

この古墳は、飛鳥時代に築造された八角形墳で5段築造、東西約38メートル、南北約45メートルです。 宮内庁は、第40代天武天皇と、その皇后である持統天皇を合葬した「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」に治定しています。

この古墳は、鎌倉時代に盗掘にあったようです。1235年に盗掘にあったと記す『阿不幾乃山陵記』によれば、全長約7.5mの横口式石槨の中には、金銅製の棺台の上に置かれた漆塗り木棺と、金銅製の外容器に銀製の骨蔵器があったといわれ、前者が天武天皇の棺、後者が持統天皇の火葬骨を納めたものと考えられています。「天武・持統陵」は、天皇が埋葬された古墳として、治定が信頼できる数少ない古代の陵墓であるとされています。

最終回は、明日香村にある貴重な「天皇陵の切石」を紹介しました!

飛鳥時代、これらの古墳は、まるでピラミッドのようにひかり輝いていたのでしょうね・・・

5回に分けて、飛鳥の「不思議発見!」を紹介しました。今回の色々な紹介では、「明日香村の大字に伝わるはなし」がとても参考になりました。(このはなしは、明日香村文化協会発足40周年記念事業として、明日香村の39の大字に伝わるはなしを聞き取り調査されたものを収録されたものです。)

また機会を見つけて、(続)飛鳥の「不思議発見!」を紹介したいと思います!

         

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