アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

アドラー心理学による夢解釈講座の5回目です。1つの区切りにするつもりです。
初めて第5回目のこのブログに来られた方は、是非第1回目に戻ってお読みください。

まずおさらいです。
第4回目で「夢の機能(役割)」を4つにまとめておきました。

①問題(ライフ・タスク)の解決

②状況の明確化

③情動の喚起

④近未来(将来)の計画のリハーサル

今回は、夢の機能の③、④を中心に、次の2つのシーンの解釈を試みてみましょう。

<シーン①>近くの経理部管理課では、I 課長のもとで社員が熱心に取り組んでいる。「さて、自分もやらなくちゃ」と思って業務の記述をしようとするのだが、なかなか書けない。「自分は一体何をやっていたのか」と自分を責める気持ちもある。

ここでの私のスタンスは、傍観者としての観察から始まります。私は燃えない観察者、しかし同僚のI 課長はしっかりとリーダーシップを発揮して、部下を燃えさせています。
このコントラストが注目すべき点です。

当時の、実際の私は、課長と称するものの、部下は社長秘書の女性だけ。しかも、部下の社長秘書は、夢の中に登場しません。
一方のI 課長は、多くの部下を従え、夢の中でも、しっかりと管理ができています。

私は、夢の中で自分を相対的に惨めに-言い換えれば、I 課長に劣等感を-感じています。
その劣等感は、リーダーシップだけでなく、自分自身のなすべき仕事もしっかりと記述できないほどの惨めさにより増幅されます。
ちなみに、「なすべき仕事もしっかりと記述できない」というのは、「説明責任も果たせない」ということに他ならず、自分の怠慢さを責めているのです。
このことが、過去から現在まで「自分は一体何をやっていたのか」と、後悔だけでなく自責の念を呼び起こしています。

ライフ・タスクと関連づけると、ワーク・タスクにおいて「無益な、非生産的な時間を過ごした」ことの後悔と自責の念です。そのことを空白期間後の職場への復帰として夢が表現しているのです。

<シーン②>業務見直し運動の全体会議。直属の総合企画室副室長(取締役)がいろいろ説明しているが、自分は遠くから眺めている。「自分もこのチームの一員なのになー」という感じ。 席に戻って用紙をもとに書こうとしているが、やはりなかなか書けない。漠然と頭に浮かぶことはいくつかあるが、書けない。 とてもイヤーな気分で目が覚める。

シーンは、変わります。
全体会議は、シンボルとして解釈できるかも知れません。世の中の趨勢(トレンド、流れ)かもしれません。自分を取り巻く環境の、ある動きかもしれません。

しかし、その全体会議の中でも私は傍観者です。波に乗れていないのです。本来ならば、総合企画室の一員としてなすべき仕事があったはずです。それでいながら遠くから眺めているだけで、なんらの影響力を発揮していないと思っている私。

その私は、名ばかりの一員で「自分もこのチームの一員なのに」と疎外感を抱いています。所属に成功していない寂しさの感情も湧いてきています。

席に戻っても書けないということは、そこまで自分自身を否定していることを意味しています。休職してすぐならともかく、全体会議で説明を受けてもなお、理解していない、用紙を前にして書けない自分なのです。頭に浮かぶことがあっても「漠然」(記述不能)なのです。
「ダメ、ダメ、こんなにダメ、どうしようもないくらいダメ」と、徹底的に自分のダメさ加減が証明されていきます。強烈な自己否定です。

さて、こんな感情を抱きながら目を覚ましました。
夢は、私に、焦り、自責の念、疎外感、寂しさという、とてもいやーな感情を作り上げ、私を何らかのかたちで動かそうとしたのです。

では、どう動かそうとしたのでしょうか?

朝にちょうどこの夢を見た日に、私はしゃにむに仕事をして、夕方には添付ファイルによるメールと郵送で青森公立大学に書類を提出しました。それからすぐ、確定申告の準備を始めました。

ただ、それだけとなると、ワーク・タスクにおいて、準備不足を警告する感情である焦りを作り上げて、私に燃料を供給し、行動に向けて駆り立てただけの夢でしかなくなります。ここまでの自己否定感は何だったのでしょうか?

私は、焦りを使って動かすだけとは捉えていません。大事なことは、これほどまでに鮮明な、このレベルまで感情を喚起させる夢を見ながら「書類提出」や「確定申告」だけではいかにも寂しいではありませんか。

義理の姉の昏睡状態が続く中での夢でもありました。夢は、親族の一員としてなすべきことを果たしえない自分をもどかしく感じさせてもいました。

この夢は、失われた期間と所属の不確かさ(さまざまな意味で)を認識させてくれた夢であり、私に「精神的な居場所を明確にしなさい」「あたりまえの、なすべきことをきちんとして、影響力を発揮しなさい」とのメッセージをくれた夢であったようです。

以上、私の夢を素材に解釈の仕方の断片をお伝えしました。

「アドラー心理学による夢解釈講義」は、もう少し続きますが、ここで、私の夢にコメントをくださった方々に厚くお礼申し上げます。

自分の夢を自分で解釈するというのは、いくら夢解釈の理論と技法を持っているとしても「私的論理」顕わな夢を自分の「私的論理」で解釈するという、独断と偏見の産物でしかなくなります。

そういう点で、どなたのコメントとは申し上げませんが、ハッと気づかされるようなことも多々ありました。
本当にありがとうございました。

次回は、あなたが、あなたご自身の、あるいはあなたの身近の人の夢を解釈できる理論を少々お伝えするつもりです。お楽しみに。



コメント ( 4 ) | Trackback ( )