アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

20年前の1998年8月に私の精神世界の師である生涯教育の円円(えんまどか)様から「あなたの神社・仏閣での祈り方は間違っている。あなたのやり方は、祈りではなく神頼みだ」と、厳しい指摘を受けたことがあります。

私はそれまで、滝行、観音霊場巡り、写経、座禅などをやってきたし、朝に晩に神棚・仏壇に祈りを捧げていた人間であるため、このご指摘は、意外でした。
その旨彼女に伝えると、彼女から次のようにピシャリ言われました。

「神頼みと祈念は違うんです。あなたのやっている神頼みは課長・係長レベルのやり方で、社長であるあなたに必要なのは祈念なのです」

私は、その体験をまとめて、1989年10月5日発行のヒューマン・ギルドのニュースレターで、「神頼みと祈念」と題して次のように発表しました。

1.神頼みがあれもこれも神仏に頼むのに対して、祈念は、自分のビジョンや、いわゆる設計図を明確にすることに基づく。

2.神頼みが課長・係長の“ハウ・ツー(How to)”レベルであるのに対し、祈念は“ホワット・ツー(What to)”レベルである。

3.神頼みが外なる神仏に迷いながら頼むのに対して、祈念は、内なる自己に真摯に語りかけることである。

4.神頼みが依存心を基にして“テイク”を求めるのに対し、祈念は、自立心を基にした“ギブ・アンド・テイク”の関係を神仏との間に築く。ここで神仏に対するギブとは、祝福と感謝である。

この体験に基づく私なりの神社・仏閣での祈り方提案です。

1.神社・仏閣を感謝の場としよう。

2.祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こう。

3.祈った分だけ瞑想をして神仏のメッセージを聴き取るよう心がけよう。

神社・仏閣で頼めば神仏は力になろうとします。人間も同様です。しかし、頼めば当然報告義務が生じます。感謝は、報告義務を生じません。
また、語りかけた分だけ聴き取ることも必要です。その手段が瞑想、あるいは瞑想的生活(起きたことは必然・必要と受け止める生活)です。

今日はこの辺で。

珍しく8時近くまで眠っていた朝に



 



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