アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
■頭脳が冴える0時から2時
入院中の最近、特に0時から2時はゴールデンタイムです。
頭脳が冴え渡り、いろいろな活動を始めてくれます。
腹式呼吸をしながら瞑想していると、とりわけスピリチュアルな感性が研ぎ澄まされてきます。
そんな時、多くの方々が私の状況について、祈りを捧げてくれていることが伝わってきます。
大空に向かって私のことを祈ってくれている方がいることを感じています。
Sさん夫婦は、朝に晩に揃って祈りを捧げてくれています。
Yさんからは毎晩、レイキのエネルギーを送ってくれていること感じています。
Mさんは、返信不要と書いたメールで私にお花の写真を送ってくれています。
同じように季節の写真をメッセージを添えてくださるS さんも。
一人一人思い起こすとキリがないくらいです。
これらの大部分の祈りを込めたメッセージを私は受け止めています。
最大の祈り主は私の妻です。
私のために、私に代わって、仏壇神棚向かって朝晩祈りを捧げてくれています。
祈りは私に確実に届いているのです。
本当にありがたいことです。
■祈りと瞑想について
スピリチュアルな営みは、祈りと瞑想によって代表されます。
祈りとは神仏に語りかけること
瞑想とは神仏の声を聴くこと
私はこのように理解しております。
祈りは、こうあって欲しいという祈願、誓願、強い思いに代表される能動的な営みです。
一方の瞑想は、受動的な状態になってリラックスし腹式呼吸をして、感覚を研ぎ澄ましながら神仏の声を聞くことです。
ただこのような形を取らなくても、瞑想的な生活もあります。
ふとした瞬間の出来事に対し、耳を傾け、そのことの意味をしっかりと受け止めることもまた瞑想的な営みと言って良いのではないでしょうか。
こう考えてみると、瞑想と祈りはコインの裏表のようなものであって、一方だけなら発信あるいは受信だけにしか過ぎません。
発信と受信が相まって、スピリチュアルな営みは功を成すのです。
■私の祈りが届いた昨夜
最後に私の祈りが数時間後に通じと話をして終わることにします。
昨晩LINEで妻とビーフシチューが食べたいと訴えました。
妻とは何度も何度も駅の近くのレストランでビーフチューを楽しみました。するとなんて言うことでしょう。
昨晩のお膳にビーフシチューが配られていたのです。
私の祈りは数時間後に実現してしまいました。
祈りは確実に効果があります。
私は信じています。
そして皆さんの祈りを確実に受け止めていることを感謝のメッセージを添えてお伝えいたします。心から感謝です。
ありがとうございます。
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<お目休めコーナー> 3月の花(5)
死にません。
絶望の淵にあっても死を願うこともありません。
今回の機会を通じて神仏の加護をより一層実感しました。
コメントに感謝です。