アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(10月30日)は、16:00-なかのZERO大ホールでカミさんと一緒にオペラ観賞に行きました。



曲目は、キエフ・オペラによるヴェルディの「アイーダ」

演 奏:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団(指揮:ヴォロディミール・コジュハル)

合 唱:ウクライナ国立歌劇場合唱団

バレエ:ウクライナ国立歌劇場バレエ

主な出演:
アイーダ(エジプトの奴隷となったエチオピアの王女、敵国の将軍ラダメスを愛してしまう)役・・・・リュドミラ・モナスティルスカ(ソプラノ)

ラダメス(エジプトの将軍、アイーダを愛する)役・・・・アンドリィ・ロマネンコ(テノール)

アムネリス(エジプトの王女、ラダメスを愛するあまりアイーダに嫉妬する)役・・・・アンジェリーナ・シヴァチカ(メゾ・ソプラノ)

何と言っても魅力の1つは、オペラだと3-4万円が常識のチケット代が中野区民の特権でS席@12,600円でした(ただ、調べてみたらキエフ・オペラは他の地域でも安価のようです)。
11月23日まで公演があるので、今からでもお申し込み可能です。

私は、自称クラシック音楽通ですが、オペラの実演を観賞したのは初めて。
満足度最大級でした。ブラボーでした。

オペラなら当然ですが、人間の歌声は楽器そのものでした。

特に印象に残ったのは、次の3つでした。

1.主役はアイーダのはずですが、出演度はアイーダ、ラダメス、アムネリスがほぼ互角で、私自身は、ラダメスがアイーダを愛しているのを知り、嫉妬に苦しみつつ愛を断念できないアムネリスに惹かれました。

2.ウクライナ国立歌劇場のバレエ団がいいタイミングで花を添えてくれました。

3.通い慣れているなかのZERO大ホールでまさかオペラを観賞できるとは思っていませんでした。舞台装置も期待以上でした。


◎DVDで手軽に「アイーダ」を観賞したい人のための情報です。

デアゴスティーニ・ジャパンから出ている「アイーダ」が1,990円(税込)とおトクです。

指揮:ガルシア・ナバロ
演奏:サンフランシスコ・オペラ管弦楽団&合唱団

アイーダ…マーガレット・プライス(ソプラノ)
ラダメス…ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)


<お目休めコーナー> 雨の秩父にて①





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ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

10月30日(土)、31日(日)は、珍しく2連休です。
以前から2日間の予定を立てていて、この2日間は仕事をしない、と決めていました。

1つは、30日になかのZERO大ホールでキエフ・オペラの「アイーダ」観賞、2つめは、31日に東京六大学野球「早慶戦」の観戦。

大学生の息子は、放送研究会の一員として仲間の3人を家に泊め、土曜日の朝、信濃町駅に集まったのですが、当然のことながらこの台風の余波で中止。
さっき4人を連れて我が家に戻ってきました。何だか階下が騒がしい。

私は、書斎にこもってモーツァルトのピアノ協奏曲(19番、23番、24番、25番、26番)のCDを流しながら溜まっていた書類を片付けていたら、見失っていたファイルなどが出てきました。

発見品の最大の収穫は、「勇気づけ話材集」。次にアドラー派の思春期に関する本(絶版本)のコピー。
ブログにどこかで反映できそう。

秩父の写真などをこれから整理して「秩父観音霊場巡り」に関する記事を書きます。

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

10月27日(水)、28日(木)の2日間、秩父観音霊場巡り20箇所に加え、三峯神社に行ってきました。
このことは、後日じっくり書くとして、飛び飛びになっていた「フロイト派から見たアドラー」の第11回目にします。

今まで『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについて計10回書いてきました。

フロイト―視野の暗点
ルイス ブレーガー
里文出版

前回は、アドラーのフロイト離れが理論面ばかりではない、として終わりました。
今回は、その続きです。

ルイス・ブレガーによれば、アドラーは、治療面でもフロイトの古典的な技法と違って、「人生計画」や「個人神話」、その人の個人的なスタイルや葛藤、そして「誤った」神経症的生き方について診断し、それからそれを伝えて理解や洞察を生み出すのが常だったように書いています。

その後に続いて、

それ(アドラーによる治療)は親切で穏やかなやり方で行われるのだが、しかし、結局のところ治療者を権威的な立場に置き、患者が誤ったやり方をしていることを教授し、それを諦める方法を提示し、「共同体感覚」に基づいた生活を送るようにさせていくというアプローチであった。

と書いていますが、この部分は、ブレガーの書き方に明らかな誤認があります。

その1つは「治療者を権威的な立場に置き」という部分で、2つめは「共同体感覚」です。

フロイトが寝椅子に患者を横たえて患者からは見えず、治療者からは患者が見えるスタイルで精神分析を行っていたのに対して、アドラーは、治療者と患者が高さも形も大きさも同じ椅子に向き合って座るやり方の短期的な治療を行っていました(『無意識の発見 下』、アンリ・エレンベルガー、弘文社)。
この座り方が権威的なわけがありません。

無意識の発見 下  力動精神医学発達史
アンリ・エレンベルガー
弘文堂


「共同体感覚」についてアドラーはこの時期に言及していません。詳しくは後に触れますが、さまざまな文献をチェックしても、フロイトとの決別以前に「共同体感覚」に触れている形跡がないのです。

ルイス・ブレガーは、フロイト派の末裔で、アドラーに比較的好意的な人ですが、アドラーを語るには、参考になる部分はありますが、やや精密さに欠けるようです。精神医学史家のアンリ・エレンベルガーにはとても及びません。


余談になりましたが、ここでのポイントは、理論面でフロイトと違っていただけでなく、技法面においてもアドラーがフロイトとは違った手法を用いていたことです。

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

9月6日のブログ「ヒューマン・ギルドの原点からの発想 ~ 秩父への想い」に書いたように、ヒューマン・ギルドの原点から発想し直すために、私自身をくつろがせるために今日から1泊2日で秩父観音霊場巡りに出かけてきます。
当初の予定は2泊3日でしたが、1日短縮せざるを得ませんでした。

同行者はH君。ひきこもりの青年です。
彼は、私が原点に遭遇した年齢とほぼ同じなので、いい体験になると信じています。

宿泊するのは、国民宿舎両神荘(温泉あり)。山の中にある宿舎なので、インターネットの環境がないと思われます。
従って、ブログは1日お休みし、たっぷり楽しんできます。

それでは、行ってきまーす。


◎講座のご案内―11月の花形講座

11月13日(土)、14日(日)に恒例の深沢孝之さんによる「セット・セミナー」を開催します。

「アドラー心理学からみた子どもの発達と病理セミナー」
 11月13日(土)13:30~18:30

「カウンセリング力をアップする-心理アセスメントと治療技法セミナー
 11月14日(日)10:30~16:30

の2つです。

講師の深沢さんご自身がブログで講師としての思いを「秋の講座の予定」として書いてくれていますので、ご参照ください。
http://taichi-psycho.cocolog-nifty.com/adler/2010/10/post-1b57.html

お申し込み方法を含むヒューマン・ギルドのサイトはこちら
http://hgld.co.jp/hpgen/HPB/entries/19.html


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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(10月25日)は、久しぶりに研修のない1日。2つのトピックがありました。

1つは、PHP研究所 文芸出版部 副編集長の若林邦秀さん(『心の雨の日の過ごし方』の編集者)を通じてあるビッグ・ネームの方(著書たくさんの女性、研修講師でもある)からのインタビュー依頼が正式にありました。

11月1日の16:00にその方とPHP研究所の若林さんともう1人の3人がヒューマン・ギルドにお越しになることになりました。
お名前はあえて伏せておきます。

午後は、護国寺に真言宗豊山派教化センター「仏教文化の諸相」公開講座第1回目を聴きに出かけました。

仏像・祈りのかたち
~真言密教と阿弥陀如来~

のタイトルで、講師は、大正大学講師の堀内規之氏。

今後の仏像の観方が楽しみになる講座でした。


さて、『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについての、いよいよ第10回目です。

1907年にアドラーが出版した『器官劣等性の研究』に対して、精神分析のグループに批判的な人たちが一部いたにもかかわらず、フロイトは好意的でした。

しかし、この本の出版以降アドラーは、理論面で「攻撃欲動」から「愛情欲求」に発展し、やがては、「男性的抗議」という概念を導入するようになりました。

ちなみに、「男性的抗議」というのは、「女性の立場が特権や力が認められないために、威厳と地位が認められないことに対して、女性が主張しクレームをつけること」で、当時、男性に比べて女性が社会的に劣等な立場に置かれているものと感じ、対等な立場を求めて努力する、とアドラーは論じていました。

この時期フロイトがこだわっていたのは、性本能である「リビドー」でした。アドラーの「男性的抗議」の概念は、ウィーンの学会のメンバーからはフロイトの理論からあまりに離れてしまったという印象を持たれ、徹底的な討論を提案してきました。

フロイトは、表立ってはアドラーに友好的に振る舞いながら、ユング、ジョーンズ、フェレンツィー宛ての私信で、繰り返しアドラーのことを「偏執病的」であり、「神経症的」であり、精神分析にとって危険である、と記していました。

アドラーのフロイト離れは、理論面ばかりではありませんでした。
このことは次回に。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

早いのもので、孫の誕生(9月25日)から1カ月。

孫は、土曜日(10月23日)にお宮参り。
私は、アドラー心理学ベーシック・コースを行うため参加できませんでした。

前妻(娘の母親)からその時の写真を送ってもらいました。



だいぶ顔立ちがはっきりしてきたようです。


さて、アドラー心理学ベーシック・コースは、23日、24日(土日)の2日間が後半部分。

土曜日の晩は、飛び入りの2名を加えて19名で「竹ちゃん」で懇親会を行いました。

日曜日は、討議に演習を加えて「勇気づけ」でフィナーレ。

沖縄、富山からの参加者もいて、さらには、夫婦でのご参加もあり、19名の個性的な人たちで賑わいました。



参加者のうちのかなりが11月開催の2つの「愛と勇気づけの親子関係セミナー(SMILE)」にもお申し込み。

これから行う「ELM勇気づけリーダー・トレーナー養成講座」(12/11,12開催)や「アドラー・カウンセラー養成講座」(2/5,6,19,20,3/5,6,20,21)に進む方もかなり見込まれます。

なお、この2つの講座の概要は、ヒューマン・ギルドの下記のサイトをご参照ください。
http://hgld.co.jp/hpgen/HPB/entries/14.html


ご参加の方々の受講動機をお尋ねすると、会員の直接のお勧め、あるいはブログが多く、ヒューマン・ギルドの会員の方々のアドラー心理学や勇気づけに寄せる期待を窺い知ることができました。
ありがとうございます。


最後には、1人ひとり感想をお聞きしたら、高い満足度でうれしくなりました。

講座が終わってから、集合写真を撮りました。



子育てコミュニケーターkanaco さんが講座の終了時のことを10月24日のブログで「2つの修了証の意味」として少し書いてくれています。ご訪問ください。


◎次回のアドラー心理学ベーシック・コースは、次のとおり開催します。

2011年1/8.9..22.23(土日・全4日間)
 時間:土曜日13:30~19:00 日曜日10:00~17:30


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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについての第9回目です。

『フロイト―視野の暗点』の第14章「アルフレッド・アドラー:最初の反論者」からブレガーのアドラー論を引用すると、ブレガーがかなりアドラーに好意的なことが伝わってきます。
ただし、それでいて、耳が痛いことも書いていてくれます。

そのまま引用してみましょう。

結局アドラーは講演で人気を博する哲学者であり、救済の使命を担った人間であった。しかし、彼は書くことには根気に乏しかった。彼の仕事は精緻さに欠けており、後の著作の多くは弟子たちが講演から編集したものである。彼が自分の考えを文章化しなかったことが、彼の理論よりもフロイトのものが大きな影響力を持ったことの一因である。

今日アドラーを読んでみると、後の精神分析の動向を予告するような数多くの貴重な概念をそこに見出すことができる。しかしそれは、話し言葉でしか伝えることのできないような形で提示されている。その概念は大雑把に述べられ、十分に展開されておらず。精密さや深みに欠けている。アドラーはその多くをより実証的に提示することに失敗している。


『フロイト―視野の暗点』の監訳者の1人の後藤さんは、この本を私の贈呈するためヒューマン・ギルドにやって来たとき、こう尋ねました。

「アドラーの新しい本ある?」

私は岸見一郎さんによって訳されているアドラーの本のいくつかを書棚から出して、後藤さんにお見せしました。

それらの多くは、別の出版社から出ていたものです。

「アドラーの1930年代の本は、ほとんど書いていある内容が一緒だものね」

後藤さんは、アドラーの本ををしっかりと読み解いていました。

結局、後藤さんには、彼が読んだことがない、私が訳した『アドラーのケース・セミナー―ライフ・パターンの心理学 』(A.アドラー著、一光社、2,850円+税)を贈呈しました。

アドラーのケース・セミナー―ライフ・パターンの心理学 (Adlerian Books)
アルフレッド アドラー
一光社

このアイテムの詳細を見る

それにしても、アドラーが自分の本を後世にしっかり残るように、もっともっと体系化して書いていてくれていたらと、ちょっぴり恨み節が出てしまう私でした。

まだまだ続きます。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(10月21日)は、東京都武蔵野市のNTT情報流通プラットフォーム研究所で20人を対象に「指導員研修」を行いました。
受講者は、20歳代後半から40歳代前半の、ほとんどが大学院修士課程修了の研究者でした。
「感覚タイプ」を調べる演習を行ったのですが、けっこう触覚・運動タイプがいて面白かったです。

5時半に研修を終えて、そのまま東京駅に向かい、7時発の新幹線で大阪にたどり着きました。

宿泊先は、大阪駅から徒歩5分のホテルモントレ大阪(大阪市北区梅田3丁目3番45号)

ウイーンをテーマにデザインされたこのホテルモントレが私は好きです。
大阪は初めてですが、札幌では定宿にしていました。


さて、「フロイト派から見たアドラー」の番外編 その2を書きます。

『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにするのではなく、新幹線やホテルの部屋で読んだ『心を癒すふれあいの心理学』(国分 康孝著、講談社+α文庫、680円+税)に出ていたフロイトの人物像の断片をお知らせします。

心を癒すふれあいの心理学 (講談社プラスアルファ文庫)
国分 康孝
講談社

昨日のフロイトとアドラーの対比の補足としてお読みください。

<その1>
フロイトは、ユングと一緒にお酒を飲もうとしたのですが、ユングが飲まないと言ったとき、フロイトは怒りのあまり失神したそうです。

<その2>
アメリカの心理学者のオールポートは、学生の頃、アメリカからわざわざウィーンにフロイトに会うためにやって来ました。

部屋に通されたのですが、フロイトが黙っているので、どうしてよいかわからなかったオールポートは仕方なく、来る途中、子どもがだだをこねて泣いていたのを見た、と語りました。

フロイトは、そこで初めて口を開いて言いました。

「だだをこねて泣いていた子どもは君のことかね」

オールポートは、最高にがっかりしました。もっと他に言いようがなかったのか、というわけです。


国分先生は、<その2>のエピソードと絡めて、フロイトのことを「絶えず分析者としての自分を失いたくなかったのであろうか」と推測し、「なぜ一言『よく来たね、それほどまでにして私に会いに来てくれてありがとう』とフロイトは言えなかったのか」と問題視しています。

こんなフロイトのエピソードを読むと、やっぱりアドラーの方が圧倒的にいいな、と私は思います。

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今週は、外部でずっと研修の日々を送っています。

昨日(10/20)は、CSLベーリングという外資系企業で「傾聴トレーナー」研修、今日はNTTの研究者向けの指導員研修、夕方新幹線で移動し、大阪で財団法人 地方公務員安全衛生推進協会主催の「メンタルヘルス研修」で「セルフケア―自分自身への勇気づけ」を担当します。


さて、今朝も『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについて同書の第14章「アルフレッド・アドラー:最初の反論者」をもとに紹介します。


この箇所では、アドラーの生育歴に触れながら、フロイトとアドラーのほんの少しの共通点と多くの相違点が書かれています。

若い頃のアドラーとフロイトは、共に貧困を経験したが、アドラーの方は労働者階級や貧困者に同一化し、恵まれない子どもたちや低く留め置かれた女性たちに同一化する剥奪的な家族背景から出立した。


フロイトとアドラーが精神分析を実践した患者の社会階層に関するある調査のことが出ていて(1.)、これに続いて2人の人物が比較されます(2.-6.)。
この要点は、次のようです。

1.フロイトの患者の74%は裕福な階層であり、中産階級が33%で労働者階級はわずか3%だったのに対して、アドラーが診た患者は25%が上流階級、中産階級が39%で、下層階級は35%であった。

2.フロイトは格式張って自制が利いており、個人的な、また情緒的な表現は書き物だけに留め、気持ちを打ち明ける相手をあまり持たなかった。一方アドラーは社交好きで、外交的で話好きであった。

3.フロイトが音楽を嫌ったのに対し、音楽好きの家庭に育ったアドラーは、素晴らしいテノールで、頭の中にしばしば音楽が流れていた。

4.2人ともユダヤ人として生まれたが、フロイトは熱心な反宗教主義者であったにもかかわらずユダヤ人としてのアイデンティティを放棄せず、迫害を受けるよそ者としての自分という自己感を自らの一部として持ち続けた。
一方のアドラーは、キリスト教信者の多い地域で生まれ、全く宗教を意識することのない家庭で育ち、子ども時代に反ユダヤ主義に出合うことも自分自身をユダヤ人と考えることもなく、成人してキリスト教に改宗した。しかしアドラーは、宗教を実践せず、自分のことをただウィーン人とだけ考えていた。

5.フロイトは服装や外観にたいへん気を遣ったが。アドラーは気にかけず気ままだった。

6.2人は自分の考えを表現する語彙が非常に異なっていた。フロイトは「リビドー的エネルギー」とか「メタ心理学」とか「死の本能」といった術語を使い、それによって心理学的な観察を擬似生物学的な推量と結びつけて自分の理論に深淵で深みのある雰囲気を与えた。しかしアドラーは、「劣等感」とか「補償」とか「愛」とか「力」といったような日常語で書いたり話したりした。


こうして読んでみると、「この2人が共存するのは困難」と、ほとんどの人が思いますよね。


<お目休めコーナー> 栃木文化会館の噴水(先日と別の角度から)



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについて今まで6回にわたって書いてきました。

フロイト―視野の暗点
ルイス ブレーガー
里文出版

しばらくフロイトとユングの関係について触れてきました。このことは、フロイトとアドラーとの決別に大きく関係があるからです。

いよいよアドラーの本格的な登場です。

『フロイト―視野の暗点』では、わざわざ第14章を「アルフレッド・アドラー:最初の反論者」としています。

この章の冒頭にはこう書かれています。

1910年のニュルンベルグ会議におけるフロイトの行動は、ウィーン精神分析学会の中に葛藤を引き起こし、アルフレッド・アドラーやヴィルヘルム・シュテーケルは、不公平なやり方に不満を口にした。ウィーン精神分析学会の者は皆、フロイトがユングとスイス人を厚遇し、自分たちを軽く扱ったといって怒りを抱いた。それに加えてフロイトは、自身の教義に反するような考え方に対して不寛容だった。


もともとフロイトは、アドラーのことを「ウィーンで一番の分析家」と呼び、自分の兄アレクサンダーの妻の治療をアドラーに依頼していたほどでしたが、アドラーは、フロイトだけでなく誰の分析も受けていませんでした。

アドラーは、当初からウィーン学会の中で共存して仕事を進めていたのですが、フロイトの側から見ても「弟子」あるいは「信奉者」のしての色合いは薄れ、より独立した理論家となり、そして、フロイトとの決裂は避けがたいものとなったのです。


ところで、フロイト派から「弟子」とよく書かれているアドラーは、この発言に関してどんな思いを持っていたのでしょうか? アドラー自身の見解は、『生きる意味を求めて』(岸見一郎訳、アルテ、2,000円+税)に次のように書かれています。

生きる意味を求めて―アドラー・セレクション
Alfred Adler,岸見 一郎
アルテ

(夢の解釈について)私は彼の誤りから学んだのである。私は一度も精神分析を受けたことはない。
(P.206-207)

続けて憤り気味に次のように書いています。

フロイトと彼の弟子たちは、明らかに自慢するように、私がフロイトの弟子であったということを大いに好む。私が精神分析のサークルでフロイトと大いに論争したからである。しかし、私は一度もフロイトの講義に出たことはないのである。このサークルがフロイトの見解を支持することを誓わせることになったとき、私が最初に彼のもとを去った。
(P.207)


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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(10月17日)は、ヒューマン・ギルドで9:30-17:30に「感情のコントロール法」のセミナーを開催しました。



参加者が女性ばかり、それに少人数であったため、私も討議をしっかり聞くことができました。

迫力ある女性たちの感情に関するホンネ・トーク。これはものすごく勉強になりました。「講師冥利に尽きる」と言ってもいいほどでした。今後の素材に生かせそう。

なお、この講座に関する受講者側からのご感想です。

ナガトーカオルさんが

「愛は恐れを“サバ折り”にする」

と題して「思いどおりにいかない日でも笑うセイカツ ~ワタクシ、ハタラクヒトの味方です~」のブログに書いておられます。


さて、『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについてお伝えする第6回目です。

このところアドラーを差し置いてフロイトとユングの話ばかりのようですが、フロイトとアドラーの破局に関して今後に大いに関係してきますので、ご期待ください。

フロイトに肩入れしていたフロイトは、1909年3月にユングを正式に「後継者であり皇太子(注:フロイトは自分を王に見立てていた)」と宣言し、彼をニュルンベルグの国際会議の議長に就任させようとしました。

このところをルイス・ブレガーは、次のように書いています。

ニュルンベルグ提議は、フロイトが完全な専制君主であることを明らかにした。フロイトは、自分の発明品と考えているものを長い間保護してきて、誰が自分のことを精神分析家と呼ぶことができ、誰がそう呼ぶことが許されないかを決めるのは彼自身だけであると幾度か公言し、精神分析運動の「旗じるし」と彼が呼んでいるものに従うように要求してきた。

フロイトはまた、世界を敵意に満ちた、すぐに彼のことを誤解したり攻撃したりするような場だと考えており、それに対抗する唯一の手段は、強力な指導者に率いられて武装した忠実な支持者を持つことだと考えていた。これが新しくできる国際学会についてフロイトが心に抱いていたイメージであった。


フロイトの計画に対しては、ウィーンの精神分析家たちから強い反対がでました。彼らは、フロイトがユングやスイス人を厚遇し、自分たちを無視していると苛立っていました。

最終的に妥協案が創り出され、ユングは終生会長ではなく、2年任期の会長となって、出版物に対する検閲の権限は持たず、新しくく創刊される雑誌の「精神分析中央雑誌」は、フロイトを顧問として、アドラーとシュテーケルを共同編集者とし、3人がそれぞれ出版の拒否権を持つことになりました。

しかし、今後に続くように、このような譲歩は一時的なものに過ぎませんでした。


<お目休めコーナー> チョウセンアサガオ



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(10月16日)は、宇都宮の栃木文化会館でNPO法人 セニア・サービスセンター主催の「ピア・カウンセラー養成講座」で10:00-16:00までアドラー心理学と勇気づけの研修を行いました。


(栃木文化会館の庭の噴水)

参加者数38名のうち私の郷里の鹿沼からご参加の方々が10人近くいました。
私のジョークやパーフォーマンスに大いに笑いで反応してくれる人たちで、まるで綾小路きみまろのような気分になった私でした。


さて、『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについてお伝えする第5回目です。

1908年にザルツブルグで行われた精神分析の会議では、アドラーは「生活における、そして神経症における加虐性(サディズム)」を発表、ユングは「早発性痴呆(注:いわゆる統合失調症のこと)」についての講義を行いました。

フロイトは、ザルツブルグ会議での成功を気をよくし、ユングを編集長とする最初の精神分析雑誌あるいは年報『精神病理学年報』を創刊しました。

ユングに「御しがたい同性愛的リビドー」で肩入れするフロイトのユングに対する肩入れはますます強まります。

1909年、アメリカの心理学者G・スタンリー・ホールの招待を受けて、フロイトとユングは、ハンガリー人のサンドール・フェレンツィーを加えて渡米。、マサチューセッツ州にあるクラーク大学でフロイトとユングは講義を行いました。

この当時、フロイトとユングは、大変親密な関係にあり、2人の間では頻繁に文通が交わされていました。

アメリカ訪問を機に、精神分析運動による新たな征服がフロイトの中で始動しました。
次の国際会議を1910年にドイツのニュルンベルグで開催することに決め、フェレンツィーには、国際学会を創立し、ユングを終身会長としてチューリッヒで運営することを提議させました。

フロイトは、お気に入りの若いスイス人の精神科医のユングのことを国際的な運動を推進するのに理想的な人物だと確信していたのです。

このことがウィーンの精神分析家たちから大きな反発を受けることになるのです。


<お目休めコーナー> 栃木文化会館の庭



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日(10月17日)は、久しぶりにオフィスにいていろいろなことをこなせました。

日中や夕方に外出しましたが、そのことを含めてメイン・イベントは、次の3つでした。

1.旅行の計画

2.日本産業カウンセラー協会東京支部会報誌 「いま ここ」到着

3.明日香出版社著者大会に参加


1.旅行の計画

8月17日(火)の鹿児島観光の日以来、土日・祝日を含めて休みを取っていなかったので、体が警告を発してくれています。

10月だけでも10月14日までに12日間、研修の日々を過ごしています。

こんな日々が続いちゃたまらないと、旅行の計画を立てました。

1つは、すでに計画済み旅行で、10月27日(水)、28日(木)の2日間、秩父観音礼状巡りに出かけます。

このことに関しては、9月6日のブログ「ヒューマン・ギルドの原点からの発想 ~ 秩父への想い 」に書いていました。

「同伴したい」「子どもを参加させたい」という人たちが一部いましたが、結局、ひきこもり中のH君と2人だけで霊場を巡ることにしました。
また、当初2泊3日の予定でしたが、1泊2日に変更し、34箇所の霊場のうち2/3ほどを巡ることにしました。
宿泊先は、温泉のある国民宿舎 両神荘を予約しました。1,000ccのレンタカーも予約しました。

2つめは、11月の14日(日、SMILEの第1日目)、15日(月、大津市でのメンタルヘルス研修)にかこつけて、11月13日(土)は京都観光を楽しみ、14日は大津の豪華ホテル(温泉付き)に宿泊することにしました。

研修講師の仕事をしていると、相手様の費用でこのような設定も織り込めるのはありがたいです。


2.日本産業カウンセラー協会東京支部会報誌 「いま ここ」到着

社団法人 日本産業カウンセラー協会 東京支部 会報誌「いま ここ」( 第23号)が大量に届いていました。
社団法人 日本産業カウンセラー協会 東京支部 広報・会員部事務局の永野美奈子様のご厚意によるものです。



このことは、10月1日のブログ10月1日のブログ「9月最後の3日間 」でもお伝えしたとおりですが、7月24日(土)の私が同協会で行った研修のエッセンスが会報誌の計4ページに盛り込まれています。



かなりしっかりとした内容です。

ご希望の方には、120円相当の切手を添えてヒューマン・ギルド(info@hgld.co.jp)にお申し込みいただければ、いま ここ」( 第23号)をお送りします。
また、私の部分だけをPDFファイルでご希望の方にも対応します。


3.明日香出版社著者大会に参加

夕方17:30からは、明日香出版社主催の、恒例の著者大会に参加しました。
私が同社から『ものの言い方ひとつで自分も周りも幸せになる大人の心理術』を出していることでお招きいただきました。

ものの言い方ひとつで自分も周りも幸せになる大人の心理術
岩井 俊憲
明日香出版社

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場所は、虎ノ門の霞山会館(霞ヶ関コモンゲート西館37階)

昨年も10月16日の参加し、10月17日のブログに「明日香出版社著者大会に参加 」として書いて、「めちゃ楽しかった」という印象を残したのですが、今年はイマイチ感が残りました。
なんででしょうね。


◎本日は、宇都宮に出張してNPO法人 セニア・サービスセンター主催のピア・カウンセラー養成講座で「アドラー心理学と勇気づけ」のタイトルの研修をしてきます。
ここ10年続く行事。楽しみです。


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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版)をもとにフロイト派から見たアドラーについて連載していますが、この本にフロイトの治療技法に関する面白いエピソードが載っていましたので、番外編として紹介します。

フロイトが有名な指揮者のブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876-1962)の「職業的けいれん」の治療をしていたときのことです。

長期にわたる精神分析治療を予測していたワルターは、フロイトから数週間イタリアに旅行して、手のことを忘れて、目だけを使いなさいと言われ、驚きました。

旅行から帰ってきたら、ワルターの腕は多少よくなっていて、フロイトからまた指揮をするように言われ、次のような会話に発展しました。

ワルター 「でも腕はまだ動きません」

フロイト 「とにかく、やってみなさい」

ワルター 「でも、途中で指揮ができなくなったら一体どうするんですか」

フロイト 「途中で指揮ができなくなりはしないよ」

ワルター 「演奏を混乱させたら責任を取らなければなりません」

フロイト 「その責任は私が取るよ」


ルイス・ブレガーは、この一例を次のように書いています。

フロイトは、自身の技法的勧告に全く相容れないような、魔術的な治療者を演じているのである。


私は、この一節を読んでフロイトにちょっぴり好意を抱きました。

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ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

10月9日以来、他の話題に移ったり、お休みいただいたりしていましたが、『フロイト―視野の暗点』(ルイス・ブレガー著、後藤素規・弘田洋二監訳、大阪精神分析研究会訳、里文出版、税込み7,500円)をもとにフロイト派から見たアドラーについて再開します。

今回は、第4回目です。

前回は、フロイトを中心とした心理学「水曜会」が会員が着実に増え、ウィーン以外の他の都市からもフロイトを求める人がやって来るようになった、というところで終わりました。

さて、そのような訪問者の1人は、カール・G・ユング(1875-1961)でした。

ユングはその当時、スイスのチューリッヒにある世界的に有名なブルクヘルツリ精神病院のスタッフである若い精神科医で、精神分裂病(統合失調症)の専門医として高名なオイゲン・ブロイラーの助手として働いていました。

ブロイラーから『夢判断』を読むように勧められ、非常に興味を持って研究したユングは、フロイトに大いに期待し、2人は1906年の4月から文通を始め、翌年ユングは、同僚の精神科医のツートヴィッヒ・ビンスワンガーと2人でフロイトの会いにウィーンにやって来ました。

この最初の出会いからユングは、フロイトの才能と人物に大きな感銘を受け、一方のフロイトは、ウィーンを越えて精神分析を広めようとしてしていたため、ユングを通じてブロイラーの好意を得ようとしていたフロイトは、スイスに精神分析を広められる絶好の機会と捉えました。

ルイス・ブレガーは、フロイトのユングとの関係についてこう書いています。そのまま引用します。

ユングにとって、フロイトの魅力は個人的な要素も職業的な要素もあったが、フロイトの側にとってもこの関係は複雑なものであった。そこには政治的な関心と個人的な魅力が入り混じっていた。ユングとの関係は、ブラウン、フライシェル、フリースとの一連の関係とは別物で、フロイトはユングに身も心も引かれいった。これらの男性たちのそれぞれとの関係の中に、「御しがたい同性愛的リビドー」の残響とフロイトが後に呼ぶことになるものが存在していたのである。


1908年、水曜会はウィーン精神分析学会と名を改め、やがてヨーロッパやアメリカと接触を持つことによって、最初の国際的な会議が開かれる段階となりました。

この会議は、ウィーンとチューリッヒのちょうど中間に位置するザルツブルグで開催されました。

フロイトは場所の設定として、精神分析の2つの主要な中心を考慮していました。
一方はより大きな、もっぱらユダヤ人が中心のウィーン学会で、会議の出席者の半数を占めていました。

もう一方はスイス人たちで、その中でユングが重要な人物となっていました。


ここでは、ユングに「御しがたい同性愛的リビドー」で肩入れするフロイトをマークしておいて下さい。



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