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アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

ヒューマン・ギルドの設立後の40年にとって忘れられない、スピリチュアルな話を披露します。

私の処女作は1992年9月発刊の『人を動かす人に29の切り札』(青春出版社)です。
それと同時にヒューマン・ギルドの自費出版で『勇気づけで生きる』という本を出しています。
その中に「神頼みと祈念」という文章がありましたので、その一部を転載します。

1)【神頼み】があれもこれも神仏に頼むのに対して、【祈念】は自分のビジョンや、いわゆる設計図を明確にすることに基づく。
2)【神頼み】が課長・係長の”ハウ・ツー(How to)レベル”であるのに対し、【祈念】は”ホワット(What)レベル”である。
3) 【神頼み】が外なる神仏に迷いながら頼むのに対し、【祈念】は内なる自己に真摯に語りかける。
4)【神頼み】が依存心をもとにして”テイク”を求めるのに対し、【祈念】は自立心をもとにした”ギブ・アンド・テイク”の関係を神仏との間に築く。
ここで神仏に対するギブとは祝福と感謝である。

このいきさつは1980年代の後半ヒューマン・ギルドが赤字経営に苦しんでいた当時のことです。
私は名古屋の精神的な指導者に救いを求めました。
その人は「一度名古屋にいらっしゃい」と電話口で言うので、私はその人のところに出かけました。

するとその人は、「岩井さんは経営者になりきっていない。課長・係長レベルのことしかやってない」と厳しく私に言い渡しました。
代わりに「神頼みと祈念」という上の言葉を授けてくれたのです。

当時私はなんとかヒューマン・ギルドの業績を黒字転換させたいと観音霊場巡りをしたり、神仏にすがる日々を送っていました。
人の顔を見ると「講座に参加してください」とお願いばかりしていたのです。
その人は、私の神頼み体質を転換させる厳しい忠告をしてくれたわけです。

私はその後教えを守り、神仏と関わるときは頼むことよりも感謝することを中心にやっていきました。
するとほどなく面白いほど業績が好転換して行ったことが思い出されます。

今でも私はその方の教えを守り続けています。
特に下に書いた公式をこころに刻みながら。

お願い<感謝

感謝には、すべてを超える力があることを信じています。

有難うございます。

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アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日から実際は仕事を始めていました。
今年の春に出す2つめの監修本の原稿チェックに加えカウンセリングの予約などの処理をしました。
妻にも言われていますが、私は仕事が好きなんですね。
ただ、昨年の今ごろとの違いは、昨年は不整脈が出まくりの状態で仕事を続け、とうとう左腕に血栓が生じるほどになってしまいました。
今年は『遊ぶように働き、働きながら学ぶ』のモットーで過ごします。



昨日は早稲田の穴八幡に隣接する高野山真言宗準別格本山 放生寺 (「一陽来福」創始のお寺)に妻と初詣に出かけました。



このお寺は、我が家の菩提寺で、私が寄贈した提灯もありました。



本堂では、副住職が護摩祈祷を行っていました。

恵方の茅の輪くぐりもしてきました。

このお寺はかつて、お隣の穴八幡神社とは「神仏習合」で一体で、僧侶が別当を務めていましたが、明治政府の廃仏毀釈により分離されました。
穴八幡が【一陽来復】の御札をウリにしているのに対して【一陽来福】の御札を授けてくれます。
そのいわれは、Websiteによれば、次のようです。

江戸の昔より、観音経の偈文にあります「福聚海無量」という言葉の「福」の文字を一陽来復の「復」に重ね、御札を授与された皆さまに「一陽と共に福もかえり来る」来たる年も多くの「福」が訪れますことを當山本尊に祈願し信徒に御札を授与したのが始まりです。

このお寺の永久の会墓苑(とわのかいぼえん)には、妻の両親と姉の遺骨が永代供養されています。また、私の義父母の『言の葉』が石碑に並んでいます。

義父のお墓は生まれ故郷の長野県駒ケ根市にあったものを義母の晩年、このお寺に移しました。
遺ったのは娘の妻だけで家を継ぐ者がいないためです。

少子化、核家族化と共にお墓をどうするかは切実な問題です。
わが夫婦の場合は、息子とも相談の上この放生寺にお墓を買っていますが、遺族が存在しなかったり、墓守をしないとなったら身の始末を自分でつけておかなければなりません。

■永久の会墓苑公式サイト
      ↓
https://www.towanokai.jp/

1月2日に実家に挨拶に出向いた折には、長兄夫婦(88歳と84歳)が戒名のことを話題にしていましたが、これもまた切実な問題です。

「どう生きるか?」は自分で決められ関心があるものの、「どう死ぬか? 死後の始末はどうするか?」については、(自分も含めて)極端な関心の薄さのようです。

その点、晩年の130数日ほどを我が家で暮らした義母は、見事なものでした。

■2023年9月13日付けブログ 「命のバトン:6日間の誕生と往生の物語」をご参照ください。
   ↓
https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20230913



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<お目休めコーナー> 1月の花(4)



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おはようございます。アドラー心理に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日は、久しぶりにブログをお休みしました。
義兄(姉の夫、83歳)通夜に一昨日、告別式に昨日と妻と共に出向いていました。
集う人は、義兄側と姉側の親戚の十数人しかいなくて、そのためにかえって親密なやり取りができました。

「弔問外交(ちょうもんがいこう)」という言葉があります。
元首や政府要人などの死去に伴う葬儀において、各国の政府要人らが会葬する機会を利用して展開する外交のことを意味しますが、親族にとっては、冠婚葬祭の場で共同体のメンバーにとって絆を確認するだけでなく、別の共同体の一員とかかわりを持つことができる格好の場とも言えます。

通夜の席では、兄、義姉、甥、従妹とご一緒しました。
告別式の席では、遺族の家族に加えて親戚の方とも言葉を交わすことができ、さらには、この日だけ参列の姪(兄の娘)とも親しくできました。

昨日の告別式には、喪主を務めた甥から私に特別なミッションが与えられていました。
それは【弔辞】でした。
私は昨朝、4:00に目が覚めてWordに弔辞のエッセンスを書いて臨みました。
義兄は、気難しい面もあるがユーモアを解する人でもあることを語ろうとして用意していたエピソードを冒頭に置いていたのです。
そこから始めると、6ー7分になります。
海老名に向かう小田急線の中でも隣に座る妻にも内容を知らせることなく、声を出さずに練習していました。

いざ本番。
遺族と会場の雰囲気からして6ー7分は長いので、3分ほどに圧縮することにして、ユーモアを解する人の部分をカットしました。

故人を荼毘にふして葬祭場に戻り、繰り上げの初七日の法要を終えて、私たち夫婦は姪の運転の車で相模大野駅まで送ってもらう途上でカット部分を吐露しました。

その内容はこうです。

1975年(昭和50年)秋に神谷町の「農林年金会館」(現・虎ノ門パストラル)で結婚披露宴の際、私は岩井家を代表して余興の役割を担ったのです。
生まれて半年ほどの娘を抱っこして「逃げた女房に未練はないが、お乳ほしがるこの子がかわい・・・」と歌い、そうならないように戒めのスピーチをしたのであります。
新郎は「面白かった」と寛容に受け止めてくれ、縁起が悪いという人は皆無、会場は大盛り上がりでした。

さて、時の新郎新婦は、その後50年ほど仲良く暮らし、歌った私は、8年後にその時の女房に逃げられました。

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<お目休めコーナー>8月の花(7)



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アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

13日ぶりに点滴から解放されて院内を歩くことができています。
食事も自分で取りに行っています。

自販機のあるスペースに寄って外を見ると太陽がサンサンと輝いていました。
朝日に向かって伸びをし、そしてそのエネルギーを全身に受けるようにしながら瞑想をしました。
満ち足りた気分です。
何か新しいスタートを切れそうな予感がしています。

瞑想をしながら大日如来、薬師如来、不動明王等の真言を唱え、皆さんからいただいている祈り、声援、勇気づけを確認いたしました。
ありがたい気持ちでいっぱいです。

そうしていると、今回のことが10段階でスケーリングをすると、最悪の命を奪われることを10とすると、これから迎える事態を含めてかすり傷とは言えないけれども、4から5程度じゃないかと思えてなりません。
しかし、そこからいただく教訓は、4から5どころか8にも9にも場合によっては10にも匹敵するほどの価値を得ることができています。
こんなありがたいことはありません。

私は自分に起きたこの出来事そのものをも感謝の対象としております。
これから新しいことにゆっくりと取り組みます。
そして、蓄積してきたことを他者に委ね、古いことをどんどん捨て去っていきます。

リニューアルの岩井しゅんけんにご期待ください。

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アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

■頭脳が冴える0時から2時

入院中の最近、特に0時から2時はゴールデンタイムです。
頭脳が冴え渡り、いろいろな活動を始めてくれます。
腹式呼吸をしながら瞑想していると、とりわけスピリチュアルな感性が研ぎ澄まされてきます。
そんな時、多くの方々が私の状況について、祈りを捧げてくれていることが伝わってきます。
大空に向かって私のことを祈ってくれている方がいることを感じています。
Sさん夫婦は、朝に晩に揃って祈りを捧げてくれています。
Yさんからは毎晩、レイキのエネルギーを送ってくれていること感じています。
Mさんは、返信不要と書いたメールで私にお花の写真を送ってくれています。
同じように季節の写真をメッセージを添えてくださるS さんも。
一人一人思い起こすとキリがないくらいです。

これらの大部分の祈りを込めたメッセージを私は受け止めています。
最大の祈り主は私の妻です。
私のために、私に代わって、仏壇神棚向かって朝晩祈りを捧げてくれています。
祈りは私に確実に届いているのです。
本当にありがたいことです。

■祈りと瞑想について

スピリチュアルな営みは、祈りと瞑想によって代表されます。

祈りとは神仏に語りかけること
瞑想とは神仏の声を聴くこと

私はこのように理解しております。
祈りは、こうあって欲しいという祈願、誓願、強い思いに代表される能動的な営みです。

一方の瞑想は、受動的な状態になってリラックスし腹式呼吸をして、感覚を研ぎ澄ましながら神仏の声を聞くことです。
ただこのような形を取らなくても、瞑想的な生活もあります。
ふとした瞬間の出来事に対し、耳を傾け、そのことの意味をしっかりと受け止めることもまた瞑想的な営みと言って良いのではないでしょうか。

こう考えてみると、瞑想と祈りはコインの裏表のようなものであって、一方だけなら発信あるいは受信だけにしか過ぎません。
発信と受信が相まって、スピリチュアルな営みは功を成すのです。

■私の祈りが届いた昨夜 

最後に私の祈りが数時間後に通じと話をして終わることにします。
昨晩LINEで妻とビーフシチューが食べたいと訴えました。
妻とは何度も何度も駅の近くのレストランでビーフチューを楽しみました。するとなんて言うことでしょう。
昨晩のお膳にビーフシチューが配られていたのです。
私の祈りは数時間後に実現してしまいました。

祈りは確実に効果があります。
私は信じています。
そして皆さんの祈りを確実に受け止めていることを感謝のメッセージを添えてお伝えいたします。心から感謝です。
ありがとうございます。

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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

「鶴の恩返し」をもじって本日のブログのタイトルを「義母の恩返し」とします。

昨日は穴八幡に隣接する高野山真言宗準別格本山 放生寺 (「一陽来福」創始のお寺)で義母の四十九日法要に相当する納骨式を行いました。


メンバーはタクロウを入れた家族3人に義兄、妻の従姉の5人。

法要が終わってからはリーガロイヤルホテルの「たん熊」に移動してお清めの席。

家に帰って仕事をしていると、奇跡的なことが起きました。
大学時代の友人の、当時韓国からの留学生だった李君から携帯に電話。
53年ぶりのやり取り。
私と話したくて、私の実家に電話して携帯電話番号を教えてもらったとのことでした。
私もずっと李君の消息が知りたくて気になっていました。
大学卒業から2年後に大学時代から交際していた人と結婚し日本国籍を取得、3人の子どもと9人の子どもに恵まれているとのこと。
何だか義母の恩返しのその1のように感じました。

数日引き延ばしていた私の67冊目の本の素材を4時間ほどかけて完成、編集者に22:00過ぎに送ることができました。
こんなに効率的に仕事ができたことについて2つめの義母の恩返しと思いました。

今朝、夢を見ました。
教師たちの集まりの中で私のかつての恩師が私の論文を酷評しているのが見受けられました。
内容にパッションが感じられないと言っているのです。
私のことを知っている教師たち数人が私を駆り立てようとしているのに、私は四の五の言ってためらっているのです。
目覚めざまにミッションにパッションを注入することの大切さに気づいた夢でした。
3つめの義母の恩返しと思いました。

ここまで読まれた方は「なぜ恩返し」と感じられたかもしれません。

それは、2023年9月13日付けブログ 「命のバトン:6日間の誕生と往生の物語」に書いていたことに由来します。
https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20230913

昨日12:20に同居していた義母が老衰のためにこの世を去りました。
自宅で娘である妻と孫のタクロウに見守られながらの旅立ちでした。

「トシノリさんが手を当ててくれていたとき、まるで仏様が背中に宿っているように感じた」「この家にお世話になれて本当によかった」と9月10日の晩の言葉が残っています。
そんな義母の最後の命のあり方に感謝の気持ちが満ち溢れています。

「お母さんはお父さん、お姉さんのところに旅立ったんだね。お母さんから僕への最高のプレゼントは、娘を私の妻として授けてくれたこと、父、姉を続けて喪っても尊厳を持って生きる勇気を示してくれたことです。お母さん、本当に有難う」

昨日から今朝にかけてのことだけなく、この1カ月半の日々に義母の恩返し感をいくつも味わっている私です。
有難く嬉しい日々を過ごしています。

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アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

1.最近の私の生活上のテーマは【マインドフル】あるいは【マインドフルネス】です。
能動的ではなく受動的に、急がずにゆったりと着地感をいだきながら取り組んでいます。

【マインドフルネス】は、もともとが仏教由来で、理想の境地に達するための八つの道=生活態度のことに由来し、その中から宗教的な要素を取り除いて、特に「正念(しょうねん)=英語で【マインドフルネス】」を中心に置いています。

天台宗の「法話集」を借りると、次のように説明してくれています。
https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=106

【1】正見(しょうけん)・・・正しい見解。自己中心的な見方や、偏った見方をせず、正しい物の見方を心がけること。
【2】正思惟(しょうしゆい)・・・正しい決意。自己中心的な考えを捨て、貪瞋痴の三毒に惑わされず正しく考えること。
【3】正語(しょうご)・・・正しい言葉。妄語(嘘)、綺語(無駄話)、両舌(両方の人にそれぞれ相反することを言って仲違いさせる言葉、二枚舌)、悪口(あっく)(粗暴な言葉を使う、人をあしざまにののしること)をせず、正しい言葉使いを心がけること。
【4】正業(しょうぎょう)・・・正しい行い。貪瞋痴の三毒を離れ、正しい行いをすること。
【5】正命(しょうみょう)・・・正しい生活。世の中の為にならないことや、人の迷惑になることをせず、収入を得て、規則正しい健全な生活を送ること。
【6】正精進(しょうしょうじん)・・・正しい努力。正しく励み、努力をすること。
【7】正念(しょうねん)・・・雑念をはらった心の安定した状態。物事の現象にとらわれないで常に真理を求める心を忘れないこと。
【8】正定(しょうじょう)・・・精神を統一して心を安定させること。心の動揺をはらって、安定した迷いのない境地に入ること。


昨日は【マインドフルネス】を念頭に過ごしました。

カミさんと以前に近所にあり、よく行っていた花屋さんの経営する喫茶店に行きました。
今は1キロほど中野近くに引っ越しています。

ソフトクリームとカフェオレを味わいだけでなく視覚、嗅覚も駆使して楽しみました。

2.大河ドラマ「どうする家康」を観た後、パソコンに向かっていたら【Schoo教務課】から「新着授業のお知らせ 」として8月9日(水)20:00~21:00に生放送した「アドラー心理学に学ぶチームづくりのマインドー”I”から”We”へ踏み出すチームビルディング」が再放送になるとの情報が届きました。

━━━━━━━━━━━━━━━━
新着生放送授業
━━━━━━━━━━━━━━━━
▼【再放送】“I”から“We”へ踏み出すチームビルディング
アドラー心理学に学ぶチームづくりのマインド
10/22(日)21:00~
https://schoo.jp/class/10720?ref=nlna

※気になる授業があれば、リマインダーを設定して忘れず受講できるようできます。
(授業ページのハートマークをクリックすればリマインダーが設定されます)

見逃していた方は是非、ご視聴ください。
『みんな違う。それでも、チームで仕事を進めるために大切なこと』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)をもとに語った内容です。

3.本日21:00から配信の YouTubeアドラー心理学専門チャンネル は「アドラー心理学が教える【楽道】のすすめ」のタイトルでご提供。

https://youtube.com/@user-pq7cw7zh9h から入ってご覧ください。

私は「道楽」ならぬ「楽道」を広めたいと願っています。
「道を楽しむ」これこそ【マインドフルネス】ではないでしょうか?

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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」というよくいろいろなところで見かける言葉があります。
私はこの言葉をこんなふうに解釈しています。
「子供を叱ってはいけませんよ。あの世からこの世にやって来た大切な存在なのですから。お年寄りを笑ってはなりませんよ。あなたがこれから必ず行くことになるあの世を先に訪れる人なのですから」

9月に、5日間のうちに身近な誕生(9月7日)と往生(9月12日)を体験した身として、このところスピリチュアルな感性がやたら高まっています。

誕生と往生とは、思い切って言ってしまえば、あの世とこの世との行き来に過ぎないような感じがします。

孫の写真・動画を毎日見ています。
そこでふと思ったのは、子どもが生まれたての時期は、まだあの世の感覚が本人に残っていて、日々の体験を重ねながらこの世の人間になりつつあるのを自覚するように思えてなりません。

一方、義母の遺骨のある部屋で祈りを捧げながら、義母がこの世とあの世の移行段階にあって、四十九日を経てあの世の人間になることを得心します。

ところで、今日は孫のソラ君の生誕1か月の日。

母に抱かれて絶対的な安心感・信頼感を味わっていて、この世に生を受けたことの居場所を発見したように思えてなりません。


話は変わって、昨晩は銀座百年大学で「共同体感覚」の話をしてきました。



スピリチュアル・スポットの銀座百年大学は、私のキャラを変えてしまうようで、日頃話さない話題を提供しました。
会場に三宅美絵子さん長谷静香さん川原礼子さん石倉充さんに加え、常連の森田智仁さんが参加していたことも影響していたようです。

長谷さんには共同体感覚についてのアドラーの言葉を朗読していただきました。


(会場受講者の様子)

スピリチュアル・スポットでの写真もしっかりと。


(三宅さん、岩井、長谷さん)


(森田さんと)

講座が終わってからは、近くの居酒屋「長万部」で三宅美絵子さん長谷静香さん川原礼子さん石倉充さんと盛り上がりました。


(一番左が川原礼子さん

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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

残りが5日ほどの9月に、私たちは生と死の相反する2つの稀有な体験をしました。
9月7日には孫の誕生、1週間も置かない12日には母の死。
妻は、孫が産まれた翌々日には産院に行ってこの手で抱っこができて喜んだのも束の間、その3日後には、タクロウと共に実の母の息絶える姿を感謝の言葉を放ちながら見送ったのです。
9月17日の告別式を終えて、母の部屋がベッドから棺、さらには遺骨の置かれた場所になってからやっと、我が家では神棚に「命名 〇〇」と孫の色紙を貼ったのです。
西に向かって命名の色紙、南に向かって遺骨と位牌。
生と死、神道と仏教の同居には、ある心理的なコントラストを覚えます。

母を喪ってからの妻のことが気がかりでした。
実の母を見送って泣き崩れるかと懸念していましたが、その姿を見ることはありません。
母のケアを始めてからの18年、さらには部屋のリフォームなどに邁進してから3年、そして同居開始からの133日、妻には一種のやり切った感があるのでしょう。
その後もさまざまな手続きをたんたんとこなしています。

一方の私、今朝はこんな不思議な思いをしました。
起床後、1階の居間に降りてきて、義母が寝ていた部屋 ー 今は遺骨のある部屋 ー でふと、寝息のことをリアルに思い出したのです。
義母の寝息の観察は、義母の健康状態を窺う133日間に自分に課した責務のようなものでした。
その私が、9月12日の朝、義母の寝息に対する感性が極めておそまつだったことが悔やまれます。
当日の7時半頃、義母の寝息の異変に最初に気づいたのは妻でした。
それから必死に声掛けや訪問医への連絡などやるべきことを完璧にやりこなしたのは妻でした。
私は義母の最後の日、妻とタクロウに託して、どうしても避けられない研修のために新宿に出かけました。
結果として、お昼に息を引き取った義母を看取ることができませんでした。
その後も研修が相次ぎ、告別式を9月17日に終えても義母と正式にお別れできていないようなやり残し感があり、気分はややうつ的です。
義母との同居がたった133日間だとは全く予想しておらず、数年単位だと覚悟していたからなおさらです。

昨日やっと四十九日にあたる納骨式の日程が決まりました。
その日までの心象風景を自分で観察しながら、私の百倍も喪失感が大きい妻のことを、できるだけサポートしたいと思う私です。

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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日は我が家で9月12日に自分の娘と孫に看取られてこの世を去った義母の告別式が高野山真言宗準別格本山 放生寺 (「一陽来福」創始のお寺)で執り行われました。

義母を慕う甥・姪の家族たち17人の親戚を中心に、私たち家族を含めた20人で13:00から開式。
生花が10も集まりました。

喪主は次女である妻。
火葬場に向けてのお見送りの際は義母のことを「明るく前向き」の表現と形容してお礼の言葉を述べていました。
なかなか立派なスピーチでした。

義父とは長野県で8月15日に知り合い、東京に嫁ぐ日までは文通を交換しながら「為せば成る」などの言葉を用いて勇気づけをしてたことを8月15日に聞いたことが思い出されます。

夫や長女を数年のうちに続けて喪っても後悔などのネガティブな言葉を聞くことがなく、20年近く一人で楽しく生活し、最後の133日だけは私たち家族のところに身を寄せました。

今朝起きて下の部屋に行ってみたら、数秒のうちに3つの映像が私の頭の中を交錯し、混乱しました。
ベッドで寝ている義母の姿、棺の中の義母、そして現実は遺影、遺骨、位牌の並んだスペース。

義母は精神的な遺産を私たち夫婦に残してくれました。
それはポジティブ人生を生き抜く「感謝の心」。

放生寺 の「ことのは」には義母の「素敵な笑顔。感謝の心でありがとう」が残されていました。



最後の1週間ほどは「苦しい、苦しい」という言葉を何度も聞きましたが、それを100倍も上回る「ありがとう」が届いていました。

おかあさん、ありがとう!

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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

今日は9月12日にこの世を去った義母の告別の日です。
棺に向かってお経を唱え、モーツァルトの「レクエム」をBGMにこのブログを書いています。

義母の親戚の方々がお別れにやってきます。

義母のことを振り返ってみると、この時期のこのお別れは、決して言葉に出してはいないけれど予定どおりだったように思われます。

昨年、義姉が眠る都内の真言宗高野山派のお寺に義父と一緒になれるよう永代供養の手続きをし、昨年の5月には義父の遺骨を長野県からその寺に移葬しました。

8月末からは大量の薬の服用を拒絶しました。
食事も急に乏しくなっていきました。
それでも、知的にはとても元気で、9月7日のひ孫の誕生を心の底から喜んでいました。
そして、ほんの6日ほどの伴走期間を経てあの世に旅立ったのです。

私たち夫婦は今日ご参列の方々に2008年2月8日付けブログ  義母のこと(2)「義母の俳句」の文章をお渡しすることにしています。

義母は、夫を亡くしてから俳句に一段と邁進しました。これがなかなかのセンスなのです。「新たな才能の目覚め」と言っていいほど急激に俳句の能力を高めたのです。

「炎環」という句会で一昨年と今年と特選を得ました。 

一昨年の入選句  産室や ガラスの向かうに 雪の声

今年の入選句   蔦紅葉 をんな一人に 椅子二つ

前者は、孫のタクロウ(注:偽名)が生まれた当時(1月15日生まれ)を思い出して詠んだ句です。

後者は、一人身の義母ですが、蔦紅葉を観賞するにも亡夫を偲ぶ思いが込められています。

※義母は今年の4月まで句会に通い続けていました。

私が義母から学んだことは「尊厳ある生死の選び方」です。
長女、夫を続けて喪っても明るく元気に生き、生の最後を133日間私たちと共に暮らしてくれたのです。

私は今日だけは、涙を流すのを抑制することをやめようと思います。
そして、長らく義母と伴走し続けた妻に「お疲れ様」「ありがとう」を心を込めて伝えます。

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<お目休めコーナー> 9月の花(16)



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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日はランチと買い物にカミさんと出かける以外は家にいながら自分自身と周囲の生活シーンを観察し続けた1日でした。

タクロウからは子どもを風呂に入れている動画と写真が送られてきました。

気持ちよさそうなソラ君、パパにすべてを委ねて気持ちよさそうにしています。
動画にはそのことを喜んでいる夫婦の声も入っていて私たちを喜ばせてくれます。

10:00にはカミさんの従姉の子のマコちゃんー私たちにとって姪のような存在ー ソラ君より1年と1日早く生まれたアキト君を連れて弔問にやって来ました。

マコちゃんは看護師(現在は休職中)として働いていますが、高校生の頃にはヒューマン・ギルドでカウンセラー養成講座やSMILEリーダー養成講座も受講し、子育ては手慣れたものです。
アキト君が私の立てる音にや動きに反応するので、楽しんでいました。

午後は葬儀社の人が納棺士を連れてやってきました。
亡き義母は昨日までドライアイスを利かせた低温冷房していた部屋でベッドに寝ていたのに、納棺を終え化粧を施してもらうと、まったく別の存在に変わってしまったような感じになりました。
それまでは、生と死の中間のような存在だった義母がより「故人」に近づいていってしまったのです。

一昨日から昨日は、お寺との告別式の日程調整、葬儀社との打ち合わせ、お斎の会場予約その他、かなり雑事に追われていましたが、かなりの難題がすべて順調に行き、後は9月17日(日)の告別式を迎えるだけになりました。

たった1週間ほどのうちに身近な生と死の2つの出来事を体験した私は、事実と心象風景(認知)の微妙なコントラストを感じ続けています。
それは「コト」と「ヒト」と「人」の3つで表現できるかもしれません。

生と死の出来事(「コト」)が生と死とではまったく別の営みになるのです。
誕生したばかりの孫は「ヒト」として生まれ、名前を授かり、多くの出来事(「コト」)を通じて「人」になっていきます。
一方、往生した義母は「人」として死に、多くの出来事(「コト」)に対応する家族の中でこの世とあの世の中間に位置する「ヒト」のように感じられました。
もっと極端に書いてしまえば、板の間の棺の中の義母の存在が、何だか「モノ」に近づきつつあるように感じられたのです。

2日後に予定されている告別式、そして荼毘に付された後にどんな心象風景になるのか、私は喪の儀式の当事者であると共に物語の観察者であろうと思っています。

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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒュ.ーマン・ギルド の岩井俊憲です。

今日(4月8日)はお釈迦様の誕生日。
会社の近くの宗柏寺では誕生会(たんじょうえ)の「花祭り」の準備が進められていました。

今日はブログをお休みしようと思っていたのですが、5:00に目が覚めて突然【転迷開悟】の四文字熟語が頭に浮かび、そのことで今日もブログを書こうと思い立ちました。
明日が何かの「記念日」になることもあるからです。

【転迷開悟】(てんめいかいご)というのは「煩悩に迷った末に一転して悟りに到達すること」を意味する仏教の中のエッセンス中のエッセンスです。
「迷いを経ずして悟りはありえない」と言い切ってもいいでしょう。

この世に実在したゴータマ・ブッダこそ2,500年ほど前の4月8日にこの世に誕生し、煩悩に迷いに迷った末に12月8日に悟りに到達した人物そのものです。

私は昨日からカミさんが勧める本を読み始めました。
最初は前置きが長くて退屈でしたが、途中からぐんぐん惹きつけられました。
そのこともあって【転迷開悟】がひらめいたのでしょう。

お釈迦様の誕生日にちなんで私も今日を1つの誕生日とします。
これからの人生を【喜びと感謝の人生】とすることを誓います。

この3年間のコロナ禍は日本を、人々を「迷い」に陥れていました。
しかし、日本は、私たちは「悟り」に転じる力があると信じています。
そのことは「陰陽」でも説明することができます。

「陰陽」は循環するので、「陰が極まって陽に転じる」となります。
私たちの心を、そして環境を【転迷開悟】のマインドで「陰」から「陽」に転じようではありませんか。

◆この分野に関しては『アドラー流 「へこまない心」のつくり方』(三笠書房王様文庫、748円)がお勧めです。

 

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おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日(11月19日)は4:30頃に目が覚め、このまま眠るのがもったいない気がして、下の部屋に来て40分ほどの瞑想タイム。

仏壇にロウソクを灯し、この頃ご愛用のソファーに横たわって瞑想しました。
脳内でイルミネーションが展開されたり、色彩豊かな壁紙が現われたり、ファイタスティックな時でした。

この土日に私の「TO DOリスト」は5つほどあったのですが、1つだけしかこなさず、「今、ここで」湧き上がってくる感覚と身体の要求に従って1日【スピリチュアル】を大切にして過ごしました。

カミさんと10分ほど歩いて行きつけの落合駅の近くのレストランでランチ。

その後は、明治大学附属中野中学校・高等学校近くからぐるっと散歩しました。

まったく無計画。

早稲田通り沿いには寺院がたくさんあります。

その中で唯一入ったことがなかった龍昌寺。
前にはガソリンスタンドや桃太郎寿司があるため今まで入るのを避けていました。

境内には個性的なお稲荷さん。

狐が何匹見えるかな?

クリーニング店に寄った帰りに、家の近くの早稲田通り沿いの花屋さんがやっているカフェでカミさんはソフトクリームを発見、初めて入ってみました。

カミさんはアイスコーヒーも注文。

私はカフェラテを追加注文しました。

店の奥の花屋さんのコーナーにも。

視覚、味覚、嗅覚を十分楽しめた極上のひと時でした。


家に帰ってパソコンを開くとブログの「アクセスされたページ」を見るとなぜか【スピリチュアル】のカテゴリーの「神様とつき合う3原則」が突出していました。

体の要求に従って暮らしてみると、【スピリチュアル】に行きつくことを学んだ1日でもありました。

◆「神様とつき合う3原則」は次のとおりです。

第1原則 神様は、人の願ったとおりのことを実現してくれるとは限らない。

第2原則 神様は、その人のために神様にとって必要なことを実現してくれる。

第3原則 神様とのコミュニケーションの習慣を持ち、しかも実現したかのように願ったとき、神様は、願いを聴き届けてくださる。

◆「神様とつき合う3原則」を3回にわたって書いています。
ご参考までに

(1) 2008年3月17日付けブログ https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20080317
(2) 2008年3月19日付けブログ https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20080319
(3) 2008年3月20日付けブログ https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20080320
(4) 2008年3月21日付けブログ https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/d/20080321

 

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おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

またもや金沢に来ています。

一昨日の月曜日は従姉兼叔母とのお別れのため郷里の鹿沼に行ってきました。
先週土曜日に94歳で老衰でこの世を去って、昨晩がお通夜、本日が本葬なのですが、私が参列できないので、一昨日に時間を作ってお別れに行ってきたのです。

駅には86歳になる長兄が迎えに来てくれて、従姉兼叔母のところに連れていってくれました。

従姉兼叔母と2回も書いていますが、少々解説が必要かもしれません。

元々は父の姉の長女で、愛知県の犬山市の出身でした。

その従姉が私の母の弟(次男)と結婚したため私の叔母にもなったのです(以下は「叔母」で統一)。

まあこのようなことはさておき、叔母は私にとって特別な存在でした。

叔母には私と同じ学年になるはずだった、子どもの頃から脳性小児まひの障害を持つ長男がいました。ところが、私の大学受験の日に18歳で亡くしているため、私を息子のように思い、ことのほか私のことを可愛がってくれました。

叔母は比較的最近でも私に会うと、手を握りながらさかんに「立派になって」と言ってくれる人でもありました。

私は叔母に対して「18歳の時からはーちゃん(彼女のご長男のこと)の分まで生きているんですよ」と答えたこともありました。
これは実感で、二人分は生きてはいないけれど、1.2人分は生きているつもりです。

◆この叔母の夫の話を別に書いているので、その点は次にブログでお読みください。

2021年4月13日付けブログ 運転免許高齢者講習:尊厳を貫いた叔父の援助あってこその免許所得の物語


話は少し変わって昨日の朝のことです。

いつものように仏壇に向かって祈りを捧げたとき、この叔母を中心に「南無阿弥陀仏」を唱えました。

すると、あの世に送り出した人たちが次々と現れて、あの人もこの人もと溢れるようになりました。

【こちら】と【あちら】の境界が消えて、この世に存在している人たちだけでなくあの世に送り出したはずの人たちからもたくさん勇気づけられていることを肌身で感じました。

ありがたいことです。

こんな気分にさせてくれたゆき子叔母さん、本当にありがとうございます。
お目にかかれて本当によかった。
亡きがらが母のそれと似ていたのが不思議でした。

今日は本葬。
叔母さんの最愛の夫、兄、妹、弟、私の両親たちとも会えるのかな?

ご冥福をお祈りします。

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