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食費と節約とマクロビオティック

2005-10-27 10:03:01 | 出版記事
景気後退以後特に節約の二文字が奥様雑誌の特集に載るようになって久しくなります。その節約のターゲットは大抵食費と日用雑貨です。そして相も変わらず飽食が一方で不健康の原因の槍玉にあがっています。何か変ではないでしょうか。

以前なるほどと一人の主婦の倹約奮闘の工夫に感心したことがあります。それはえのき茸のくっついている根元のほうが帆立貝の食感に似ているというものでした。えのき茸は根元のほうを切り落とすと大抵の本には書いてあるし、やや黄変していることも多い。私は栽培方法か肥料の問題と思っていました。まあそれはさて置いてこんなに皆工夫して食費に関しては涙ぐましい努力をしているのに飽食(?)なんですか?

こう考えてみると、問題は食べ方にあるのではないかということになります。土台になっている栄養学のほうに問題があるのではと疑ってみる必要があります。現代の食卓の常識に問題があるのではないかと考えねばなりません。ここでマクロビオティックの登場となります。どうか皆さん一度マクロビオティックの本を手にとってお読みください。間違った栄養学の常識に立脚して節約の仕方を間違っては、医療費の増加で節約にはなりません。

そもそも食費とは何かということになります。エンゲル係数という経済学の問題ではありません。食費とは自分の命をはぐくむための他者の命の値段にかかる費用です。動物も植物も生きていることに変わりはありません。食べるという行為に自然界の動物も経済社会に生きている(?)人間も本質的に何の変わりもないことをはっきり認識すべきです。
今食べるという行為と食べ物と食べ方について、考え直すべき時を迎えています。マクロビオティックは地球上の生命としての身体を持つ人間の食べ方についての提案をしています。経済界に住む人間の食の意識を、身体の仕組みに沿う現実的なものに戻そうという提案です。

食費は命の費用ですから、経済効率とは無縁です。しかし命はもったいなくありがたいものですから節約は必要です。でも安いものを買い込むことではないのです。安いものを探すことは必要かもしれません。でも安上がりに生産するものではないのです。消費現場でも生産現場でも、安さのみが指標になってはいけないものが、食物ではないかと思います。

コメント (1)
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