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とんご柿

2005-10-19 09:34:18 | 出版記事
秋になりました.実家には樹齢80年と思われる柿の老木があります.私が覚えている限り形は変わりません.50年前から今のようだった気がします.その柿木に今年はたくさんの柿の実がなりました.昨年は不作でしたが、今年はまあまあの大きさでたわわに実がつきました.とんご柿という野生に近い柿です.甘柿で、ごまが入った黒味を帯びた色合いの柿です.栽培種のように甘くはありませんが、栗の甘みくらいの甘さです.私はこれが大好きで、久司先生、すみません、弟子の失態をお許しください!一年に二週間くらいこの柿を食べ過ぎ(?)ます。娘から私の弟は、あまり沢山届けるなとくぎを刺される始末です.

とんご柿は私には父の思い出と重なります.父は陸士第56期です。父は昭和20年8月14日に特攻に出ることになっていました.それが上官のはからいで15日の詔勅の放送を聞いてからに延期になったのです.一日の差で父は生き残りました.茫然自失の間に武装解除され公職追放の身となり父は故郷に戻ったのです.そして56期やそれ以前の沢山のお仲間方の犠牲の上に私は生まれることになりました.このことをもってしても私は多くの方々の鎮魂の思いの灯を胸にともし続けねばなりません.

私は年子の弟も生まれた所為か、お父さん子になりました.秋には父が農作業から帰ってくると、「おとうチャ、なっといねえ(なってるねえ)」と言ったそうです。すると父はすぐにもう暗くなっていても、もぎ竹を取り出して幼い娘に柿をもいで来てくれるのだそうです.とんご柿は私にとって父の愛情の味なのです.父の前に特攻に逝かれた方々の愛情の味なのです.涙なしに思い出すことは出来ないものです.

私は父を心から敬愛して育ちました.母が父を敬愛していたからかもしれません.とにかく父は娘の私にとって世界一の人でした.父は何でも知っていました.学校で教わることももっと深く教えてくれました.歴史物語も熱く語ってくれました.父の懐は私の愛の心の源泉です.私から出てくる愛は父の心を源泉としているような気がします.戦後は今では考えられないような貧困の時代でしたから、乞食のような人もたくさんいましたし、みんなその一歩手前のようなものだったのです.そんな人達からも父はとても好かれていました.庭を若ダンしゃあ、若だんシャあと駆け寄っていく人をよくみました.そんな人達は私をも可愛がってくれたに違いありません.私もそんな人から好かれるタイプになりました。

世のお父さんがたに申し上げます.娘にとって父親は、独り立ちをした後の心の支えです.たとえ善かろうが悪かろうが心から自分を愛してくれている人がいるとの思いが娘を支えてくれます.世の娘が心の支えとなる父を持っていたら、きっと世の中は明るくなります.
家庭を支えるのは女です.でもその女を支えるのは男です.男は伴侶である妻を支えるのが当然ですが、夫婦はともに若く未熟です.結婚して妻となり一人前の女になった娘を、父は自分をこの上なく愛しているという記憶が支えることになるのです.

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