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陰陽入門その一

2005-10-02 16:55:45 | Weblog
マクロビオティックを実践する上での物差し、陰陽は最初にぶつかるややこしさかもしれません。特にマクロビオティック以外のところで、陰陽を勉強したことのある方にとっては、こんがらがってしまう最初の一歩になることが多いようです。陰陽の坩堝に入ったような感想をもたれるかもしれません。

マクロビオティックではもっともっと単純に、自分或いは地球の中心に向かってくる物や力(求心性)を陽性、中心から離れたり出ていく物や力(遠心性)を陰性といいます。この二つが、全ての物をもっとも単純に分類した場合の二大要素です。ですが、これは物の性質(力や傾向)として存在しているので、陽性だけ、陰性だけの事物は存在しません。ひとつのものの中には必ず陰陽を併せ持って存在しています。バランスの取れたものだけが、事物として現われる世界なのです。そうでない物は力として存在していますが、力はそのままでは止まることが出来ず、宇宙線のような形で降り注いで通過しています。こういう力は私達や地球の中心に到達するまでは陽性、中心を通過した途端に陰性になるという陽性でもあり陰性でもある無限そのものの性質をあらわしています。

ややこしい話はさておいて、マクロビオティックを始める上で最初に陰陽が問題となるのは、食べ物を選ぶという時点でですね。何を基準に陰陽を分けるかというと、人間の陰陽比である7:1の比率をもっているものを中庸としました。人間が何で7:1の陰陽比を持ったかというと、それは7:1の食べ物を主食としたからという堂々巡りになるのですが、それが真実です。人間が穀物を食べたから人間になりました。食が先にあるのです。食べ物が無いところには何も発生しません。久司先生はよくおっしゃいます。人口は幾何級数的に増加し、食物生産はよくて等差数列的に(つまり植付け面積に比例して)しか増加しないから必ず飢餓の時代を迎えるといわれているが、一時的混乱を除けばそんな事はありえない。つまり食の限りが人口の限りであると。

また横道にずれました。がそういうわけで、玄米が人間にとっての中庸です。人間の身体はそういう比率でうまく運営されるように発達してきましたから、そういう状態に身体を維持できるように自分の食物を選ばなければなりません。陰陽の極端なもの同志を食べればプラスマイナスゼロになるのではないかと期待しても、それは頭でゼロになる足し算を考えているだけで、身体のシステムがそのようには動きません。最終的にはなったとしても、身体の各器官はプラスからマイナスへ何度も時には全力疾走をさせられて疲れてしまうだけです。調理は体の働きを助けて、食べられるものを増やす手段です。調理、つまり火の利用のおかげで、人間は食の多様性という楽しみと芸術を手に入れました。お手元にいろいろな所から発行されている陰陽表がありますか?もう一度その便利なチャートを見て、陰陽を考えてください。

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