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人口と飢餓と農業

2005-10-07 16:12:06 | Weblog
先日このまま人口が増えつづけると飢餓状態になるかどうかという問題にちょっとだけふれました。久司先生のお答えについても真中の結論をだけ書きました。しかしそこには大きな私達全体で考えなければならない問題があります。食料の限界が人口の限界なのは確かです。自然界でも、植物が増えると草食動物が増え、草食動物が増えると肉食獣が増えます。そして植物が食べ尽くされると草食動物が減り、肉食獣が減ってバランスの波が繰り返されるのです。

しかし私達人間の世界を考えてみれば、食物は自然に分布しているのではありません。人間社会は高度に流通化した社会です。つまり経済社会であって、豊かな国はお金を集めて農産国から買占めをしているのです。そして私達の日本も瑞穂の国をやめて(?)、その豊かとやらの経済人の国になっていることを認めなければなりません。私達個々人の思いとは別にそうなっているのです。このことに関しては私達も連帯責任を負わねばなりません。悪気はなくても便利を便利を、快適を快適をと求めた結果が目の前に広がっているのです。その結果私達日本の食卓は飽食、アフリカは飢餓というアンバランスの世界に住んでいます。私達は沢山の食物を無駄に捨て、アフリカでは多くのいたいけな子供達が死んでいます。もう少し社会の仕組みを自然なものにしたら、わざわざ食糧援助などと自分達の罪滅ぼしのような偽善をしなくてもいいのではないかと思うのです。

食物と食べるという行為自体をもっと突っ込んで考えてみなければと思います。もう少し食物が命そのものであり、食という行為が生きることの根本であることを考えてみなければなりません。そして農業が人間の興した技術でありながら生命行為に含まれていることを真剣に考えなければなりません。今日本農業の食料自給率は低下してしまって、何事か起これば私達はアフリカの惨状以下になるかもしれません。ヨーロッパ諸国は自給率の回復に努め、イギリスなどはほぼ100パーセントに回復しているそうです。日本人は暢気に戦争はあってはならないとお題目のように唱えていますが、ヨーロッパ人は天変地異のような災害が広範囲に起これば当然食糧争いがおこりうることを認識しているし、また起こると考えるべきです。憲法がいうように友邦を信じて平和を維持することは出来ないのです。少なくとも今のような酒池肉林のような食卓からは平和は生まれてきません。

日本の農業の健全化に勤めなければ、私達は自分達の健全さを維持できないでしょう。食が私達を決定しているのです。農業は食物を生産しているのです。食の連鎖を自然界に見れば、人間が多くの人口をどうしたら楽しく仲良く養っていけるか、火を見るより明らかです。豊かな植物が有って、多くの草食動物が生きており、そこに広いテリトリーを持った肉食獣が少数で生きています。テリトリーとは食糧牧場なのです。人間もそうした生命の冷徹な掟の上に文明を作っていることをはっきり認識すべきです。農業こそ、人間が人間らしく生きていくための基盤です。分業社会に生きている私達消費者が、農業をしなければいけないということではありません。よい農業を応援するために、消費行動を合わせればよいのです。食べるということは特別大事なことであり、食物を作る農業は一番大事な産業なのです。

そのことを根本的に解決しなければ、世界はやがて久司先生のいわれる通り、飢えによって人間の適正な数に至るでしょう。それに落ち着く前に人間は醜い修羅の世界を作るかもしれません。戦争によって人口を減らすかもしれません。その前に日本は完全に食糧という首根っこを抑えられた奴隷的な境遇になるかもしれません。食の現状はその危険性を秘めています。そうならないように久司先生は日夜努力をしておられます。私達マクロビオティックを知ったものも先生の後に続くことが大切です。子供達により良い世界を残していきたいものです。

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