イタグレブリーダー・ヨーロッパのイタリアングレーハウンド。

ヨーロッパから5頭のIGを輸入しました。出産や老犬のこと。家族として大切に育てています。

初めて輸入した男の子。

2020年04月27日 | Weblog

1999年生まれのシルちゃん、そしてその次に迎えたジュリアちゃん。イタグレの女の子2匹迎えてから、私は札幌から車で移動できる距離の方で、良い男の子を所有しているブリさんを探しました。2人いました。一人は開業したばかりの江別市のペットショップのオーナーさんでした。問い合わせると、犬同士の血統が近くて良くないと判断しました。ブリーダーがいない時代だったので、血液の出どころが同じなんです。

もう一人は、2匹のオスを所有していて、1匹はアメリカタイプ・・もう1匹は九州から迎えたヨーロッパタイプでした。イタグレに詳しい方は、あの当時の九州と聞けば・・ピンとくるでしょう。いやぁ~20年近く前ですから知らないかな。

その時から、後者のブリさん Aさんとのお付き合いが始まりました。かなり前のブログにも書きましたが、このブリさんは、問題ありの人でした。人間不信に陥っていて、引きこもりで自宅から外には出ない人でした。父親と2人暮らしで、幼少期の両親の離婚で心が折れたまま。誰も信用できなくて・・動物しか相手にしない人でした。30代の女性です。彼女は私にいつも身の上話をしてくれて、私のことをお姉さんのように慕ってくれました。

心に病を持った人は、最初は相手を警戒します。でも相手を気に入って心を許すようになると、どんどん近づいてくるのです。私が交配に行く約束をすると、すごく歓迎してくれました。引きこもりの人で、他人と接触していないので視野が狭い人でしたが、気の強い人でした。私に対しては、(自分はベテランブリだからと)上から目線でした。

その親子に気に入られたらしく 彼女のお父さんからも、娘をよろしくと頼まれましたが、私は、数年間ガマンしてお付き合いしました。その家は普通の住宅でお庭もないのですが、50~60頭の犬がいました。一日中ゲージに入れられたままの犬たちでした。いつも同じゲージに同じ犬が入れられていて、ウンチをしても取ってもらえないまま。ダックス・マルチーズ・ヨーキーなどの小型犬が多かったけれど、コッカースパニエルなどのトリミング犬種もいましたし、ハスキーやゴールデンなどの大型犬もいました。ただゲージの中に閉じ込めているだけです。その異様な親子の生活ぶりに、行くことに強いストレスを感じました。

そこのIGも、ペットちゃんよりは良いけれど、毎回・・高い交配料を払う価値があるとは思えず、イヤになってきました。そこのワンちゃん達はどの子も目が死んでいました。可哀想で、その姿を見るのも苦痛でした。

そのような繁殖の現場は何度も見てきました。イタグレにたどり着く前に知り合ったヨーキー・シュナのブリさん達は、もっとひどかったです。いわゆるパピーミルです。その当時は、どこもそのような状態が当たり前でした。血統書の作成を真面目にしていない(虚偽です)ブリもいました。動物をお金に換算することしかない人たちばかり。ひどい現場でした。

現在のように、動物取引業の登録をする必要もない時代でしたので、誰でもブリーダーと名乗れました。犬にひどい扱いをする人を何人も見ました。

そのような経験を経て~自分で納得のいく男の子を求めました。ネットでヨーロッパの ブリーダーさんを探しました。輸入しよう~ と決めてから、毎日毎日探しました。通常は、素人が自分で輸入することは難しいことです。その道の大先輩や先生に相談して、輸入のお手伝いをしていただくパターンが普通です。

しかし私には先生と仰ぐ大先輩もいなくて、自分一人で始めた犬舎です。相談する人もなくて、自分でやるしかありませんでした。今のようにfacebookがない時代でしたから、外国のブリさんに信用してもらうことは至難の業です。まして日本がパピーミルであることは知られていました。ヨーロッパでは日本の評判は悪く、そうそう簡単には譲ってもらえない時代でした。

でも、行動を起こさなくては何も始まらないです。頑張っているうちに、運命の出会いがありました。あるH・Pにたどり着きました。そこではちょうど子犬が産まれていて⇒ For Sale と書いてありました。ブルーの美しい赤ちゃんでした。私は目が釘付けになりました。この子が欲しい~ そしてブリーダーさんと接触しました。

私は自分のプロフィールを送りました。私の家族の紹介と写真(人間です)その時飼っていたIGの説明と写真。そして長い・長い、自己紹介の英文。もし子犬を譲ってくれたら、家族と同じように大切にします。私はパピーミル(子犬生産所)ではありません。家の中で共に暮らし、終生大切にしますと誠意をこめてメールを送りました。

そしたら私の誠意は通じました。ブリーダーさんは、OK~Matsumuraに譲りますとお返事くださいました。

でも難点もありました 当時2003年ころですが、動物の輸入の法律が変わり、子犬は輸入できなくなりました。理由は知っていますが、はぶきます。輸入するには、そこに至るまでのいくつもの手続きが必要であり、その手順を踏むまで、最低10か月はかかります。ですから輸入されてくるころには、1歳くらいの成犬になっているのです。

しかし=奇跡が起こりました 私の誠意をくみ取って下さったブリーダーさんは、日本の法律は他国にはない厳しいものですね。ではわかりましたよ~あなたには子犬ではなくて、今生まれているパピーたちの父親・ロナルドを譲りましょう と言ってくださったのです。えええっ~ ロナルド君・・ポーランドCHを完成しているロナルド君ですか!

ビックリのお話でした。その時ロナ君は3歳でした。きっと子孫も沢山残しているので、手放してもよいとの気持ちだったのでしょう。それにしても、ポーランドCHが、日本の私の元へ来てくれるの。何と光栄なこと。何と幸運なこと。タイミングが合ったのかな。ロナルドの来日は、本当に奇跡の出来事でした。

前置きが長かったね。失礼しました そしてはるばる来てくれたロナルドです。当時は日本への直通便がなかったので、ドイツのフランクフルト空港に一泊し‥2日かかりで来てくれました。とても元気で健康な良い子でした。

人懐こくて、ニコニコしているロナ君。

写真では細く見えますが、実物は筋肉隆々でマッチョマンでした。

可愛くて可愛くて~よく来てくれたね。

ロナ君が来日してくれたから、現在のイノセントのIGの姿があります。ヨーロッパのIGに魅せられて、ヨーロッパのIGを創るには輸入するしかなくて。

私はお金持ちでも何でもない普通の主婦です。ヨーロッパのIGが欲しいと思ってからは、コツコツと自分で得たお金を貯めました。主人はお堅い仕事をしており、犬のことにはノータッチです。(私のしたいことに関してはお金は出しません)ロナが来た時も単身赴任をしていました。

輸入は、私一人で行いました。(初めてだったので通訳のとうの代理の方はお願いしましたが、直に交渉しました)普通の主婦でも、目標をもって~目標に向かって努力をすれば、いつか叶うことがあります。

それ以後、私はロナルドを筆頭に5匹のIGを輸入し、長い間の年月を経て、自分の好きな~自分が目指したいIGを創ってきました。

今の私があるのは、ロナルドを譲ってくださったポーランドのブリーダーさんのお陰です。無事にロナルドと会えた時の感動は、一生忘れることはありません。

長い文を読んでくださり、ありがとうございました。よろしければ、下のイタグレの文字をクリックしてくださいね。

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2 コメント

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Unknown (fina母)
2020-04-27 21:07:59
ロナく~ん、なんてカッコいいのだろうって思っていました。。
娘さんでしょうか?当時のお写真なので、ママと住まれていたころでしょうか。

時は過ぎますね。。。あっという間です。
fina母さんへ (イノセントママ)
2020-04-29 20:28:07
fina母さん、ロナルドのことを褒めて下さり、ありがとうございます。
健康で性格も良くて、申し分のない子でした。

はい!娘です。
その頃は自立して家を出ていましたが、お休みを取って帰って来た時の写真です。

ロナが来たときのことは鮮明に覚えていますが。
あっという間に・・時は過ぎてしまいますね。
今の大切な時間を、大切にしなくてはと思います。

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