ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.4.24 ようやく晴れ!遅ればせながら、先月来の通院日に読んだ本―その1

2012-04-24 22:35:54 | 読書
 本当に久しぶりに、今日はいいお天気。
 穀雨を過ぎ、みずみずしく水分を蓄えた木々の緑が一斉に太陽を向いて、本当に眩しい。思わず一緒に上を向いて、深呼吸をしながら光合成してしまいそうな気分だ。
 予報によれば、いきなり25度の夏日になるということだった。今日はとうとうタイツを脱いでストッキングにして、雨傘を日傘に替えて家を出た。

 昨日は一日中どうも頭が重く、ベッドに入ってからも夜中に何度か頭痛で目が覚めた。
 気圧のせいなのか、晴れてきたらずいぶん楽になり、ロキソニンのお世話にならず復調した。
 食欲も意欲もあり、週のうち一番元気な火曜日だ。本当なら明日は治療日だから、いつもは今日の夜あたりから日曜日の“サザエさん症候群もどき”(ようやく元気になったけれど、この体調は今日までで、明日、治療にいけば当分不調だ・・・というブルーな気分)になるところだが、今週は3週に1度の休薬週。白血球は底値かもしれないが、これからは回復してくる時期。無理をしなければ、元気に過ごすことが出来る嬉しい火曜日の夜だ。

 さて、ずっと気になっていた読書日記。先月半ば以降通院日に読んだ本のご紹介をごく簡単に。

 1冊目は大島真須美さんの「三人姉妹」(新潮文庫)。
 いつだったか、NHKの夜のドラマで「ビターシュガー 虹色天気雨2」を放映していたが、その作者がこの大島さん。私より一つ年下の62年生まれ。歳が近いので通じるところも多いように思う。
 帯には「失恋!? そんなもん私たちだってさんざんしてきたわよ。姉がいる人は大いに共感、妹がいる人はくすくす笑い 三姉妹の物語」とある。私は姉も妹もいないけれど、羨ましいような本音のやりとりに思わず惹き込まれた。
 解説で橋本治さんが書いておられるように、まさしく清少納言の「枕草子」の現代版の語り口。確かに“うねうねと続いてどこへ連れて行かれるのか分からない長いセンテンスで、しかも他人の言ったことがカギカッコなしで平気で入り込んでくる”のだが、不思議と、この一人称独白体の文章で、それぞれの恋愛や人間関係を時に優しく、時に厳しく見守る家族の日常を綴ったお話に、心がほっと温かくなった。

 2冊目は畠中恵さんの「アコギなのかリッパなのか -佐倉聖の事件簿-」(新潮文庫)。
 「しゃばけ」シリーズで有名な著者の新時代のユーモア・ミステリー。帯には「どんな陳情でも難題でも、何なりとご用命あれ!政治家事務所で働く大学生・佐倉聖、颯爽と登場」とある。裏表紙によれば、主人公佐倉聖(せい)は21歳。腹違いの弟を養う大学生で、既に引退した大物政治家の事務所で雑用係の事務員を務めている。昔は不良で腕っぷしが強い上、機転はきくし頭が切れる、という設定。まずは冒頭の“政治家事務所の一日”の「開会」からいきなり惹き込まれる。事件は一から五まで。全て色にちなんだタイトルになっている。「五色の猫」、「白い背広」、「月下の青」、「商店街の赤信号」、「親父とオヤジとピンクの便せん」である。都議会議員選挙の臨場感あふれるリポートのあいだに、事務所に持ち込まれた事件のエピソードを挿入する構成になっている。続編も刊行の予定という。楽しみである。

 3冊目は外山秀俊さんの「3・11 複合被災」(岩波新書)。
 帯には「これほどの無明を見たことはなかったー地震、大津波、そして原発事故 現地を歩き、全体像を描く」とある。
 2011年3月、朝日新聞記者を早期退職した著者が、郷里の札幌に帰らんとするタイミングで発生した大震災。2021年に中学・高校生になる世代の人々が、東日本大震災を調べようとして、初めに手に取ってくださる1冊になるように、との思いで書き始めた、というもの。他でもない、その人たちがこの国の未来であり、可能性であると信じているからだ、という。
 「はじめに」にあった次の文章にその思いが凝縮されていると思う。
 「大災害であっても、「今」を生きることに懸命な日々がかさなると、つい意識から遠ざかり、「なかったこと」にしてしまうようになりがちです。失われた命、失われた故郷を思う人々とともに生きるには、忘れないこと、いつまでの記憶し続けることが何よりも大切だと思うのです。そしてそのことが、次の大災害で、あなたや身近にいる人の命を、一人でも多く、救うことにつながるのだと思います。」
 地震と大津波、原発被災の大きな2章立て。巻末には3.11から1週間の主な出来事、1年間の主な出来事の表も付いている。取材力、冷静かつ温かい眼差しの筆致に圧倒された。ジャーナリストの力って凄い、と改めて思わされた一冊だった。
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2012.4.23 お薬手帳の記録から

2012-04-23 22:24:26 | 日記
 7年前の2月に初発の手術をして以降、お薬手帳のお世話になっている。その1冊目が、前々回の通院日に、7年余りを経てようやく一杯になった。ブルーの表紙で“薬袋君”の絵が描いてあるものだ。シールの厚みですっかり膨らんで年季が入っている。
 先日、夫と息子も各々クリニックに出かけた帰りに、新しいものを持って帰ってきた。今年の4月からは皆が持つことが義務付けられると聞いた。
 持つまでは特に感じなかったが、いろいろな薬を処方されつつ、複数の病院にかかるとなると、これは絶対に必須だな、と思う。

 これまで飲んできた薬を見てみると、そのまま私の病歴が分かる。
 初発の術後補助療法のホルモン治療薬としてノルバデックス10㎎、朝夕2錠が3年弱。最初は28日(4週間)分が8回、次に42日(6週間)分が2回、56日(8週間)分が11回続いている。これは経過観察の間隔が空いていくことを意味している。それが42日分になり、35日分になり、と再び通院間隔が短くなり、終わっている。約1,000日間内服したわけである。
 その間にも、放射線治療の副作用緩和の亜鉛華単軟膏、風邪をひいた時の近所のクリニックの薬、卵巣嚢腫の手術後に婦人科で処方された薬、今思えば骨転移の兆候であった胸骨の痛みを訴えて、近所のクリニックで処方された痛み止めのボルタレンゲル等が間に挟まっている。

 再発・転移し、転院。再発後のホルモン治療は、ナサニール点鼻薬とフェマーラ錠2.5mgが21日分から始まった。40日分、21日分、30日ないしは28日分が6回続いている。9か月弱である。そう、抗がん剤治療は何とか後回しに・・・と、ぎりぎりまでホルモン治療で粘りたい、との思いで始めた再発治療だった。

 次のホルモン剤アロマシンは僅か30日で終わり、さすがに観念して抗がん剤治療タキソテール6クールのスタート。ステロイドのリンデロンVG軟膏、発熱時の解熱剤シプロキサン錠100mg、吐き気止めのステロイド・デカドロン0.5mg8錠が4クール分(あと2クールは入院中で院内処方だったため、シールとして残っていない。)。

 その間に副作用緩和のため皮膚科にかかって、エクラー軟膏、プレドニン眼軟膏、ドレニゾンテープ等で痛んだ目の周りの粘膜や脱落しそうな爪の対症療法をしている。さらに、手足の痺れの緩和のためにビタノイリンカプセル50を朝夕2錠と、芍薬甘草湯エキス顆粒。21日分が3回、14日分が1回、30日分が2回。芍薬甘草湯エキスがあまり効かなかったと訴えて、ビタメイジンカプセル25を朝夕2錠、に変更している。また、副作用の浮腫のため、利尿剤ラシックス40㎎を30日分、20㎎を60日、3ヶ月間にわたって服用している。ラスト2クールほどは下半身の浮腫が酷く、鋼鉄のごとく黒光りしてパンパンで、まるで象の足のようだった。僅か1か月足らずで7キロ近く体重が増えたのには本当に驚いた。履ける靴がなくなってしまって往生した記憶がある。 
 
 タキソテール終了とともに、再度アロマシン25㎎を再開。7日分、14日分が2回、30日分が13回。ほぼ1年2ヶ月間である。相変わらず皮膚科にお世話になっており、爪の脱落のためにケラチナミンコーワ軟膏を塗り、白色ワセリンと亜鉛華軟膏、ロコイド軟膏を指や鼻孔縁等に塗布している。

 そして、最後のホルモン剤ヒスロンH200㎎を1日3回毎食後に服用。これは2ヶ月半で終了。そして、再び抗がん剤ナベルビン治療スタートとともに、ポートの不具合のため、皮膚下に漏出した怖れがある、ということで再度皮膚科にかかっている。発赤部に塗布するフルメタ軟膏、痛み止めのカロナール200㎎と同時にムコスタ錠100㎎で胃薬の処方。その後は、マグラックス錠330㎎、シプロキサン錠100㎎、ロキソニン錠60㎎の処方が続く。

 昨年春には花粉症を疑い、近所のクリニックでアレグラ、ネオマレルミンTR錠、ネオメドロールEE軟膏、アラミスト点鼻液、ザジテン点眼液の処方もあったが、採血の結果、マイナスと判り中止。

 その後、ナベルビン前投薬ステロイドによる不眠によりアモバン錠7.5㎎を一度処方されたが、副作用の味覚異常でマイスリー10㎎に変更。吐き気止めでノバミン5㎎を処方されるも、あまり楽にならずナウゼリン10mgに変更し、さらにイメンドカプセルを上乗せ。トラベルミン配合錠を試したのち、再びデカドロン錠を1日4錠からスタートし、段階的に1錠ずつ減らしつつ今に至っている。

 一体何種類の薬のお世話になったことか。薬の名前を見るだけで当時を思い出すことが出来るので、なんとも不思議ではある。
 2冊目のお薬手帳は淡いピンクで兎のイラスト入り。1冊目より薄いので7年は持たないだろうけれど、これからあとどのくらいお世話になることだろうか。

 新しい週が始まった。相変わらずの雨降りで、気圧のせいかずっと頭が重い。明日はようやくお天気になりそうで嬉しい。洗濯物が乾かず、家の中が万国旗状態なのが滅入る原因かもしれない。
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2012.4.22 「お母さんは、早く死んじゃだめだ」

2012-04-22 20:39:15 | 日記
 標題は、宴会から帰ってきた夫の台詞だ。
 当然のことながら、私は夫の“お母さん”ではないので、以前は子供が出来てもお互いを「お父さん」「お母さん」という呼び方だけは避けたいと思っていたのに、気付いたら息子がいなくともこう呼び合うことが多くなっていた。何とも複雑である。

 昨年の1月半ば、盲腸の診断が遅れて急逝された、夫の友人の奥様の話をこのブログで書いた。
 先日、その方と久しぶりに逢ったところ、すっかり元気がなかったそうだ。曰く「1年は頑張った。けれど、もう(生きていなくても)いい・・・」という心境だという。洗濯機を回しても、干してたたむ元気がない。食事は今では全く作らなくなった。と、同時に酒量は増えているらしい。

 「そんな、もういい・・・なんて、お母さんが亡くなって今度はお父さんが続いてしまったら、お子さんたちが可哀想じゃない?」と言ったのだが、お子さんたちは既に独立しているから、子供たちのために頑張らなくては、ということでもないらしい。

 一人遺された場合、女性の方が強いのかな、と思う。
 もちろん、長年連れ添った伴侶を亡くすストレス度が大きいのは自明の理だ。1960年代に米国で点数化されたストレス度は「配偶者の死」を100点、「結婚」を50点として、転職、引っ越しなど計43項目のストレス指数を点数化したものだった。米国の研究結果では、過去1年以内に体験した生活上の出来事についての点数が合計150点以上の場合、翌年に何らかの健康障害に結び付く危険性が50%、300点以上の場合は80%とされる。
 その後、88年に日本版のストレス点数表が発表された。勤労者を対象にした調査を基に点数を修正し、項目も「子供の受験勉強」「住宅ローン」「定年退職」「職場のOA化」など計65に増やしたという。ここでも「配偶者の死」はトップで83点だ。もろもろの細かいストレスの素を加えれば、あっという間に150点は越えてしまいそうだ。

 身の回りのことが自分で出来るか否か、というのが大きいのだろうか。
 義母は義父が亡くなって、それまで介護等で長いこと苦労したこともあり、ようやくこれからは自分の時間だ、というように、生き生きとあちこち飛び回って出かけ、四半世紀もの間(昨年12月に脳出血で倒れるまで)文句なしに元気印だった。
 けれど、男性がある程度の年配になって妻を亡くして、四半世紀元気に飛び回って生きている、というお話はあまり聞かない。男性の方が大概その妻より年齢が高く、男性の平均寿命も短いから、ということなのだろうけれど。

 我が家は、息子が一人前になるまでにまだまだ時間がかかりそうだから、「お父さん、大丈夫!仮に私がいなくなっても、まだ世話をやける息子がいるから『もう(生きていなくても)いい』なんて言っていられないわよ。」とは言ってみたけれど。

 自分の身の回りのことさえ何も出来ない(やる気のない)息子に「お母さんが死んじゃったらどうするの?」と聞いたら「そうなってから考える。」とのたまう。想像しても仕方ない、と。まあ自分から母親が死んだ時に備えていろいろ用意周到に準備する子供はいない、といえばいないだろうから、確かにそうだろうけれど、何ともはや・・・のお答えだ。

 とにもかくにも、自分のためにも家族のためにも、細くてもいいから長くしぶとく生きて行かなければ、と改めて思う。

 今日も冷たい雨の一日になった。すっかり食欲が戻り、友人とのランチも出来、骨盤調整ヨガにも出かけた。気持ちはすっかりフルチャージ。休薬の週、心も体も上向きだ。いい1週間にもなりますように。 
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2012.4.21 いくつになっても素敵な出逢い

2012-04-21 21:16:28 | Ruban Rose
 乳がん患者会体験者の患者会「Ruban Rose」を、現代表の飯田さんとともに立ち上げ、「素敵なアロマテラピー」の著者である千葉治子さんは、この本の完成を天国でご覧になったという。昨年8月に亡くなられたのだが、6月末まで「みるふぃーゆのハーバルライフ」というブログを書いておられた。ブログを書く前はHPを立ち上げておられたそうだ。

 千葉治子さんのメッセージを、Ruban Roseのブログの中から転載させて頂く。2010年5月14日の記事である。

※  ※  ※(転載開始・冒頭略)

 私は2000年に両側乳がんがわかりました。
 病気になる前からアロマテラピーやハーブの勉強はしておりましたがその頃は、もっぱらリラックスとかリフレッシュを目的としたものでした。
 自分の病気をきっかけに 乳がんに伴う様々な不快な症状をアロマテラピーやハーブで緩和できないものかと色々と試してみましたところ予想以上によい効果がありました。
 そこで自分でHPを立ち上げ(その頃はブログというものがありませんでした)病気のこと、アロマテラピーのことを書きました。
 そうしましたところ何人かの方がHPを見てくだっさって実際にアロマをしてみて本当にいいですね!というコメントを頂くようになりました。
 その輪がだんだんと広がっていきもっとアロマのことを知りたい、もっとアロマを実践してみたいというお声を頂きました。
 そこでアロマにご興味をもってくださった方々に家に来て一緒にアロマを楽しみませんかとお誘いしました。
 40代半ばにネットを通して知り合ったお顔を知らない、本名も知らない、その方の背景も知らない方を自宅にお招きするということは冒険だったかもしれません。
 病気をする前の私でしたら そのようなことは決してできなかったと思います。
 でも病気を体験して何でも挑戦してみようという気持ちになっておりましたので勇気をもってそのようなオフ会を開きました。
 そうしましたら お集まりくださった方々が みんな心の綺麗な素敵な方ばかりで何年来かの親友のようにすぐにうちとけて仲良くなりました。
 はじめは東京近郊の方がたばかりでしたがそのうち東海地方、中部地方、東北地方、北陸地方、中国地方にまで広がり海外に住んでいらした方もお仲間になり帰国の際には皆様でお食事をしたりしております。(以下略)

(転載終了)※  ※  ※

 そう、私も今、まさにその気持ちである。

 再発・転移するまでは特に目立った変化はなかったのだが、こと再発治療が一段落した後、自分では信じられないくらい人付き合いに積極的になった。
 家事と育児と仕事と、目一杯だったそれまでの生活では、この齢になって新しく友人を作るのは、ちょっとしんどい・・・と思っていた。
 たとえば、ママ友等とオフの日にお付き合いすることは殆どなかった。学童クラブの行事等も最小限の参加だった。土日は、休日出勤とたまった家事をこなし、日頃の罪滅ぼしとして家族の時間を過ごすだけで、あっという間に過ぎてしまっていたから。

 今も、息子の学校のお友達のお母様たちとは、殆どプライベートなお付き合いはない。昨年夏、息子がカナダにホームステイしたのをきっかけに、一緒に参加されたお子さんのお母様と、たまにメールでやりとりをすることはあるけれど、保護者会前に行われる非公式のランチ会等には(仕事を休んで)参加したことがない。

 けれど、息子が成長し、以前より手がかからなくなったことと、私の仕事が以前より緩くなってきたことで、自分のために使える時間が格段に増えてきた。3年前の6月に患者会あけぼの会に入会し、同じ再発治療を続ける同年代の友人が出来、その患者会がきっかけで2年半前の10月にこのブログを始めた。今では、ブログのコメントを通じてお知り合いになった方たちとのお付き合いも広がっている。
 我ながら自分の心境の変化には驚くものがある。

 数年後の自分の姿が描けない・・・と不安だったのが嘘のようだ。もちろん今もリアルに60代、70代の自分を想像することは出来ないのだけれど。

 いくつになっても、自分が変われば、つまり自分からその可能性をシャットアウトしなければ、色々なことが出来るし、色々なことが舞い込んでくる。
 これまでの半世紀の人生で経験してきたこと、感じてきたこと、自分の直感を信じて勇気を出して一歩踏み出せば、間違いなく素敵な出逢いがある。
 確かにきっかけは病気だったかもしれないけれど、たとえ病気という共通点がなくても、お互いに相寄る魂は出逢うべくして出逢ったものなのではないか、と思う。それと裏腹に同じ病気だからといって必ずしも全てにおいて気を許してお付き合い出来る、とは限らない。
  “一人の人間”としての新しい出逢い。
 これからも素敵な出逢いを呼び込めるように、心穏やかに柔らかな気持ちを持って毎日を過ごしたい。

 さて、昨夜は就寝後2時に目覚めてしまい、その後、明け方4時半まで寝付けず仕舞いだった。何とか起きて朝食の支度をし、息子を送り出したが、気持ち悪さのため空腹で胃痛がするほどなのに食欲はなく、ナウゼリンを飲んで、リビングでダウン。そのまま11時近くまでウトウトしてしまった。朝食に用意した赤いヨーグルトを食べて、最後のデカドロン1錠を飲んだ。
 
 夫は今日も今日とて宴会日で昼前から出かけた。火木金土と週に4日である。歓送迎会シーズンとはいえ、何ともタフなことである。
 いまいちはっきりしない天気だが、たまった洗濯物を干す。息子が帰宅してから、あまりの空腹に耐えかねてようやく少し口に入れることが出来た。このまま一歩も外に出ないのは・・・と、テレビゲーム三昧の息子をスポーツ・クラブに追い出し、夕方からのリンパプラスヨガのクラスに参加してきた。たっぷり汗をかいてシャワーを浴びたら不思議なくらいさっぱりして、夕食はすっかりいつもの食欲に戻る。
 
 夫からは、連日連夜の宴会出席の罪滅ぼしなのか「ケーキ買って帰ったら食べられる?」の電話。「復活した!」と返事したところ、お土産と一緒に先ほどご帰還した。 


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2012.4.20 今どきの就活は・・・・

2012-04-20 21:24:05 | 日記
 昨日、朝のNHKニュースを見ていたら、企業がFace bookを活用している、という話題があった。

 今どきの学生さんたちは、面接等についてがっちり勉強してくるので、誰に会ってもあまり変わり映えがしない、ソツなくこなすが、本当のところ、実際の素顔はどうなのか、ということを見たいからだという(そうしないと差がつかないということか。)。
 面接の印象では大人しめの子かな、と思っていた女子学生のFace bookを見ると、友達が多く、コメントを沢山もらっていたり、会合の取りまとめ役をやっているということが判り、人望があるのだな、とポイントが上がったという話をしていた。

 これも、結局はいたちごっこだろうと思う。
 そもそもFace bookは実名でないと参加出来ない。実際の写真を出すということに抵抗を感じる人がいるだろうけれど、それに(動物等の写真を載せたりせず、)笑顔の自分が良いなどと言われ、それならば、と顔を晒すことになる。さらには友人の数は多い方が良いということだから、いろいろな人と繋がらないと、という強迫観念が起きそうだ。“友達”が297人というのも一体!?と思うけれど(「1年生になったら」の歌で“友達100人出来るかな”というくだりがあったけれど、そもそも100人単位の友達を友達と言えるのかどうか。)。企業が採用のためにこれを利用しているとわかれば、今度はこちらの対策に余念がなくなるだろう。

 それを見ていた夫が、「なんだかなあ、どっちもみんな小ズルるそう。もっと素朴な、伸びそうな奴と仕事したいよな~」とポツリ。
 もちろん企業にとって、新規採用職員が即戦力となれば何よりだけれど、既に出来上がってしまっている(いや、小さくまとまってしまっているというか、こうしたことに抜け目がないというか)のであれば、人を育成する楽しみはないだろうな、と思う。が、企業側にも学生側にもそんな余裕はないのかもしれない。
 今の世の中、正規職員になれなければ、就職浪人のために留年して新卒扱いをキープし、来年こそ、といってみたところで条件が良くなりはしないことは紛れもない事実だろうし、一度、新卒・正規職員というレールを外れてしまったら、派遣やアルバイト・・・という非正規の職場を選ばざるを得ない。年収200万で結婚し、子供を持って暮らしていくことは不可能だ。社会保険料だって払えないかもしれない。だからこそ、出来ることはなんでもしなくては、という切羽詰まった状況なのだ、という辛い気持ちもわかる。

 それにしても、未来を担う若い人たちが希望を持てない世の中って一体何なのだろう、と思う。
 今の学生さんたちはバブルが弾けてから生まれた世代。閉塞感を感じつつもそれが当たり前、という中で育ってきている。もちろんバブルの時代は異常だったけれど、“頑張れば報われる”という、当然であってほしいことを実感出来ないのは余りにも哀しいのではないか。

 今日は二十四節気の穀雨。春の柔らかく温かい雨が降って、穀類の芽が伸びて来る、毎年4月20~21日頃をいう。穀物が生長するため、私たちが生きるため、に必要な恵みの雨とされる。確かに最近では雨の後、あたかも音を立てるように、みるみる新緑が伸びている。お天気が良くなれば、露に濡れた青葉はぐっと眩しく感じるだろう。残念ながら、今週末のお天気はあまり良くないようだけれど。

 さて、体調。昨夜は眠さとだるさで早めにベッドへ。わりと寝付きがよく、朝4時半に目覚めるまで途中ノンストップで5時間は眠れた。目覚めた時にはやっぱり気持ちが悪いのだが、とりあえず睡眠がとれていれば目覚めは最悪ではない。
 朝も、まずはナウゼリンを飲む。味覚はイマイチだが、そこそこ食事がとれ、イメンド80mg、デカドロン1錠、ロキソニン、マグラックスのフルコースを服用。午前中もやはり気持ち悪いままだが、仕事をしながら水分は摂れた。昼もナウゼリンを飲んでから軽く済ませ、今クール最後のロキソニンとマグラックス服用。
 
 今日も夫は宴会で、息子と2人の夕食。とりあえず息子の空腹を満たすために、手早くガッツリとしたものを出し、ナウゼリンとともに私もお相伴。食後はマグラックスを飲み、ほっと一息。何はともあれ、明日は休日だ。
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