ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.8.4 生きていて良かったと思う瞬間(とき)~その1~

2014-08-04 21:27:09 | 日記
 先日、夫がマイ・一眼レフカメラを持ってきて、「これちょっと見てよ、綺麗だったんだよ」と見せてくれた写真は、夕空の雲の写真だった。
 なるほど、茜色に染まり始めた空一杯に、あたかも冬山にスキーヤーが残したシュプールのような白く細長い雲が、幾筋も幾筋も伸びた珍しい一枚だった。
 へぇ~、こんな空だったんだ、私気付かなかったなあ・・・と見損なった私はちょっぴり悔しくて、臍を噛んだ。

 翌朝、友人のブログを見て、驚いた。
 夫が撮ってきた写真と全く同じ雲を携えた空が映っているではないか。思わず「ねえ、見て見て、お父さんが撮ってきたのと同じ空が映っている!」と、出がけ間際の夫をPCまで呼んできて、見てもらった。
 そして、それだけでは飽き足らず、夫が同じ写真を撮ってきたこと、離れていても同じ空を見ているのだということに今更のように気付いてとても感激した、というコメントを入れた。
 友人の返信には「(同じ空を見て感激するなんて)まあ、なんだか恋人同士みたいですね、うふふ~」とあった。

 彼女が住んでいる街と私たちが住む街は、距離にしてどのくらい離れているのだろうか。そんな距離を忘れさせてしまうほど、間違いなく同じ空、同じ雲の情景だった。

 私が、生きていて良かったと思う日常の一瞬・・・今日のタイトルにはその1としてみたが、この後、どのくらいそんな一瞬を切り取りながら書いていくのか全くもってわからない。

 朝、通勤途上に空を見上げる時。明るいブルーの空に刷毛でさっと描いたような美しい真っ白な筋雲、とても人の手では描けないような様々な雲の形を見る時、ああ、今日もいい日になりそうだ、と思う。
 そして、仕事が終わって帰途につく時、家路の最後の急な坂を登りながら、また空を見上げる。今の季節はまだ日が長いから、それほど微妙な色合いの空にはなっていないけれど、暮れかけてピンクやオレンジがかった空の、まるでモネが描くような色の空と雲の絶妙なコンビネーションを見る時、ああ、今日も一日働けて無事に家に帰ることが出来て、本当に良かった、と思う。

 悠久の宇宙の時間の下では、塵にも満たないようなちっぽけな私の人生だけれど、こんな瞬間、こうして生きていることを素直に喜べる。
 父母がいなければ、私はいなかったし、祖父母がいなくても私はいなかった。
 生きていて良かった、生まれてきて良かった、と思う。
 空を見上げながら、この空を、月を、星を、沢山の友人知人たちが同じものを見ているのだ、とその不思議さに、ちょっと震える。
 同じ時に生を受けてきた不思議なご縁を感じる瞬間、生きてきて良かったと思える瞬間である。
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2 コメント

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今、このブログ記事を拝見して (柳吉)
2014-08-05 15:01:18
思わず涙がこぼれてきました。

自然が織り成す夕暮れ時の、あのなんとも言い表し様のない空の美しいグラデーションを見るにつけ、”あぁ、この一瞬を感じるために私はここに存在してるのだな”とさえ思うことがあります。

空が空であるように、花が花であるように、
この宇宙で塵ほどにも満たない私でも、
私で在ることが出来ますように。

同じ空の下で生きていること、同じ空を見上げていることに感謝します。

(きょうバッグの中に入れて来た、黒猫ちゃんタオルハンカチで目頭を押さえながら…)
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本当に・・・ (ロッキングチェア)
2014-08-05 19:47:14
柳吉さん、こんばんは。

遠く離れていても、同じ美しい空を見て、その素晴らしさに素直に感激出来るということ、他でもない、私たちが今、ここに生きているからこそですね。
本当に感謝します。

命ある限り、自分らしく、自分なりに精いっぱい、彼女から笑われないように、と思いを新たにしています。

(黒猫ちゃんタオルハンカチ、嬉しいです。)
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