昨日、午後から休暇を頂いて実家に向かった。
昨年、母が直腸がん術後に要介護認定を頂いてからまもなく1年が経過する。その更新のために地域包括支援センターが行う訪問調査に立会うためだ。
事細かな質問にたっぷり1時間以上かかり、終わる頃には母も私もすっかり顎が出た。介護ベッドから立ったり座ったりの動作確認をしたり、室内の動線を確認したり、認知度のテストやら何やら。家族に気を遣いながら、本人の尊厳にも配慮しながら、これを一日に何軒も掛け持ちするのだから、本当にお仕事とはいえ大変だと思う。
いつだったか新聞で、認定期間が1年だと更新のたび調査が大変だから期間を3年に延ばすという計画があると読んだが、さもありなんだと思う時間だった。
思えば昨年、一旦退院した後、市役所の方たちが介護認定のために訪問されることになっていたのだが、退院してすぐに体調を崩し、再び受診したところそのまま緊急入院となり、結果、病室での聞き取り調査になった。
当然体調はすこぶる悪く、ケアマネージャーさんが一緒に付き添って答えてくださるという事態だった。それを思えば、今回は曲がりなりにも一人暮らしをしているのだから、介護度が下がることは避けられないだろうと思う。
とはいえ、今は週2回それぞれ1時間、ヘルパーさんに家事援助をして頂いており、母もそのペースに慣れてきている。それを頼みに私も、毎日ご機嫌伺いの電話はするものの、実際には週1回顔を出すのが精一杯の状況だ。
もちろん入院時のように短期決戦なら、1日おきなり毎日なり通うことも出来るかもしれない。けれど、住み慣れた自宅で日々を送っている現在、自分の治療が継続出来るように体調管理に腐心しつつ、平日フルタイムの仕事の後、往復3時間をかけて実家に通うとなれば、こちらの生活が破綻することは目に見えている。
にっちもさっちも行かなくなったら、いずれは自宅を引き払って施設に入ってもらうことを想定しているが、いずれにせよ父が亡くなってまだ3ヶ月、墓地の準備中で遺骨の納骨すら済んでいない。せめて3回忌が終わる頃まではなんとか頑張ってほしいと思っている。
とはいえ諸事情を冷静に考えれば、実際ににっちもさっちも行かなくなってから動き始めるのではとても間に合わない。「最悪に備えて最善を尽くす」-これこそ再発がん治療の肝と思っていたがそれだけではない。これぞ全てにおける人生訓なのだな、と改めて思う。
そんなわけで、母はこのところの検査続きでげんなりしている。145cm、33kgの身体で大腸内視鏡検査の2リットルの下剤は飲みきれず1.8リットルでダウンした模様。とりあえずこちらの検査はなんとか大丈夫そうだったが、貧血が酷く、出血箇所はどこか、ということで昨日は胃カメラも撮影してきた。
胃自体は問題なさそうだったが、食道に気になる部分があって、組織検査に回されたという。すっかりしょぼくれて、2週間後の検査結果説明にまた同行することになった。
明日には造影CTの検査もある。全て付き添いをしていたら申し訳ないけれど、仕事どころではなくなる。とはいえ、結果を説明してもらっても本人がちんぷんかんぷんではどうしようもない。検査結果説明だけは同席する予定だ。
来週には自分の通院治療日も控えており、再来週母の結果次第ではまた忙しくなるかもしれない。その翌週は自分の造影CT検査。
父亡き後、なんとか母の一人暮らしを軌道に乗せるために今は踏ん張りどころと思っていたけれど、肝心の母が心身ともに衰えが進んでいて、なかなか思うに任せない。
とはいえ、起こってしまったこと-過去-を変えることは出来ない。心配しても仕方のないこと-未来-を気に病んでも始まらない。だからこそ“今”出来ることを、笑顔で、精一杯行う。それを続けていさえすればきっと万事上手くいく。このヨーガの智慧を頼りに日々を暮らしていくしかないのである。
帰宅すると、今月初めてのお花が届いていた。深紅の薔薇が2本、ピンクが1本、濃い青紫のリンドウが3本、白いオーニソガラムが2本、向日葵が4本とミスカンサスの葉。
今日は都内で32度という真夏を思わせる暑い1日になったが、あたかも行く夏と来たる秋が、混在している風情の鮮やかな花瓶が出来上がった。
花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「正義感」、「潔白」、「愛慕」だという。
昨年、母が直腸がん術後に要介護認定を頂いてからまもなく1年が経過する。その更新のために地域包括支援センターが行う訪問調査に立会うためだ。
事細かな質問にたっぷり1時間以上かかり、終わる頃には母も私もすっかり顎が出た。介護ベッドから立ったり座ったりの動作確認をしたり、室内の動線を確認したり、認知度のテストやら何やら。家族に気を遣いながら、本人の尊厳にも配慮しながら、これを一日に何軒も掛け持ちするのだから、本当にお仕事とはいえ大変だと思う。
いつだったか新聞で、認定期間が1年だと更新のたび調査が大変だから期間を3年に延ばすという計画があると読んだが、さもありなんだと思う時間だった。
思えば昨年、一旦退院した後、市役所の方たちが介護認定のために訪問されることになっていたのだが、退院してすぐに体調を崩し、再び受診したところそのまま緊急入院となり、結果、病室での聞き取り調査になった。
当然体調はすこぶる悪く、ケアマネージャーさんが一緒に付き添って答えてくださるという事態だった。それを思えば、今回は曲がりなりにも一人暮らしをしているのだから、介護度が下がることは避けられないだろうと思う。
とはいえ、今は週2回それぞれ1時間、ヘルパーさんに家事援助をして頂いており、母もそのペースに慣れてきている。それを頼みに私も、毎日ご機嫌伺いの電話はするものの、実際には週1回顔を出すのが精一杯の状況だ。
もちろん入院時のように短期決戦なら、1日おきなり毎日なり通うことも出来るかもしれない。けれど、住み慣れた自宅で日々を送っている現在、自分の治療が継続出来るように体調管理に腐心しつつ、平日フルタイムの仕事の後、往復3時間をかけて実家に通うとなれば、こちらの生活が破綻することは目に見えている。
にっちもさっちも行かなくなったら、いずれは自宅を引き払って施設に入ってもらうことを想定しているが、いずれにせよ父が亡くなってまだ3ヶ月、墓地の準備中で遺骨の納骨すら済んでいない。せめて3回忌が終わる頃まではなんとか頑張ってほしいと思っている。
とはいえ諸事情を冷静に考えれば、実際ににっちもさっちも行かなくなってから動き始めるのではとても間に合わない。「最悪に備えて最善を尽くす」-これこそ再発がん治療の肝と思っていたがそれだけではない。これぞ全てにおける人生訓なのだな、と改めて思う。
そんなわけで、母はこのところの検査続きでげんなりしている。145cm、33kgの身体で大腸内視鏡検査の2リットルの下剤は飲みきれず1.8リットルでダウンした模様。とりあえずこちらの検査はなんとか大丈夫そうだったが、貧血が酷く、出血箇所はどこか、ということで昨日は胃カメラも撮影してきた。
胃自体は問題なさそうだったが、食道に気になる部分があって、組織検査に回されたという。すっかりしょぼくれて、2週間後の検査結果説明にまた同行することになった。
明日には造影CTの検査もある。全て付き添いをしていたら申し訳ないけれど、仕事どころではなくなる。とはいえ、結果を説明してもらっても本人がちんぷんかんぷんではどうしようもない。検査結果説明だけは同席する予定だ。
来週には自分の通院治療日も控えており、再来週母の結果次第ではまた忙しくなるかもしれない。その翌週は自分の造影CT検査。
父亡き後、なんとか母の一人暮らしを軌道に乗せるために今は踏ん張りどころと思っていたけれど、肝心の母が心身ともに衰えが進んでいて、なかなか思うに任せない。
とはいえ、起こってしまったこと-過去-を変えることは出来ない。心配しても仕方のないこと-未来-を気に病んでも始まらない。だからこそ“今”出来ることを、笑顔で、精一杯行う。それを続けていさえすればきっと万事上手くいく。このヨーガの智慧を頼りに日々を暮らしていくしかないのである。
帰宅すると、今月初めてのお花が届いていた。深紅の薔薇が2本、ピンクが1本、濃い青紫のリンドウが3本、白いオーニソガラムが2本、向日葵が4本とミスカンサスの葉。
今日は都内で32度という真夏を思わせる暑い1日になったが、あたかも行く夏と来たる秋が、混在している風情の鮮やかな花瓶が出来上がった。
花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「正義感」、「潔白」、「愛慕」だという。