ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.9.16 40年を超えて動くもの

2016-09-16 21:58:24 | 日記
 先日、高校時代に所属していた吹奏楽部のOB・OGバンドからメールが届いた。どのくらい前にお目にかかったか思い出せないくらいすっかりご無沙汰なのに、こうしてメールを送ってくれる1期下のO君は、本当にマメだ。

 12月にOB・OGコンサートがあるそうで、そこでクラリネットパートで参加者が足りなくて困っているという。練習は本番までに1回参加するだけでもいい、初見レベルの方も沢山いるくらいで、とのこと。これからの練習日時と場所などスケジュールが記載してあるほか、全パートの楽譜まで全曲見られるようになっている。

 本当に便利な世の中になったものだ、と思う。
 あれこれバラエティに富んだ曲名が並んでいて、ふと見ると、その中に懐かしいというか、びっくりする曲が入っていた。
 確か中学時代、吹奏楽部に所属していた時のコンクール課題曲だったものだ。とにかく名前の通り、ありとあらゆる技術を駆使させる、これでもかという曲で、皆で泣く泣く練習した記憶がある。

 それでも楽譜を見たら、不思議なことに指が動き始めた。もう何十年も吹いていない楽器だ。おそらく実家に埃を被って置いてある筈の楽器(もしかしたら処分しているかもしれないけれど、何分物持ちの良い母のこと、捨ててはいないと思う。)。指使いなどすっかり忘れていると思っていたのに・・・。思わず笑ってしまった。

 そして、また便利な世の中を確認するためにYou Tubeでこの曲を検索すると、あっという間にプロのウインドオーケストラの演奏を聴くことが出来た。いやとんでもないハイスピードでいとも簡単に吹いているではないか。凄い。指揮者の佐渡裕さんは私と同い年だから、中学時代にこの曲に出会ったのだなあと感慨に浸ることしきり。

 そう、1974年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲「高度な技術への指標」である。当時の中学部門金賞校の演奏も難なく聴く事が出来て恐れ入った。本当にこれ、中学生の演奏なのね~としばし思い出に耽った(ちなみに高校部門では金賞受賞校は該当なしだった。)。

 当時中1、まだクラリネットと出会って数ヶ月でいきなり9月のコンクール参加である。夏休みはほぼ毎日朝から晩まで練習に通った。当然1stパートではなかったけれど、威勢の良いファンファーレが始まるやいなや、遠目にはレースのカーテンのように見える8分音符の羅列のメロディーをトランペットがクラリネットに受け継ぎ、どんどんテンポが変わりながらスイングする曲は、吹ける吹けないはさておき、とにかく刺激的で圧倒的に面白かった。

 あれから40年以上。いや~40年経っても身体に沁みこんだことというのは忘れないものなのだ、と改めて感じ入った。

 もちろんこの状況で舞台に乗せて頂く、なんてことはありえませんと丁重にお断りしたのだけれど、多感な時代にある楽器に出会い、いまなお大切に続けている先輩、後輩たちには頭が下がる。継続は力なり、翻って私に数十年も続けてられている大切なものがあるか、と思うとちょっと下を向く。一番長いといえるのが仕事の30年超であるか。あとは妻業が26年半、親業も20年余り。

 せっかくのご縁。日程が合えばこっそりコンサートを聴きに行ってみようかな、と手帳を見たのだけれど、残念ながら先約が入っていた。
 盛会をお祈りしつつ、皆様によろしく、と返信メールを打った。懐かしくも心温まる秋の夜長の出来事である。
コメント (2)
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