ここのところ、カドサイラ(T-DM1)が“地味に”効いてくれている(主治医の弁)おかげで、一時のような酷い胸痛が治まっている。
それでは全く痛みから解放されているか、といえば、残念ながらそんなことはない。
こうして胸骨付近の痛み(鈍痛、圧痛)と付き合うことになって早くも8年が経つ。
一番初めに痛みを感じたのは、2007年5月、ゴールデンウィークのこと。ノルバデックスの副作用が原因とされる卵巣のう腫(と同時に見つかった子宮筋腫)の開腹手術のための病気休暇からまもなく復帰する、というタイミングだった。当時はまだ腫瘍マーカーCA15-3も正常だし、骨シンチを撮ってみても生理的な集積があるということだけで、骨転移の疑いすらかかっていなかったのだけれど。それでもしぶとく続く嫌な痛みだった。
「骨転移の痛みは(もっとずっと酷くて)そんな(我慢が出来るほどの)ものじゃないよ」と言われ、近所のクリニックで処方されたボルタレンを塗ったり、お風呂で温めたりと、対症療法をとっているうちに痛みにも慣れてきた。そうこうするうちに秋口からマーカーが上がり始め、年末の各種検査の結果、多発骨転移(ほか両肺多発転移、縦隔リンパ節転移、局所再発も同時に)の確定診断が下った。
以来、程度の差こそあれ、ずっと痛みと共にある。もう何年もの間、朝食後のロキソニンは欠かしたことがない。
それでも、毎食後ロキソニンを飲まずにいられなかったり、ロキソニンでは痛みが抑えきれずにコデインを足したり、ということがなくなったので、私としては日常に戻ったという状況である。
そもそも痛みには結構強い方、我慢強い方だと思っていたけれど、20年近く前の出産の痛みはやはり想像以上のものだった。結局1昼夜頑張ってみたもののあえなくダウン。自然分娩を諦め、緊急で帝王切開になった。
看護師さんからは「二人分産んだね!」と言われたけれど、うーん、皆がちゃんと頑張ってやっていることを自分は頑張れなかった、ヘタレだな・・・と、その時はちょっと自分を責めたりもした。
そうはいうものの、痛みというのは実に主観的なものだ。10段階の痛みのスケールというものがあるというけれど、そもそも痛みの感じ方も耐性も人によって違うから、これ以上無理!とか、耐え難い痛み、の線をどこで引くかは難しい。
けれど、本人が痛いといっているのだから痛いものは痛いのである。なんとかそれを軽減してもらえれば、日常生活はぐっと楽になる。終末期に限らず、疼痛緩和ケアの大切さを思う。
とはいえ、いつもいつも「痛い、痛い」ばかり言っていると、本当に痛くなった時に「また~?」とスルーされる“狼おばさん”になってしまうかも、と静かに反省する私である。
蛇足ながら、実際痛みが増す時は寡黙になる(いつもは五月蠅いってこと?)ので、夫はすぐわかるようだが・・・。
それでは全く痛みから解放されているか、といえば、残念ながらそんなことはない。
こうして胸骨付近の痛み(鈍痛、圧痛)と付き合うことになって早くも8年が経つ。
一番初めに痛みを感じたのは、2007年5月、ゴールデンウィークのこと。ノルバデックスの副作用が原因とされる卵巣のう腫(と同時に見つかった子宮筋腫)の開腹手術のための病気休暇からまもなく復帰する、というタイミングだった。当時はまだ腫瘍マーカーCA15-3も正常だし、骨シンチを撮ってみても生理的な集積があるということだけで、骨転移の疑いすらかかっていなかったのだけれど。それでもしぶとく続く嫌な痛みだった。
「骨転移の痛みは(もっとずっと酷くて)そんな(我慢が出来るほどの)ものじゃないよ」と言われ、近所のクリニックで処方されたボルタレンを塗ったり、お風呂で温めたりと、対症療法をとっているうちに痛みにも慣れてきた。そうこうするうちに秋口からマーカーが上がり始め、年末の各種検査の結果、多発骨転移(ほか両肺多発転移、縦隔リンパ節転移、局所再発も同時に)の確定診断が下った。
以来、程度の差こそあれ、ずっと痛みと共にある。もう何年もの間、朝食後のロキソニンは欠かしたことがない。
それでも、毎食後ロキソニンを飲まずにいられなかったり、ロキソニンでは痛みが抑えきれずにコデインを足したり、ということがなくなったので、私としては日常に戻ったという状況である。
そもそも痛みには結構強い方、我慢強い方だと思っていたけれど、20年近く前の出産の痛みはやはり想像以上のものだった。結局1昼夜頑張ってみたもののあえなくダウン。自然分娩を諦め、緊急で帝王切開になった。
看護師さんからは「二人分産んだね!」と言われたけれど、うーん、皆がちゃんと頑張ってやっていることを自分は頑張れなかった、ヘタレだな・・・と、その時はちょっと自分を責めたりもした。
そうはいうものの、痛みというのは実に主観的なものだ。10段階の痛みのスケールというものがあるというけれど、そもそも痛みの感じ方も耐性も人によって違うから、これ以上無理!とか、耐え難い痛み、の線をどこで引くかは難しい。
けれど、本人が痛いといっているのだから痛いものは痛いのである。なんとかそれを軽減してもらえれば、日常生活はぐっと楽になる。終末期に限らず、疼痛緩和ケアの大切さを思う。
とはいえ、いつもいつも「痛い、痛い」ばかり言っていると、本当に痛くなった時に「また~?」とスルーされる“狼おばさん”になってしまうかも、と静かに反省する私である。
蛇足ながら、実際痛みが増す時は寡黙になる(いつもは五月蠅いってこと?)ので、夫はすぐわかるようだが・・・。