四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

岡山城(岡山県岡山市)

2013年09月13日 | 日本100名城
■ 国指定史跡 岡山城跡



岡山城は、旭川の西方の丘陵を城地とする平山城として築かれた。この地には元々、金光氏の居城があったが、元亀元年(1570)、宇喜多直家が略奪した。
その子の秀家は慶長2年(1597)に、豊臣政権の有力大名にふさわしい城にすべく大改修し、金箔瓦を使用し五重六階の複雑な構造をもつ前期望楼型の天守を築いた。
天守の外壁には黒い下見板が張られ、その色から「烏城」の別名がつけられた。関ヶ原の戦い後に入った小早川秀秋や池田氏によって城の拡張整備が続けられ、
縄張が完成をみた。天守は昭和20年(1945)の空襲で焼失し、昭和41年(1966)再建された。   (「日本100名城公式ガイドブック」より引用)   
  



年に1度の高知入りの際に、ここ岡山駅で列車を乗り換えています。岡山駅からそれほど遠くない所に「岡山城」があることは知っていましたから、行きの際
あるいは帰路の際に訪城する気になればできました。しかし、行程の時間の都合から、「ついでだから寄っていく」といったことはできずにいました。
今年は、予めその時間がとれるような計画を立て、ここ岡山市で1泊して翌朝高知入りすることにした次第でした。

とは言え、ホテルにチェックインしたのが夕刻でしたから、早足で岡山城に向かい入館可能な午後5時をほんの数分前に天守に。
天守内部と言っても、鉄筋コンクリートで再建したものですからたいした興味もありませんでしたし、展示物の撮影も禁止されておりましたので、
100名城スタンプを押印して早々に退館。(5時前に入館したかったの目的はこれだったものですから)  








岡山城天守
冒頭の引用文どおり、昭和20年(1940)6月、空襲により焼失。昭和41年(1966)に鉄筋コンクリートで外観復元された




礎石
焼失した天守を鉄筋コンクリートで元の場所に再建したため、礎石を移し、元の通りに配置




不明門(あかずのもん)
明治の廃城後に取り壊され、昭和41年に鉄筋コンクリートで再建されたもの




月見櫓(国指定重要文化財)
岡山城本丸内で戦火を免れた唯一の建物 




廊下門
昭和41年に鉄筋コンクリートで外観復元




六十一雁木(がんぎ)上門
昭和41年に再建されたもの




六十一雁木門横の石塁
関ヶ原合戦後の池田氏が下の段を大がかりに整備した時に築かれた石塁である。
 板状の大石を立てて組み込んだ部分が特徴的である。
 石塁の先の上端から本段石垣の中位に櫓門が架けられていた。
     (説明板に書かれていた文面)  




岡山後楽園の園内から見た岡山城

足早に見た岡山城でした・・・     

攻城日:2013年(平成25年)8月7日(水)           

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