四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

八王子城(東京都八王子市)

2018年07月28日 | 日本100名城
■ 国指定史跡 八王子城跡



八王子市の「八王子城跡」を攻城してきました。
国指定史跡であり、日本100名城にも選定されている八王子城について今更詳細を記す必要もないとは思いますが簡単に。
八王子城は、関東を支配していた小田原北条氏の一族である北条氏照の居城です。氏照は、同じ八王子にあった滝山城を居城
にしていましたが、更に強固な城をと、天正15年(1587)頃、八王子城を築城し移りましたが、天正18年(1590)の豊臣
秀吉の小田原攻めの際に小田原城の支城であるこの八王子城も攻められて僅か1日にして落城してしまいました。 

今回2度目の攻城となりましたが、本丸まで攻める予定はなく、初めての攻城後に架け替えられた曳橋と御主殿跡の再現遺構
を見るだけの予定で、実際、時間もなかったのでそれだけ見て来ただけでしたが。




八王子城跡攻城口 「八王子城跡」の大きな石標 右の建物が管理棟




「史蹟 八王子城跡」石碑(標柱)




管理棟




管理棟前に設置されている陶製の諸々の解説板 




あしだ曲輪への石段  残念ながら「私有地につき出入り禁止」の看板があります
反対側には「この先 八王子城跡がガイドボランティアと一緒でないと見学できません」の札が下がっていましたので、条件
さえ整えば見学は可能のようです。




よく整備された路を歩いて




大手門跡  現在は埋め戻されています




大手門の跡説明板




古道 




古道(大手道)説明板




曳橋が見えてきました




曳橋の全景  二代目です
初代の曳橋は平成2年(1990)に橋脚も含め木造で架けられましたが、川が流れていて湿気が多く、痛みが早かったようで、
平成25年(2013)に通行禁止となりました。平成27年(2015)3月から架け替え工事が始まり、翌28年(2016)2月完
成、3月に開通式が行われたようです。




御主殿への経路説明板  曳橋についての説明が書かれています
”今回整備した橋は、当時の復元ではなく、見学者が御主殿に行くための通路” とありますが・・・

この2代目の曳橋は、鉄骨造りで表面に樹脂と木を原料とした再生木材を貼って木造の雰囲気を出したようです。木造の雰囲
気はあっても鉄骨造りは鉄骨造りでしかありませんから、復元ではなく見学者の通路と表現したのかもしれませんね(これも
勝手な解釈です)
うっかり復元などと言ってしまっては、うるさい輩が多いですから・・・

なお、往時の曳橋はもっと簡素なものであったようです。また、橋の位置を若干間違えて架けてしまったようです(2代目も
初代を引き継いで同じ場所)が、全く逆の場所というならいざ知らず、復元復興、今は通路としての橋ですから何ら問題はな
いと考えます。




ということで初代の曳橋と見比べていただく意味で、古い写真を引っ張りでしてみました。
初代の橋台は石垣になっています。本物の木造橋だけあってあ雰囲気はやはり違います。




橋台石垣と曳橋説明板   初代当時からある説明板です  
”想定復原  史跡の景観に合うよう木造に”・・・初代曳橋はこのような思いから 2代目も気持ちは同じでしょう 




橋の端から  洒落を言ったつもりはありません(笑)




鉄骨造りの橋という感覚はなく渡れます




橋脇の石垣




御主殿虎口の石段から見る曳橋




御主殿の土塁上から見る曳橋




虎口前




御主殿虎口  コの字形虎口




御主殿虎口説明板




御主殿入口の門  冠木門




櫓門跡説明板




冠木門




御主殿跡




御主殿跡説明板




御主殿跡の整備説明板




分布図




解説文




再現された礎石




塀跡




会所跡と敷石通路




会所跡




庭園遺構説明板




池跡
他にも多くの再現遺構がありますがこの辺にしておきます。説明板にもあったよう実際の遺構の上に盛土をして(いわゆる埋
戻し保存)その上に遺構を再現してあります。




御主殿の滝慰霊碑




御主殿の滝説明板




御主殿の滝




八王子城跡管理棟前の通りに設置の埼玉県寄居町のカラーデザインマンホール蓋
寄居町の町章を真ん中に据え、町の鳥・木・花のキジ・ヤマザクラ・カタクリが囲んでいます。
何故、他所の町のマンホールの蓋が・・・その理由は最後に




更に少し進むと地元八王子市のカラーデザインマンホール蓋
国の選択無形民俗文化財・都の指定無形文化財である八王子車人形のひとつ三番叟がデザインされています。




更に更に進むと神奈川県小田原市のカラーデザインマンホール蓋
歌川広重の浮世絵、東海道五十三次のうち「小田原・酒匂川」をモチーフにしたデザインのマンホール蓋。

小田原市・八王子市・寄居町は、北条氏政・氏照・氏邦の北条三兄弟がそれぞれ小田原城・八王子城・鉢形城を構えてたとい
う縁で、平成6年にそれぞれの観光協会が「北條三兄弟三領共同宣言」を結び、甲冑姿の市民・町民が互いの祭りに参加する
などして交流を深めていますが、平成28年10月1日に、この3市町は、武田信玄・北条氏康・今川義元が結んだ甲相駿三
国同盟ならぬ、「姉妹都市盟約」を締結しました。
そして、さらなる親交を深めようと昨年11月19日に行われた、八王子市いちょうまつりの席上で、全国で初めてという3
市町のマンホール蓋の交換が行われました。単に交換をしたに留まらず、交換したマンホール蓋は越境して盟約市町に設置さ
れました。
それが八王子市にあっては八王子城跡の入り口であるこの場所に。小田原市にああっては小田原かまぼこ通りに。寄居町にあ
っては寄居北條まつり会場へ通ずる道路にそれぞれの地元のマンホール蓋とともに設置されたという次第です。
しかし、ほとんどの方が他の市町のマンホール蓋が設置されていると気づくどころかマンホール蓋には何の関心も持たずに通
り過ぎているのが実情です。
行った時間が遅かったこともあり、予定の曳橋と御主殿跡を見るのに精一杯でした。駐車場の閉門時間の午後5時にはどうに
か間に合いましたが、ガイダンス施設や、北条氏照及び家臣の墓には寄ることができませんでした。
こちらを先に寄っていたら御主殿跡まで行けなかったでしょうね。

再攻城日:平成30年(2018)6月2日(土)

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